過剰正義性問題
@QilinMori
プロローグ
間違っているのは世間だと思っていた。
世の中には法で裁けない悪が存在する。個人の自由が保障された世界で、法で裁くことができない、自由の名の下に犯される悪事だ。
それは多くの人は気に留めない程の些細な悪だった。本当は法律で禁止されていることでさえ、人々は簡単に見逃す。自分には関係のないことだと割り切って。だが私にはそれが許せなかった。
店員に偉そうな客、商店街を爆走する自転車、子供の泣き声を無視する親、騒音防止ルールを守れないジムの会員、ATMに時間をかける人々。
道を歩くのが遅い人間にすら腹が立つ。世の中の99%は悪人だった。
やがて私は壊れてしまった。
悪人はボクの職場にも大勢いた。
間違った指示しか出さない上司、無能な先輩、長時間労働で問題を解決する判断。
仕事をする上で悪事に手を染めなくてはならなかった。それは私にとって自傷行為のようなものだった。
仕事のことを考えると寝れなくなった。職場に行くことを考えると吐き気に襲われた。職場では激しい動悸が止まらなかった。
「抑うつ状態」
それが最初に出された診断だった。
何もする気にならない。私の気持ちに沿った言い方をすると、間違ったことは何もしたくない。
診断のおかげで仕事を離れることが出来た。診断書を貰えば給料の7割が保障された。
だが仕事を離れても変わらなかった。
仕事がなくなった分、私は街に出る時間が増えた。街は悪で満ち溢れていた。
最初のころは我慢した。自分は働くことすら出来なかった人間だ。悪事を正す資格なんてない。ただ黙って見過ごしていた。
やがて仕事をしていた時と同じ感覚に襲われた。悪事を見過ごすことは、悪事に手を染めるのと同じだった。腹の中が熱く燃え上がり、途轍もない怒りが沸き上がった。
少しずつ、私は悪事を正すことを始めた。酒を飲んで騒ぐ人、無灯火で走る自転車、走り回る子供を無視する親。そういった人々を注意するようになった。
大体の人はバツが悪そうに、口だけの謝罪を述べた。彼らだって面倒毎に関わりたくはないのだろう。私はそういった表面上を取り繕う態度にも腹が立った。
ある日、問題が起きた。何度注意をしても態度を改めない若者がいた。
私の中でどうしようもない怒りが、はらわたを焼き尽くし、つま先から頭のてっぺんまで憎悪に満ちた。
私は若者の胸倉を掴み、大きな声を上げた。
任意同行という形で警察署に連れていかれた。私は悪人ではないから、警察の言うことには協力した。
取調室で調書を作り、指紋を記録し、口腔内のDNAを採取された。まるで犯罪者のような扱いだった。
相手に怪我は負わせていないから、微罪という形で警察から注意を受けた。
ようやく私は気付いた。悪人は私の方だった。
次の診察で私はそのことを話した。主治医の先生は簡単なテストを受けて欲しいと私に2枚のA4用紙を渡してきた。
1枚目は○×問題だった。
「次に書かれている行為が正しいと感じたら〇を、間違っているを感じたら✕を付けてください」
私は直感に従って回答した。
2枚目は記述問題だった。
「あなたは線路で作業している人たちを俯瞰しています。そこにブレーキの故障したトロッコが走ってくるのが見えました。トロッコの先には4人の作業員がいて、このままでは4人の作業員は命を失ってしまいます。あなたの手元には線路を切り替えるレバーがあります。レバーを操作すればトロッコの進路を変更できますが、変更した先の進路には1人の作業員がいます。進路を変更すれば、その1人の作業員が命を失ってしまいます。あなたはレバーを操作しますか?その理由を含めて答えてください」
もしこれが入試問題だったら、私は不合格だっただろう。私はレバーを操作するかどうか、その答えを出せなかった。その代わりに、その理由をA4用紙の端まで書き尽くした。
この問題は理想条件に基づいた問題で、現実では滅多に起こりえないということ。
人の命が平等だという前提で、その数によって評価を行っていること。
自分の介入でその評価を変えることが正当かどうかという問題であること。
そして理想条件に不備があること、それは人の命が平等だと仮定していること。
この問題に登場する5人の善性・悪性に関する評価が抜け落ちていること。
それを踏まえたうえで、4人の命と1人の命を評価することが可能になるということ。
問題に出された条件で決断出来るのは、人の善悪を無意識に知覚できる神のみであるということ。
「過剰正義性問題」
そのまた次の診察で私が受けた診断だった。
自分の中に明確な善・悪の線引きがあり、その区別と処罰に関して強い執念を持つ精神上の問題。
世の中の99%は悪人だと思っていた。
だが私は残り1%の善人ではなく、ただの異常者だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます