彗星の本 四節 消え行く彗星

星明かりで照らされた夜のロンドンはなんとも美しい光景である。

忙しない昼時とは異なり、人々は家に戻って寝静まる夜の時間は特別さを感じてしまう。

カレッジのベランダに一人の影が揺れる。

絹のような白髪は腰まで伸び、頭部の下で一つに束ねている。風に揺れるさまは心地よさそうだ。

その後ろにもう一つやや短い影。

緑髪は左右に細長く伸び、そこまで揺れていない。

そしてもう一つ。二人より一歩後ろに立つ少女の姿があった。


「わぁ!今日の彗星はきれいですね~!」


「そうだな」


「ほらみてくださいよニュートンさん!また一つ流れましたよ」


「そうだな」


「……流れ星にお願い事をすると夢が叶うらしいですよ」


「そうだな」


「僕の話、聞いてないですよね」


「そうだな」


賢明に話を振るも、素っ気ない返事を返し続けるニュートンの視線は空に吸い込まれていた。

それに気づいたのか、ハレーもため息をつくだけで二人で黙々と空を眺めている。

ただなんの会話もなく、流れ続ける彗星を眺める男性二人を傍目に少女は呆れていた。


「変な二人……」


呆れるのももっともなのかもしれない。

ニュートンに雑といえる扱いを受けても尚、彼の天才に心酔しているのか傍にい続けるハレーは奇妙としか言えない。

時折怒鳴られ、理不尽な言葉を浴びせられてもニュートンの希望を叶えるさまは今までのケヴィンにとっては都合の良い家来、奴隷であった。


「一緒にいて嫌にならないのかな……」


ニュートンに隠れてため息をつき、疲労の重なっているハレーを見れば自然と湧く疑念である。

しかし、何十年分も観察していれば応えもまた自ずと出てくる。


「まぁ、嫌でもないんだろうなぁ」


心の底から愛想を尽かしていたら根気よくニュートンの傍にはいないのだろう。

本の出版、学会への論文提出、論争の補助、観測の手伝い。

ここまでのことは、学問に興味があるから、ニュートンの才能を借りたいからだけでは説明がつかない。

少なからず、ニュートンのことを友人としても師としても慕っているからこそのここまでの行動なのだろうと、ケヴィンは容易く想像できた。

真偽は定かでは無い。

それでも、孤独だったニュートンを誰かが支えようとしている事実には胸が温まるものがある。


 天才であろうと、頭を悩ますものは尽きないものだろう。

凡人は天才には叶わないが、分かり合えることは当然出来る。心を通わすことだって、時間をかければできるのだ。


「……かえりたいな」


ご満悦の笑顔を浮かべ、彗星の光に少女は目を細める。

今回は誰ともかかわることは無かった。人と人の間を通り抜ける彗星となっていたが、それはそれでよかったのだろう。

視界がぼやける。

体の輪郭が揺れ動く。

そろそろここを立ち去る時間である。

見る者はもう見た。天才も腐るほど見たし、それに寄り添う凡人の姿も見た。

どちらも輝く星々であった。

どうあがいても少女自身がなれるものではないのだろう、と。

諦観するようなものであった。


「ばいばい。ハレーさん」


少女の身体が光の粒子へと変わっていく。ふわりと粒子が空気にのって漂う瞬間。


「あれ?今誰かいたような……」


「気のせいじゃないか?」


ハレーは消え行く彗星が回帰するのを確かにとらえていた。


魔法使いはまた一冊本を閉じる。手元にある林檎の刺繍が入った本の上に重ねれば、立ち上がり新たな茶葉を取りに行った。

次はハーブティーにでもしようか。

そう口ずさみながら、アリスが戻ってくるのを心待ちにしていた。

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