なんでも思い通りにしないと気がすまない妹から逃げ出したい

木崎

第1話 完璧な淑女である私の妹


 アニエス・ミュラトールは誰もが知る社交界の花だ。

 セルヴィン国の伯爵令嬢で、王立魔術学院を首席で卒業した才女。

 波打つ髪は輝くような金色で、翡翠色の瞳は誰もが魅了される。美貌に見合う所作に、人並み以上の魔力を持ち合わせている、完全無欠な淑女。

 彼女の名は貴族だけでなく、王国に住まう民にも広まっているほど。


 それが私――クラリス・ミュラトールの双子の妹である。


「君には大変申し訳なく思っている」


 心苦しそうに顔を歪める私の婚約者のはずのクロード。彼が私の婚約者に決まったのは、今から五年前。

 それ以来ずっと、彼の横には私がいた。だけど彼の横には今、完璧な私の妹が立っている。

 悲しげに瞳を潤ませ両手を組んだ姿は、まるで懇願しているように見え、悲壮さに溢れている。


 クロードはそんなアニエスを労わるように、優しく彼女の肩を抱いた。


「お姉様、本当にごめんなさい……クロード様は悪くないの。私が……」


 アニエスは完璧な美貌、完璧な所作、完璧な才能だけでなく、才能を鼻にかけない慎ましい性格の持ち主としても知られている。

 完璧で性格もよいとなれば、ほとんどの人は魅了される。クロードも、その一人だったようだ。


「違う、悪いのは俺だ。君のせいじゃない」


 首を横に振り、アニエスを擁護するクロード。

 ちらりと翡翠色の瞳がクロードを見上げると、クロードの顔に慎ましい笑みが浮かぶ。

 互いを思いやる二人を前に、私は何を見せられているのかわからなくなる。


「もちろん、君の将来は約束する。たとえ何があろうと、ミュラトール家は君を支援すると約束しよう」


 セルヴィン国は男子相続が原則だ。直系親族に男子がいない場合は、一番近い血縁から後継者が選ばれる。

 現ミュラトール家には二人しか娘がおらず、自分の死後余計な諍いが起きないようにと、私のお父様は兄の息子、つまり私の従兄を後継者として世話することに決めた。

 生前から後継者として育てておけば、急死しても混乱することはないと判断したのだろう。


 そしてついで、とでも言うべきか。それともこちらが本命と考えるべきか。

 クロードが跡を継いでから愛する妻や娘が追い出されないように、私をクロードの婚約者に選んだ。


 妻の母親を無下にはしないだろうし、妻の妹をぞんざいに扱うこともないと、そう考えたわけだ。


 アニエスではなく私だったのは、ただの気まぐれか、アニエスのほうが嫁の貰い手があると考えたかのどちらかだ。

 どうしても私ではないといけない理由はない。だからきっと、お父様は婚約者の入れ替えに反対しないだろう。

 妻の妹が妻の姉に変わるだけだから。


「……きっと、お姉様にはもっとふさわしい人がいると思うから、だから……」


 ぎゅっと目を固く瞑り、体を震わせるアニエス。その様子を、クロードが痛ましげに見ている。


「私のことはなじっても叩いても構わない。どうか、お姉様の気がすむように……」


 平手だろうと張り手だろうと暴言だろうと、何が飛んできても構わない。そんな悲壮感漂わせるアニエスに、今さら何も思わない。


 ただ、またか、と思うだけだ。


 アニエスが私の前に立ちふさがったのはこれが初めてではない。


 年が両手の数で足りる程度の頃、お父様がお土産に青いドレスとピンクのドレスを買ってきた。


「お姉さまもピンク色がいいの? ……でも私も、ピンク色がいいなぁ。お姉さまには青色のほうが似合うと思うから、ピンク色は私にじゃ、駄目?」


 可愛らしくおねだりする妹に、両親は陥落した。

 ドレスだけでなく、宝石から髪飾りに至るまでがその調子だ。私用にと選ばれたものですら、アニエスの手に渡ることがあった。


 両親が私よりもアニエスのほうが大切だったわけではない。可愛らしくおねだりできるアニエスに甘くなる節はあっても、あからさまな優遇を見せたことはない。

 ただ、アニエスは自分に似合うものをよく知っていただけだ。そして似合うように見せる方法も知っていた。

 質は同じ、色や装飾が少し違うぐらいの物なら、より似合うほうに似合うものを渡しくなるというのが心情だろう。しかもアニエスが選ばなかった物のほうが私に似合っていたのだから、アニエスの言うとおりにするのが最良だと判断するのもしかたない。


 そうして少しずつ、アニエスの言うことなら間違いないという刷りこみが行われていただけで、両親にとって私もアニエスも大切な子供であることに変わりはない。そう、信じていた。


 四年前、家に二通の合格通知が届くまでは。


「お姉様も王立魔術学院に受かったの?」


 合格通知にはそれぞれ、私とアニエスの名前が記されていた。


 王立魔術学院は豪勢な建物と高度な教育と、それに見合った学費と寄付金で知られている。在学生は貴族がほとんどで、稀に裕福な家の子供がまぎれる程度。

 高難易度の入学試験をくぐり抜け、ふるい落とすかのように行われる模擬試験や筆記試験の数々。それらをすべて突破し卒業できるのは、入学した当時の半数以下。

 卒業はもちろん、入学しただけでも噂になるほどの学校だ。


 そこに私とアニエスの二人が入学となったら、両親も鼻高高だっただろう。入学できれば、の話ではあるが。

 学院には入学するにあたって、特別なルールが一つある。

 それは、一年に入学できるのは一家門に一人だけというもの。


 何十年か前に、とある貴族が卒業生を多く輩出したと名を馳せたいがために大量の孤児を養子に迎えた。

 その中の何人かが受かり、一人か二人卒業できればとでも考えたのだろう。

 一度だけであればまだしも、それを毎年――学院が禁止するまで続けた。


 入学できなかった子や卒業できなかった子の面倒をしっかりと見きっていれば、学院も目を瞑っていただろう。

 だが貴族は役に立たない子はさっさと捨て置き、半端な知識を持った孤児が国中に広がった。

 詐欺やらなんやらが横行し、同じようなことをする者が増えたら国が混乱に陥ると判断し、学院は新しいルールを作った。


 それが、一年につき一人というルールだ。


「……私も通いたかったなぁ」


 ルールはアニエスも知っていた。たとえ双子だろうと覆せない。例外を認めれば、顔の似ていない三つ子四つ子、果ては十つ子が出てくるかもしれないからだ。

 だからアニエスはじんわりと涙を滲ませ、合格通知を胸に抱きしめた。


 両親はアニエスの涙に弱い、そしてアニエスの言うことならおかしなことにはならないと思っている。

 当然のように、両親は私に辞退することを勧めた。

 あなたは先が決まっているのだから、アニエスには社交界で通じる人脈と知識が必要だ、将来の相手を見つけるのにも学院は適切である。そう言いながら。


 結果私は、王立魔術学院を諦めた。

 この婚約者の入れ替えもどうせ最後には諦めることになるのだから、抗うだけ無駄だ。


「ええ、そう。わかったわ。どうぞ末永くお幸せに」


 ほっとしたようにお互いを見つめるアニエスとクロード。そんな二人にため息をつきそうになるが、必死に笑顔を取り繕う。

 ここで何か言ったり行動したりすれば、アニエスがまだ悲壮な顔をするだけだ。


 しかし、どうして今日のだろう。今晩は王家主催の舞踏会が開かれる日だというのに。

 これまで私はクロードのエスコートのもと入場していた。だけど今日はそうもいかないだろう。


 突き刺さる視線を想像するだけで、今から嫌になる。


「ああ、なるほど」

「お姉様?」


 首を傾げるアニエスになんでもないと言って、苦笑を浮かべる。

 今日、この日だったからこそ、言う必要があったのだろう。

 王家主催の舞踏会なんて一番盛り上がり目立つ日を、私の妹が選ばないはずがない。

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