ネット小説になろう系が増える理由

 まず初めに、なぜカクヨムやなろう、ハーメルンなどの、いわゆる「ネット小説」というものに、なろう系が増えるのかを考察していく。

 とはいえ、この理由は単純明快。ところで、私はこのあいだこんな考察を見た。要約すると、

「今の人は想像力がないから、同じような物しか書けないんじゃないか?」

 とか、

「オリジナリティのある物を書こうとするのを恥じている」

 とか、こんな感じの事を言っていた。私が思うに、これは全くの間違いで、今の人の想像力は、昔の人と大して変わらないのだ。

 その理由として、なろう系でよくある「能力」を活かしたストーリーだ。

 単純な能力から、それを応用させ戦闘や生活に活かす、これは、なろう系が人気な理由の1つでもあると思う。

 売れているなろう系は、ここら辺がしっかりしていることが多い。

 純文学でストーリー自体の哲学的構成を考えるように、なろう系は能力の活かし方を考えているのだ。

 少し話が逸れたが、本題に戻ろう。

 なぜネット小説には、なろう系が多いのか。

 それは、ネット小説特有の手軽さが、人々をなろうへと駆り立てているからだ。

 手軽にアカウントを作り、手軽に書き、手軽に公開。この手軽さこそが、なろう系を生み出している。

 手軽に作品が書ける場所で、作者は、わざわざ死生観を練りこんだり、哲学的思考を入れたりしようとしないだろう。普通の人の感性として、能力をどう活かすかと考える方が、圧倒的に楽しいだろうし。

 そもそも、そういう、物語の死生観、哲学なんてのは、ユーザー自体も考えようとは思わないだろう。それが分かっているため、なろう系作者は需要のあるなろう系を書くのだ。

 その上、そういうの…つまり純文学を書く人は、大抵口が固くて、文章にヒントを与えたきり、黙ってしまう。どんな素晴らしい考えがあっても、文に隠してしまう。

 上にあげた能力を活かすというのは、非常に楽で、ユーザーも分かりやすい。なぜなら、キャラクターがいちいち解説してくれるし、伏線や死生観も並レベル入れてあれば、能力の特異性だけで、他の作品とは頭1つ抜けることができる。

 つまり、ネット小説という場所は、なろう系にとっての楽園であり、逆に純文学などにとっては地獄である。

 なのに、好き好んでネット小説で純文学を出すというのは、全くもって狂気の沙汰であり、時間の無駄である。それをやっているユーザー諸君は、即刻、自分の物語を原稿用紙に書き、出版社にでも持ち込むのがよろしい。もっとも、「手軽に」純文学なんて書いてる時点で、売れる保証は低いと思うがね。

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