Monsters-in-law ~episode.8『姑』~

二木瀬瑠

Monsters-in-law ~episode.8『姑』~

 毎朝8時半近くになると、公園に集まって来る制服を着た親子連れ。


 ほどなくして到着した幼稚園バスに、保育士さんに誘導されて、お行儀よく順番に乗り込む子供たちに、手を振りながらお見送りするママたち。


 しばらく井戸端会議を繰り広げた後、自宅へ戻って行くのが、毎朝公園前で繰り返される光景です。


 同じころ、町内を巡回するマイクロバス。


 こちらはデイサービスの送迎車で、利用者のお宅を一軒一軒回り、スタッフさんに介助されて乗り込んだおじいちゃんおばあちゃんを、玄関前でお見送りするご家族。


 夕方戻るまでの間に、山積みの仕事を片付けるべく、そそくさと自宅へ戻って行かれるのも、この町ではよく見かける光景です。


 子供も高齢者もいない我が家は、そうした慌ただしい日常とは無縁で、もう何年も代わり映えのしないルーティンを繰り返す毎日でしたが、会話の中で、お子さんの進学や就職、お年寄りのその後を聞き、



『あれからもう、そんな歳月が過ぎたのか』



 と驚き、自分も歳を取るはずだと、思わず苦笑することが増えました。





 私の名前は、松武こうめ。とある巨大な新興住宅地に住む、専業主婦です。


 現在、時刻は午前十時過ぎ。道路に面した二階の窓から葛岡さん宅を眺めると、おばあちゃんがお庭でお洗濯物を干している姿がありました。


 ごみの日には、必ずお姿をお見かけしますが、それ以外の日はお洗濯物が干されていればOK、もし干されていなければ、必ずお声掛けをするようにしていました。


 お昼間はおばあちゃん一人になるため、一度も外に出た形跡がない場合、屋内で倒れていることも考えられ、同様に、夕方にお洗濯物が取り込まれているかも、要チェックです。


 たまにコロッと忘れていらっしゃることもありますが、身体も頭も、ついでにお口もお達者で、毎日元気に過ごしていらっしゃいます。





 葛岡さんの奥さん(長男嫁)が別居宣言をしてから、タイムリミットの一年が経とうとしていましたが、おばあちゃんのお引っ越しは、未だ完了していませんでした。


 そのわけは、次男さんのほうで起こった不測の事態が原因でした。2年前に結婚した長女(おばあちゃんの孫娘)が、半年前に、当時1歳五か月の子供を連れて出戻って来たのです。


 離婚が成立した時には妊娠6か月、出産・育児は実家(次男さん宅)ですることになり、ちょうど出産時期と引越しのタイムリミットが重なってしまったのです。


 おまけに上の子がイヤイヤ期に入るため、状況が落ち着くまでの半年間、おばあちゃんの引っ越しを待って欲しいと次男夫婦が頭を下げてきたため、やむを得ずの措置でした。





 その後も、おばあちゃんを筆頭とする『ババ友軍団』による葛岡さんへの中傷は治まるところを知らず、ターゲットは奥さんの交際相手の綾瀬さんにまで及んでいました。


 そもそも、同居していた長男さんは、ずっと昔に事故で他界しており、本来扶養義務のないお嫁さんとその長男(おばあちゃんの孫息子)との同居を強行し、居座り続けていたのです。


 それを、葛岡さんとの不倫関係が綾瀬さんの奥さんにバレ、葛岡さんが略奪する形で綾瀬さんは離婚、おまけに父親の綾瀬さんが、中高生の二人の子供に対し虐待をしていたなど、まあ次から次へと、よくそんなデタラメをでっち上げられるものだと感心するほどです。


 次男さん宅への引っ越しが延期になったことにしても、葛岡さんと次男嫁さんとでおばあちゃんを押し付け合って、双方が引き取りを拒否しているだのと、ババ友軍団の妄想は留まるところを知りません。


 おばあちゃん自身、この家を出て行くつもりはありませんでしたが、次男嫁から拒否されていると聞けば、それはそれで面白くありません。


 暇と不満を持て余しているババ友軍団、毎日お昼間に葛岡家へ集まっては、



「まったく、とんだお嫁さんたちだわよ!」


「私たちの時代は、お姑さんに逆らうなんてこと、絶対にしなかったわよねぇ!」


「そうよそうよ! 何言われても、ちゃんと『はい』『はい』って言うこと聞くのが当たり前だったわ!」


「葛岡さん、可哀想に! あんな人たちに、絶対負けちゃ駄目だからね!」



 と、ババ友軍団が祀り上げている状態です。


 周囲の意見に感化されやすいおばあちゃんは、すっかり悲劇のヒロインになりきっていて、涙を浮かべながら、



「ありがとう~! みんな、ありがとうねぇ~! 私、絶対に負けないように頑張るわ~!」


「そうよ! その意気よ!」


「必ず、ぎゃふんと言わせてやるわよ~!」



 そう言って、一人一人と握手を交わすのですが、感極まるあまり、いったい敵が誰で、何をどうすれば誰がぎゃふんと言うのか、本人にも分からなくなっている様子でした。





 ところが、ババ友軍団が帰宅すると、途端に孤独感に襲われるようで、目についた通行人やご近所の人を捕まえては、愚痴を言い始めるのです。


 先日も、草むしりをしていると、



「お庭が綺麗になるわねぇ~」



 と、いきなり真横からおばあちゃんに話しかけられ、飛び上がりそうになったほどです。



「もう、びっくりしたー! 葛岡さん、いつからそこにいたんですか!?」


「うん、さっきからねぇ~」


「皆さん、もうお帰りになったんですね」


「そうだねぇ~。たくさんお話したんだけど、何だかまだ話し足りなくてねぇ~」



 そう言って、一緒に草をむしるでもなく、私の手の動きを眺めては溜息をつくばかり。



「私で良ければ、お話を聞きましょうか?」


「あなたは口が軽いから、他人にペラペラ喋られても嫌だしねぇ~」


「そうですか。じゃあ、聞きません」


「さっきもねぇ~、みんなが、うちの嫁さんと次男の嫁さんで、私を押し付け合ってるって言うじゃないの~。あなたたちの世代の人は、いったい親を何だと思ってるのか、親に対する尊敬の気持ちってものが、ないのかしらねぇ~?」



 私では嫌だと言っておきながら、一方的に話し始めるおばあちゃん。


 答えや意見が欲しいのではなく、自分の思いを吐き出したいだけなので、肯定も否定もせず、時々相槌を打ちながら、ただただ草をむしる手を動かし続けて聞いていました。


 時に語気を荒げたり、落ち込んだりしてはまた最初に戻り、同じ話を何度も繰り返すことをどれくらい続けていたのか、ふと、ぽつりと言ったおばあちゃんの言葉に、思わず草をむしる手を止めた私。



「ホントの事を言うと、私、悔しくてねぇ~」


「…え?」


「だって、あの家は息子が建てたのに、息子がいない家に、息子の知らない男の人が泊まってるって、何だかおかしな話だと思わない~?」


「ん~、難しいですね~」


「死んでしまった息子が悪いって言われたらそれまでだけど~、今までず~っと暮らしてきた家も、嫁さんも、横取りされたような気になって、どうにも腑に落ちなくてねぇ~」


「そうですか」


「みんなは、絶対に出て行くことないって言うけど~、もしもこのまま追い出されるようなことになったらって思うと、なんだか自分が惨めでねぇ~」



 おそらく、それがおばあちゃんの本音なのでしょう。


 心配するふりをしながら、面白可笑しく囃し立てるババ友軍団にすっかり感化され、お嫁さんの悪口を吹聴しているものの、プライドの高い彼女にとって『悔しさ』と『惨めさ』こそが、最も受け入れ難い部分なのだと思います。



「まあ~、あなたにこんなこと喋っても仕方ないんだけどねぇ~」


「そうですね」


「ねぇ、ちょっと~! 今の話、誰かに喋ったりしないでよねぇ~! あなたは口が軽いんだから~!」


「はいはい、分かりました」



 悪びれもせず、いつもの悪態をつくおばあちゃん。


 この町に引っ越して、最初に面と向かってこれを言われたときは、我が耳と彼女の人格を疑うほど動揺したものですが、彼女との長い付き合いで、この悪意のない暴言にも今ではすっかり馴染んでいました。


 延々と繰り返すおばあちゃんの愚痴を、適当なところで切り上げることも、もうお手の物になっていましたが、なんだか今日はそれも不憫に思え、そのまま耳を傾けることに。


 夕方の時代劇が始まる時間になれば、さっさと自宅に戻って行くという、すべては自分中心で、そういうブレないところも、おばあちゃんの魅力でもあるのです。





 ババ友軍団の間で、もう一家族、ターゲットになっているお宅がありました。


 軍団の一人のお舅さんが通われているデイサービスに、ここ最近、週2回のペースで利用されるようになったおばあちゃんがいらっしゃいます。


 半年前に脳梗塞を患い、左半身に麻痺が残ったそうで、身体が不自由になった自分に復讐しようと、お嫁さんから虐待されていると訴えているのだとか。


 同居する家族(特にお嫁さん)を悪く言うお年寄りは珍しくありませんが、さすがに『虐待』というワードが出た以上放置するわけにも行かず、念のためケアマネージャーさんから、ご家族に事情をお尋ねするという事態に発展したのでした。





 虐待疑惑が持ち上がったのは、磯貝さんとおっしゃるお宅です。


 磯貝さんの奥さんとは、今から三年ほど前に、フラワーアレンジメントのお教室でご一緒になり、以来仲良くさせて頂いていました。


 彼女はとても穏やかな性格で、話し方もほんわかされていて、一見のんびりしているように見えるのですが、とても責任感が強く、何よりやることがてきぱきしていて、卒がないタイプの女性でした。


 昨年、ご主人の母親が脳梗塞で倒れたとお聞きし、その後、ご自宅で引き取ることになった経緯を伺って、とんでもない義家族だということを知った次第です。




     **********




 磯貝さんご夫婦(雅樹さん・望美さん)が出逢ったのは、ふたりが大学生だった頃。同い年で同じ学部、サークルも同じで話が合い、交際に発展するのに時間は掛かりませんでした。


 交際は順調に続き、25歳を過ぎた頃から、お互いに結婚を意識するようになったふたり。交際期間も7年になり、仕事も私生活も順風満帆、後はそれを切り出すタイミングのみでした。


 そんな折、望美さんの妊娠が分かり、お互いの両親に報告することになったのですが、大歓迎の望美さん側に対し、問題は雅樹さん側。『婚約者』としてご挨拶に伺った彼女に、母親が放った言葉は、



「どうせ、うちの財産が目当てなんだろう? 息子を誑かして妊娠までして、何てふしだらで計算高い女なんだか!」


「母さん! 何てこと言うんだ! 今すぐ取り消して彼女に謝れ!」



 母親の暴言に、激怒して撤回と謝罪を求める息子を無視し、一緒にいた父親が宥めても聞く耳持たず、高圧的な態度で暴言はエスカレートする一方です。


 これではとても挨拶どころではないと、一旦、望美さんには引き取ってもらい、急遽、家族会議を開くことに。


 雅樹さんの実家は、自宅の土地建物や預貯金、有価証券等を合わせると、総額2億円はくだらず、加えてアパート経営で家賃収入もある資産家で、それらは、いずれ長男の雅樹さんが家を継いだときに、相続されることになっていました。


 彼女のどこが気に入らないのかを問い質しても、『あの女は財産狙いだ』の一点張りで譲らず、息子の結婚に反対するために、根拠のない難癖をつけているとしか思えません。


 そのうえ、出来婚など世間体が悪いから堕胎しろと言い、どうしても産むなら、嫁と子供に財産が行くのは絶対に嫌だから、今すぐこの場で遺産放棄して家を出て行けとまで言う始末。


 如何せん、母親の言い分が尋常ではなく、反対の仕方も常軌を逸しているため、これ以上話し合っても埒があかないと悟った雅樹さんは、望美さんと相談し、遺産相続を放棄するという念書を書いて、実家と絶縁したのです。





 この時を待っていたとばかり、雅樹さんの姉で長女の瞳さんが、夫と子供を引き連れ、実家に戻って暮らし始めました。


 望美さんの妊娠に対し、あれだけのバッシングをして猛反対した母親でしたが、実の娘である瞳さんも出来婚でした。


 娘の妊娠を知るや、『男として、責任を取るのが筋だ!』と相手(現夫)に詰め寄り、有無を言わさず結婚に持ち込んだ経緯がありました。


 娘と嫁で言動が矛盾しているのも、あそこまで結婚に反対したのも、すべては実家に入り込みたい瞳さんが、裏で糸を引いていたからだったのです。





 夫の晴久さんは、仕事が続かず転職を繰り返すタイプの人で、瞳さんの妊娠が発覚したときも無職の状態でした。


 心配した父親から『嫁入り持参金』として1000万円を貰い受けたものの、思いがけず手に入った大金に気が大きくなった晴久さんは、さらに働かなくなり、生活費と遊興費であっという間に底をついてしまいました。


 その後も、実家からの援助を受け続けていたのですが、雅樹さんが結婚することを知り、これまでのように親に集るのが難しくなると危惧した瞳さん。


 そこで、あることないこと母親に吹き込み、自分が同居すれば、老後のお世話も財産管理も安心して任せられると洗脳し、母親もすっかりそれを鵜呑みにしてしまったのです。





 瞳さんがそうしたのには、晴久さんの影響もありました。


 まっとうに働きもせず、そのわりに野望だけは人一倍で、いつか大きな事業を展開して必ずビッグになる、と常々大風呂敷を広げていた晴久さんにとって、妻の実家の資産は魅力的でした。


 いずれ両親が他界すれば、ある程度は妻が相続することになりますが、みすみす義弟に取られるのは惜しいと考えるようになり、妻である瞳さんにこう言ったのです。



「俺さ、事業を始めることにしたんだ。絶対に成功させて、今まで苦労を掛けた君と子供を幸せにしたいと思ってる。ただ、そのためには資金が必要なんだけど、なかなかスポンサーがいなくてね…」



 今度こそ、夫が働く気になってくれたのだと信じたい瞳さんは、夫の気が変わらないうちに、早速実家に資金援助を頼みに行ったところ、雅樹さんの結婚を知り、咄嗟にそのような行動に出たのです。


 思った以上に母親が共感したことで、弟に遺産放棄させて追い出し、まんまと実家に入り込むことに成功。実質的に瞳さん夫婦が実家の資産を管理するようになった頃から、雲行きはおかしくなりはじめたのです。





 晴久さんが『事業資金』の名目で実家の口座から引き出したお金は、湯水の如く遊興費に使われ、怪しげな投資にもつぎ込まれました。


 商才も知識もなく、勉強もしないため恰好のカモとなり、勧められるままに投機しては元本割れを繰り返し、資産は減る一方でした。


 あっという間に貯金は底をつき、不動産や株の売却では足りず、実家の土地や邸宅まで担保に入れて、あまり質の良くない金融業者から借り入れしたお金で、これまでの損失を取り返そうと、ギャンブルにまで手を染めた晴久さん。


 一見穏やかな生活の裏側で、そんなことになっていたとは知る由もなく、同居から十六年後に父親が他界した時、総額2億円の財産は、大きなマイナスになっていたのです。


 母親が気付いたときには、すでに手遅れの状態で、住み慣れた自宅も人手に渡り、追い出される形で、狭い賃貸への引っ越しを余儀なくされたのでした。


 せめてもの救いは、負債を背負わずに済んだこと。


 質の良くない金融業者だったため、合法的に破産申請したところで通用する相手ではなく、このままでは一家心中するしかなかった娘夫婦を救ったのは、父親が絶縁した雅樹さんのために隠し持っていた有価証券でした。


 おかげで何とか債務を清算することが出来たものの、これで正真正銘、すべての財産を失ったことになります。





 広い邸宅から、2DKの窮屈なアパート暮らしを余儀なくされた母親と娘家族。


 もともと気性の激しい母親と、自己中な娘婿がうまく行くはずもなく、頻発する口喧嘩は日を追う毎に激しさを増すばかりでした。


 そんなある日、口論の最中に崩れるように倒れ込んだ母親は、救急搬送された病院で『脳卒中』と診断されたのです。


 幸い命に別状はなかったものの、左半身に麻痺が残ってしまい、医師から説明を聞いた晴久さんが言った一言は、



「チッ! ババア、そのまま死ねばよかったのにな~」



 財産を使い果たし、母親の年金で生活している状態の一家にとって、入院介護費用が必要になった途端、『金蔓』から『お荷物』扱いです。



「ホント、こんなことなら、あの時救急車なんて呼ぶんじゃなかったわ」



 すっかり夫に毒されていた瞳さんも、病に伏す母親を邪険にして、病院へは必要最低限しか訪れず、ついには信じられない行動に出たのです。




     **********




 一方、雅樹さん夫婦はといいますと、あれ以来、夫の実家とは絶縁したまま、一度も会うことも、連絡を取ることもありませんでした。


 雅樹さんの母親のあまりにも無礼な態度に、望美さんの家族も怒り心頭で、結婚に大反対。そこまで娘を侮辱されたのですから、当然です。


 それでも諦めず、何度でも謝罪に訪れ、望美さんの両親に結婚の許しを請う雅樹さんの誠実な人間性や、生まれてくる子供のことを考え、ふたりの結婚を祝福してくれたのです。


 結婚後は妻側の磯貝姓になり、今では雅樹さんも実の息子のように、良好な関係を築いていました。





 実家からほど近いマンションで始まった新婚生活。


 半年後に長女の円華(まどか)ちゃんが誕生、その二年後には長男の和樹(かずき)くん、さらに二年後に次女の絆菜(きずな)ちゃんが生まれ、賑やかな5人家族になった磯貝家。


 子供たちのお宮参りや初節句、入学、卒業といった節目の行事には、望美さんの親族だけで御祝いし、雅樹さんの実家には、円華ちゃんが生まれたことも報告しておらず、和樹くんと絆菜ちゃんに関しては、存在すら知りません。


 報告だけでもしたほうがよいのではと、望美さんから雅樹さんに進言したのですが、



「もう、僕の親はこの世にいないと思ってるから」


「でも、知らせなかったことで、後々トラブルになったら…」


「逆に、知らせたことで、望美や実家の皆に嫌な思いをさせるくらいなら、余計な波風立てる必要なんてないよ。それ以上に、下手に関わって子供たちが傷つくのだけは、絶対に許せないから」



 それは、皆が最も危惧していたことでした。大きくなるにしたがって、子供たちもいつかは父方の祖父母の存在がないことに気が付くでしょう。


 そこで、小さいうちは『遠くに住んでいるため、なかなか会えない』というニュアンスの説明をし、成長して、本人から突っ込んだ質問が来たときに、『結婚に反対だった』とだけ伝えることにしたのです。


 子供たちは、まったく交流がないことに多少の疑問はあったものの、本人たちなりに受け入れたようで、誰一人それ以上深くは追及せず、自ら会いに行きたいと言うこともありませんでした。


 そんな磯貝さんファミリーがこの町にマイホームを建てたのは、円華ちゃんが幼稚園の年長のとき。翌春、大きなランドセルに悪戦苦闘していたピカピカの一年生も、今では立派な高校生です。


 父親の実家との交流がないことを除いては、至って普通の生活を送る、幸せな家庭だったのです。その日までは。





 近頃は、連絡はもっぱら携帯ばかりで、家電が鳴ったのは久しぶりでした。


 日曜日で、リビングでくつろいでいた雅樹さん。ディスプレイに表示された番号に心当たりはなく、どうせ勧誘か何かだろうと思いながら出ると、心当たりのない病院からでした。



「そちらは、磯貝雅樹さんのお宅で宜しいですか?」


「はい、雅樹は私ですが?」


「近藤真知子さんは、お母様で間違いありませんでしょうか?」



 ほとんど記憶から消えかけていたその名前に、軽いフラッシュバックを覚え、動揺する気持ちを抑えながら要件を尋ねると、告げられたのは予想だにしない驚愕の事実でした。


 事務員によると、お世話をしていた長女から、今後は長男が面倒を看ることになったので、こちらに連絡するように言われたそうです。


 実家とは絶縁して以来、一度も連絡を取っておらず、なぜ自宅の電話番号を知っていたのかも謎でしたが、すでに書類の変更手続きも済んでいるとのこと。


 さらに、入院費の支払い期限が過ぎており、このまま支払いがなければ、入院規則で退院しなければならず、早急に清算するようにと告げられたのです。


 意味が分かりませんでしたが、詳しいことを聞くため、ひとまず病院へ行くことにした雅樹さん。望美さんも一緒に付き添ってくれるというので、急ぎ病院へ向かいました。





 事務局で見せられた身元保証人変更の書類には、雅樹さんの署名捺印がされていたものの、勿論、それを書いた覚えはなく、筆跡も別人のものでした。おそらく、姉夫婦が勝手に名前を使ったのでしょう。


 母親が入院したのは先月のこと。一昨日、家族の女性(おそらくは瞳さん)に先月分の清算が済んでいない旨伝えたところ、先ほどの内容を言われたそうです。


 変更書類を受け取った際、『後で弟が来るので、医療費の請求はそちらに回して欲しい』と言われ、待っていたのですが、今朝になっても来る気配がなく、記載された電話番号に連絡したということでした。


 正直、雅樹さんも望美さんも、頭の中は疑問符でいっぱいでした。


 そもそも、十七年も前に自分から絶縁しておきながら、なぜ今になって身元保証人に指名するのか、相続放棄までさせたにも関わらず、なぜ医療費の支払いを請求するのか、なにより、なぜ自分の連絡先を知っているのか。


 心当たりは、雅樹さんが絶縁した当時の事情も知っていて、とても心配してくださった伯父一家の存在でした。唯一、今も年賀状の遣り取りがあり、現在の連絡先を知っているのはそこだけです。


 確認のために連絡を取り、そこで初めて、一年も前に父親が他界していたこと、姉夫婦が実家の資産をすべて使い果たし、家や土地も他人に渡っていたことを知った雅樹さん。



「一昨日だったか、瞳ちゃんから電話があってね。雅くん、両親と絶縁してるから、お父さんが亡くなったことも知らせられなかったって、瞳ちゃん、すごく悔やんでて。今度はお母さんが脳溢血で倒れたものだから、また同じ後悔をしたくないから、連絡先を教えて欲しいって頼まれたんだよ」



 実家の財政が破綻した経緯を知っているだけに、伯父夫婦も怪しいと思ったものの、『親の死に目』といった人の情につけこまれ、急かされたために伝えてしまったそうです。


 まさかこんなことになるとは思いもしなかったようで、



「いやあ、本当に申し訳ない! こっちから雅くんに事情を伝えて、折り返し連絡を取るようにすれば良かったね」


「いえ、とんでもないです! こちらこそ、伯父さんたちまで巻き込んで、嫌な思いをさせてしまって、却って申し訳ありません」



 思いもしなかった展開でしたが、このまま放置するわけにも行きません。


 自分たちの結婚に反対し、遺産相続の放棄までさせ、絶縁状態にした元凶であり、脳卒中で半身不随になり、一文無しで長女家族に放り出された母親の、入院中の医療費の支払いを含め、今後の処遇を決めなければならないのです。


 伯父から聞いた瞳さんの番号に電話を掛けたのですが、どうやら着信拒否されている様子。


 念のために母親の持ち物を確かめると、保険証以外、現金や通帳・キャッシュカードなどの類はなく、作為的に自分が押し付けられたのだと確信しました。





 これまでの経緯を考えれば、到底母親の面倒を看る気になれない雅樹さん。望美さんの両親に、今更どんな顔をして伝えるというのか、困り果てていた雅樹さんに救いの手を差し伸べたのは、望美さんでした。



「とりあえず、うちが身元保証人になっている以上、お義母さんの面倒を看るしかないじゃない?」


「けど、あれは姉貴が勝手に偽造したもので…!」


「そうは言っても、入院費を滞納して、病院にご迷惑をお掛けするわけにも行かないし、とにかく、やることだけはちゃんとやろう?」


「…すまない! 本当に、申し訳ない…!」



 誰よりも母親に傷付けられたというのに、妻の懐の広さに、思わず泣きそうになりながら、頭を下げたのでした。





 とりあえず入院費を立て替え、今後に関しケアマネージャーさんにお話を伺ったところ、母親は75歳を超えているため、後期高齢者医療制度で医療費の本人負担が1割になるとのこと。


 さらに高額療養費制度により、月ごとに一定以上の医療費はかからず、年金生活者の場合、入院費用は受取金額に応じた上限になるのだそうです。


 ですが、その手続きをしようにも、母親の年金に関するものは瞳さんが持ち去ったらしく、年金振り込み口座の通帳もカードもありません。


 本来なら、医療費もそこから支払いたいのに、自分たちで負担するのも大変だと、フラワーアレンジメントの教室で、磯貝さんからお聞きした私たち。



「それなら、年金手帳を再発行して貰って、振り込み口座ごと変えちゃうことは出来ないの?」


「それが、今は何するにも本人確認が必要でしょ? 本人は入院してて、半身不随で動けないし、年金番号も分からないって言うし、もうどうすりゃいいのよって感じで」



 困ったときは、プロの力を借りるのが一番。というわけで、公私共に長年のお付き合いのある『穂高法律事務所』を紹介しました。


 穂高先生は、すぐに母親『近藤真智子』さんの年金番号を調べ、『成年後見制度』を申請することを提案。


 成年後見制度とは、認知症などで判断能力が十分ではない人を、法律的に支援・援助するための制度で、家庭裁判所で選任された後見人が、必要な代理行為を行ったり、本人の財産を適正に管理していくというものです。


 瞳さんのように、親族が勝手に財産を使い込むというケースは結構あるようで、すでに使われてしまった分は取り返せませんが、今後受け取る年金を勝手に使われないための対抗策になります。


 もし今後、瞳さん夫婦が年金を詐取する目的で、母親を転院させようとしたり、年金の受け取り口座を変更しようとした場合、実の娘であっても、法廷後見人ではないため勝手な行動は出来ません。


 法廷後見人は、親族がするのがベターですが、親族間に争いがある場合、弁護士等の第三者が選任されることもあります。


 今回の場合、二人の子供の内、長男の雅樹さんは母親の面倒を看る意思を示しており、長女の瞳さんは介護を雅樹さんが引き継ぐ旨を、病院関係者に口答と書類で伝達していたため、法廷後見人は雅樹さんに確定しました。


 早速、年金の振り込み口座を変更したところ、現金なもので、振り込み日当日、それまで連絡がつかなった瞳さんから、烈火の如く怒りまくった電話が掛かって来たのです。



「ちょっと、あんた! どういうつもりよ!? 年金が入ってないから、年金機構へ確認したら、口座が変更されてるって言うじゃないよ!?」



 どういうつもりも何も、もともとそれは母親の年金で、同居もお世話もしていない瞳さんが受け取るものではないのですが、唯一の収入源を断たれた姉一家にとっては、死活問題です。


 呆れながらも、これまでの経緯を丁寧に説明した雅樹さんに、



「だったら、お母さんはこっちで看るから! さっさと年金返して、口座も元に戻しなさいよね!!」



 と、吐き捨てるように言い、電話は切れました。


 勿論、瞳さんに母親を転院させることは不可能。そんなことをすれば、不法行為になります。


 合法的に裁判所に不服申し立てをしようにも、期限の2週間はとうに過ぎており、仮に後見人の変更を申請したところで、経済的、生活環境、人間性、どれをとっても、適性審査で瞳さんが選任される可能性は限りなくゼロに近いことは言うまでもありません。


 しばらくの間、嫌がらせの電話は続いていましたが、これ以上続けるのなら、こちらも法的手段に出ると言った雅樹さんの一言で、



「覚えてなさい!」



 と捨て台詞を吐き、以後ぴたりと連絡は途絶えたそうです。




     **********




 一方、当の母親ですが、長女夫婦に見捨てられ、さぞかし落ち込んでいるかと思いきや、相変わらず高圧的な態度のままでした。


 退院後は雅樹さん宅で自宅介護になり、身の回りのお世話をしている望美さんに対し、感謝するどころか文句の嵐です。


 おまけに、率先して望美さんのお手伝いをする子供たちに対しても、



「お前たちなんか、孫だと思ってない! そうやって媚び売って、どうせあたしの財産が目当てなんだろう!? ははーん、そうか、母親にそうしろと言われたのか!?」



 などと、暴言を吐く始末。


 子供たちも呆れて、それでも介護をやめない望美さんに、



「何あれ!? あんな老害、もう、ほっとけばいいのに!」


「そうだよ! あんなこと言われて、やってやる必要あるの!?」


「うちで面倒看る筋合いじゃないんだから、追い出しちゃえばいいじゃない?」



 と言うのですが、



「おばあちゃんは行くところがないんだから、それは人としてしちゃいけないことなのよ」



 と優しく諭し、黙々と続けるのでした。


 勿論、雅樹さんも母親の暴言に対し、きつく注意するのですが、



「何言ってんだ! あの女、まともに介護も出来ないくせに、あたしの財産目当てに、子供まで使って媚び売って!」


「いい加減にしろよ! だいたい、姉ちゃんに全部使い込まれて、あんたにはもう財産なんてないこと、自覚しろよ!」


「何だって!? お前まであたしを馬鹿にして! すっかりあの女に洗脳されてしまって、本っ当に情けないったら!」



 と逆ギレするのです。


 脳にダメージを受けているため、どこまで認識しているのか定かではありませんが、彼女にとって唯一お金だけが信じられるものなのかも知れません。


 絶縁したと言っておきながら母親を引き取ったことに対し、望美さんの両親から嫌味を言われたのですが、それを取りなしてくれたのも、望美さんでした。


 一生、妻には頭が上がらないだろうと思う雅樹さんでした。





 淡々と介護を続ける望美さんに対し、やれ介護の仕方が悪い、態度が悪い、親に対する姿勢がなっていないと文句をつけては暴言を吐く母親。


 今後は週に2回デイサービスを利用して、プロの介護を受けることにしたのですが、嫁が楽をしたいために自分を施設に追い遣ったと悪口を言いふらし、挙句には嫁に虐待されていると言い出す始末です。


 さすがに『虐待』と言われては聞き流すわけにも行かず、では具体的にお嫁さんからどんなことをされたのかを尋ねると、



「あたしは身体が不自由で、出掛けることも出来ないから、誰も話し相手なんていないのに、息子の嫁ときたら、自分から話もしなけりゃ、にこりともしないし、嫌々やってるのが見え見えで、心がこもっていないんだよ!」


「なるほど。それで?」


「自分が出掛ける日なんて、昼ごはんにパンと牛乳を置いてくんだよ! こっちは食べるのだけが楽しみだっていうのに、手抜きもいいところじゃないか!」


「他には?」


「おまけに、留守中は一人でトイレに行けないからって、無理やりおむつをさせられて、こんな辱めを受けるくらいなら、死んだ方がマシだよ!」


「お嫁さんは、どうしてそんなことをすると思うの?」


「どうせ、昔結婚に反対したことを逆恨みして、あたしの身体が不自由になったのをこれ幸いに復讐してるんだよ!」



 後遺症で左半身が麻痺しているため、基本的に生活全般で介助が必要なのですが、幸い利き手側が使えるので、介助があれば食事やおトイレなど、一通りのことは自力で出来ていました。


 普段、望美さんは彼女のために消化の良い食事を作り、右手だけで食べられるように、器や身体を支えるなどの補助をしていましたが、フラワーアレンジメントのレッスン日は、一人でも食べられるようにと、パンとストロー付きの牛乳やジュースのパックを用意していたのです。


 また、一人ではおトイレへの移動も無理なので、その時だけ紙おむつを着用していたのですが、これらを自分への復讐だと主張。



「じゃあ、真智子さんはどうしたら良いと思うの?」


「決まってるだろう! 嫁なら嫁らしく、ずっと家で親の世話をするのが当たり前じゃないか! それをあの女ときたら、自分が楽することばっかり!」



 勿論、片方の言い分だけで判断することはせず、息子夫婦からこれまでの経緯等の話を聞き、むしろよくお嫁さんが介護を引き受けたものだと感心さえするほど。逆にそこまでの遺恨があれば、人によっては、復讐の手段として虐待を考えてもおかしくないレベルでもあります。


 そのため、雅樹さんの発案で、母親の介護は日誌に細かく記録し、毎日の食事を写真に収め、毎回介助の様子は映像に残しており、その映像のほとんどに、暴言を吐きまくる母親の姿が映し出されていました。


 外出時のパン食も、飽きないように毎回種類を変えたり、片手でも食べやすいように一口大にカットするなどの工夫がされており、おむつに関しては着用させるのが自然で、むしろケアをせずに垂れ流し状態にする方が問題です。


 何年も続けているレッスンに、週に2回、お昼間のたった数時間出掛けるだけで、手抜きだ、虐待だと言われては、介護など成立しませんし、パン食やおむつを嫌がるので、その対応策としてのデイサービスの利用でした。


 家族がお仕事をしている場合、もっと長時間放置されているケースも少なくなく、むしろ恵まれていることを、本人が自覚出来ていないだけなのです。


 説明したところで、自分のしてきたことは棚に上げ、自身が被害者だという主張を変えず、そうした思考でいられることに、スタッフさんたちも呆れて苦笑するしかありませんでした。





 ともあれ、年金も取り戻すことが出来て実費負担もなくなり、介護サービスを利用するようになったことで、金銭的にも、肉体的にも、精神的にも、時間的にも余裕が持てたと、磯貝さんはおっしゃいました。



「でも、お義姉さん夫婦、親の財産全部使い込んだうえに、介護が必要になった母親を押し付けるなんてね」


「ホント、人として最低だわよ」


「お義母さんもさ、こうなっても尚、反省も感謝もしないなんて、介護するほうの身になったら、割に合わないわよね~」


「そうでもないかも」



 磯貝さんの意外な言葉に、驚いて尋ねた私たち。



「どうして?」


「そうよ。お義姉さん夫婦は美味しいとこ取りで、磯貝さんは丸損じゃない?」



 すると、普段は他人の悪口など滅多に言わない彼女が、悪戯っぽい笑みを浮かべて、こう答えたのです。



「確かに、義姉がしたことは論外だけど、それより問題は義母の人間性? 今でこそ半分寝たきりだけど、昔は身体も元気だったわけで、実の娘にさえ放棄されるくらいだもの、もしすんなり結婚して、同居してたらって考えると、ねぇ…」



 その先まで言うには及ばず、背筋にうすら寒い物を覚え、思わずレッスンの手を止め、全員無言で大きく頷いたのでした。


 


     **********




 さて、本日も葛岡さん宅の庭先は大盛況で、磯貝さんへのバッシングで盛り上がる声が、道路を隔てた斜め向かいの我が家にまで聞こえていました。


 不倫や虐待の話がデタラメであることは周知の事実でも、中にはそうであって欲しいと思う人もおり、それがここに集まっている面々というわけです。


 かつて、自分たちが嫁の立場だった時代、今よりずっと嫁姑の関係は厳しく、口答えはおろか、絶対服従くらいの理不尽さだったと口を揃える彼女たち。


 辛い思いを経験しても、立場が変われば見方も変わるのか、二言目には『今どきの嫁は』と一絡げに蔑み、していることは当時の姑たちと何ら変わりありません。



「だいたい、自分が楽したいって理由で、デイサービスを使わないで欲しいわよね!」


「嫁なら、自分とこの姑の面倒くらい、自宅で看ろっての!」



 そう言う彼女たちも、さらに高齢の自分の親の介護に、施設やデイサービスを利用している人が大多数。理由は勿論、少しでも自分の負担を減らすためです。


 言うこととすることが矛盾していようが、虐待などなかろうが、あたかもそれが真実かのように悪口を言うことで、ストレスの捌け口にしているのでした。


 そしてもう一つ。



「ホントにねえ、葛岡さんのお嫁さんも、磯貝さんとこといい勝負よ!」


「息子さんが生きてたら、母親を追い出すなんてこと、絶対にさせなかったでしょうよ」


「おまけに次男のお嫁さんも、同居を拒否してるんでしょ? いったい、親を何だと思ってるんだか!」


「私たちの時代じゃ、考えられないことよね~!」


「そうされた側が、どんなに惨めな気持ちになるか、分からないのかしらね!」


「どうせ、私なんか、息子にも嫁さんたちにも、嫌われてるからねぇ~」



 しんみりして、そう呟くおばあちゃんに、



「ちょっと、ヤダ、葛岡さん!」


「可愛いそうに、そんなこと言わないで!」


「そうよ! 私たちが付いてるじゃない!」



 そうして気遣うふりをして、憐れみながら貶めて行き、自分よりおばあちゃんのほうが不幸であることで、優越感に浸っていたいのです。


 まさに『他人の不幸は蜜の味』。似た境遇の者同士、他所のお嫁さんの悪口を肴に吸う蜜は、極上のテイストなのでしょう。


 そうとは気付かず、涙を浮かべながら息子の嫁の悪口に同調するおばあちゃんに、一緒になって涙を流す様子は、異様な空気に包まれていました。


 そんな魔窟に近づくことは極力避けていましたが、私自身、我慢の限界に来ていたこともあり、今朝回って来た回覧板を抱え、葛岡さん宅の門を潜ったのです。



「こんにちは~。回覧板をお届けに参りました」



 場違いな訪問者に、一斉にババ友軍団の視線が降り注ぎますが、気にも留めずにおばあちゃんに歩み寄り、回覧板を手渡しました。



「どうもご苦労さま~!」


「それじゃあ、お願いしますね」


「ねえ、よかったら松武さんも一緒にお話しない~?」



 帰ろうとした私をおばあちゃんが引き止めると、他のメンバーたちも同調し、この場から逃すまいと、腕や服を掴んで離そうとしません。


 彼女たちの目的は、世間話をしながら集団で嫁世代の人間を攻撃し、普段自分のお嫁さんに言えないストレスを解消しようというのです。


 ターゲットは誰でも良いらしく、このところ何人かがそうした被害に遭ったそうで、注意するようにと、仲の良い主婦グループからメッセージが来ていました。



「だいたいね~、年老いた親を看るのは、嫁として当然の勤めでしょ~?」


「そうよ! それをよく平気で放置出来るわよね~!」


「どうせ、自分のことしか考えてないんでしょ~?」


「私たち世代からしたら、とてもじゃないけど考えられないわ~!」


「もし、何かあったら、どうするつもりなの!?」


「それって、もう虐待よねぇ~!」



 若い世代のような言われ様の私もすでにアラフィフ、同世代には子供が結婚した人もちらほら出始める年齢になっていました。


 それでも、70代を中心とした彼女たちからすれば、ちょうど自分の嫁世代、これ以上ない格好のターゲットです。


 私に集中砲火する彼女たちに大きく頷くと、満面の笑みを浮かべて答えました。



「ホント、皆さんのおっしゃる通りですよ。80歳を過ぎて、一人で自宅に置いておくことに、家族なら心配するのが当然ですよね」


「でも、現にこうして葛岡さんは…!」



 誰かの反論に被せるようにして、先を続ける私。



「そうなんですよね。こうして、お昼間、一人のときに何かあったら大変だから、環境の整った次男さんのお宅に行かれるんですよね」


「とか言いながら、お互いに押し付け合ってるって、専らの噂よ!?」


「ええっ!? 誰がそんなデマを!? どうしたらそんな思考になるんだろう!? ちょっと考えられないわ~! もしかして、お嫁さんと上手くいってないのかしら? デマの噂を流してるのも、その人だったりして~!」



 空気が読めないふりをして言いたい放題の私に、一番痛いところをつかれ、YesともNoとも言えず固まった彼女たち。



「本当なら、次男さん、すぐにでも呼び寄せたかったけど、娘さんのお目出度が重なって、やむなく延期になっちゃったんですってね。家族だけじゃ足りない部分は、私たちご近所の人間が、お昼間様子を見に来たりしてるんですけど。みなさんだって、葛岡さんを心配されて、こうして毎日いらっしゃってるんでしょ?」


「え、ええ!」「も、勿論、その通りよ~!」



 それまで、悲劇のヒロインよろしく、悲しげな様子で私たちの話を聞いていた葛岡さんのおばあちゃんの表情が、少し明るくなったのを確認し、すかさず続けました。



「私みたいな他人は、『ずっと葛岡さんにここにいて欲しいな~』なんて無責任に思っちゃうんですけどね、家族としては、大切なおばあちゃんのことを一番に考えた上での決断ですもの。逆にどうでも良ければ、このまま放っておくでしょう。普通に考えて、そう思いません?」


「でも、だったらお嫁さんの新しい男はどうなのよ!? 何だかんだ綺麗ごと言ったって、所詮姑が邪魔になったってことでしょ!?」



 ババ友軍団の中で、一番弁の立つ橘井さんの反撃に、消沈仕掛けた軍団が、『そうだ』『そうだ』と一気に騒めき立ちましたが、



「そうですね、どんなに建前では綺麗ごとを言えたとしても、亡くなった夫の親と住み続けるって、私なら無理かも知れない」


「ほ~ら! 結局、それが本心なんじゃない! ねえ、皆さん!」


「自分の都合しか考えてない証拠よねえ!」


「長年一緒に暮らしてきた義親を、平気で放り出せる神経がわからないわ!」



 鬼の首を取ったように、嬉々として罵倒する言葉を吐き出す彼女たち。



「おっしゃる通りですよね。放り出す側と、放り出される側、立場が違えば、考え方も違って当然だと思いますよ。どっちの立場だったとしても、最終的に自分が我慢して丸く収まるなら、そうするかも知れないけど、逆に、自分の子供がその立場になったとしたら、また全然違う感情になると思いますし」


「え…?」「それは…」



 同じ状況でも、自分の子供に義親との同居を継続させるかと言えば、即答でYesとは返答しない矛盾。おそらく大半の母親はNoの答えを出すことでしょう。


 結局、所詮は他人事で、自分が渦中にいないからこそ、やいのやいのと口出しする野次馬であることを、少しは思い出して頂けたようです。



「私には、自分の夫や子供を亡くした経験がないし、どうすることが一番いいのかは、その時の状況にもよるだろうな、としか言えません。まだ若ければ、新しいパートナーを見つけるかも知れないし、ずっと一人のままかも知れないし。家族の成長や加齢でも事情は変わるし、人間関係だってずっと同じじゃないし、なかなかシミュレーション通りにはいかないから、みんな悩んだり苦しんだりするんでしょうしね」


「まあ…ね」「そうだわね…」


「でもね、私、思うんですよ。もし何十年後かに、私が困った状況になったとき、葛岡さんみたいに、こうやって親身に心配して集まってくれるお友達が、どれくらいいるのかな~って。ホント、羨ましいですよ」


「…」



 先ほどまでの好戦的な勢いはどこへやら、反撃の言葉を失ったまま、やや後ろめたそうにしているババ友軍団とは対照的に、瞳をキラキラさせながら話に聞き入っていたおばあちゃん。



「そうだよねぇ~! みんな、私のことを考えてくれてのことなんだよねぇ~!」


「当り前じゃないですか。いくらお元気だっていっても、一人でいるときに何かあったらって考えれば、そりゃ~家族は心配しますって」


「てっきり、みんなが私のことを嫌って、押し付けあってるんだとばかり思ってたんだよ~」


「そんなわけないでしょ? ねえ、『愛情』の逆って、何かわかります?」


「う~ん、何だろう? 『憎しみ』かねぇ~?」


「違いますよ。答えは『無関心』。ね? 葛岡さんが家族やお友達からどれだけ愛されてるか、これで分かったでしょ?」


「そうだったんだねぇ~! ありがとう~! みんな、ありがとうねぇ~!」



 さらに目をキラキラ輝かせながら、その場にいた一人一人と握手を交わすおばあちゃん。単純な性格にも助けられ、すっかり自分が愛されているという自信を取り戻したおばあちゃんに、ババ友軍団もこれ以上はマウンティング出来ないはず。


 なぜなら、根拠があろうとなかろうと、勘違いだろうとも、その自己肯定感の高さこそが最強のメンタルの源であり、おばあちゃんたる所以なのですから。





『にっこり笑って、バンパイアの胸に杭を打ち込め作戦』第八弾。


 核を失ったことで、多くの人たちに波及していたババ友軍団の被害は、それ以降ぴたりとなりを潜め、王将(おばあちゃん)を封じての勝利となりました。


 とはいえ、彼女たちも嫁姑問題に悩める仔羊であることに違いなく、ガラスのハートを傷つけないように、そっと静かにガッツポーズです。





 さて、これで一応のわだかまりが消えたおばあちゃん。


 いよいよ本腰を入れて、引っ越しの準備に取り掛かることになったものの、なかなか物事はすんなりとは運ばず。さらにひと悶着もふた悶着もあるのですが、それはまた、別のお話。


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Monsters-in-law ~episode.8『姑』~ 二木瀬瑠 @nikisell22

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