俺は困った犬のお巡りさん

鮎河蛍石

俺は困った犬のお巡りさん

 頭が妙に痒くってしようがない。

 後ろ足で掻いてみるが、いっこう痒みがおさまらねえ。

 畜生、畜生、畜生、落ち着かねえ。

 噛み過ぎて味気が抜けた骨ガムで、気を紛らわそうとしたがどうにも上手く行きゃしねえ。

 状況を整理しようや。


 俺は名前は雛川ひなかわピート。

 俺に物心がついて間もなく、この家の主人、すぐるの夏季ボーナスで買い取られてきた。

 母ちゃんのつらは忘れちまった。だから俺に世話を一番焼いてくれる卓の嫁さん、京華きょうかを母ちゃんだと思っている。

 自己紹介と家族構成が俺の小せえ脳みそをグルグルと駆け巡る。

 さながら幼犬がきだった頃、てめえの尻尾をひたすらバカ丸出しで追いかけまわしたあの時みたいに、頭がテンパリやがる。あの時は、さんざん妹分のかえでにケラケラと笑われた。


 落ち着け俺、舌を垂らして頭を冷やそう。

 早く本題に入らねえとヤツが来ちまう。

 楓ってのは雛川家の一人娘で今年、十四歳の中学二年。俺が引き取られてきた頃、楓は小学校に上がりたての六歳児。楓と会って間もない頃は、姉さんぶって俺に接したもんだ。しかし今となっては、こちとら八年生きている訳で、肉体的にはオッサンも良い所だ。いつまでも若くありたいもんだが、犬の一生ってのは人間様のソレに比べると、あまりにも短い。最近はちょっと走るとすぐ息が切れやがるから、終わりのことをつい考えちまって、ゾッとしねえことおびただしい。

 そんな訳で肉体年齢的に俺が楓の兄貴分って訳だ。

 本当にテンパってやがるな俺。

 本題だって言ってんだろうが!

 思わずうなっちまった…………。


「ピート。あしたね智尋ともひろくんがうちに来るんだ」

 昨日の晩に宿題を片した楓が、俺の頭を撫でくりながら呟いた。

 あんなに目をキラッキラさせながら、はにかむ楓の顔は見たことがねえ。ああいうつらをした人間は、恋ってやつをしていると相場が決まっている。京華の膝の上で一緒に見ていたドラマで、そういう場面をしこたま見たから間違いない。

 つまりこの家に妹分が男を連れてくるって訳よ…………。

 参ったなこりゃ…………。

 いっそバカの振りでもして、てめえの尻尾を延々追いかけまわして、そのまま寝ちまいてえ…………。

 なんだってこんなに緊張するんだ?

 ああ…………楓の足音と知らねえ奴の足音が、散歩コースで最初に折れる辻の方から聞えてきやがる。

 畜生、頭の中で何も整理がつかねえてのに、楓が待ち合わせから帰ってきちまったじゃあねえか。


 落ち着け、俺は猟犬の血を引く、嘱託警察犬だぞ。

 ビーグル界のスーパースター、スヌーピーさんのクールな様を思い出せ。

 ———クソが! 俺にもウッドストックみてえな動物同士のダチ公が欲しい。俺の言葉は人間様には届かねえから、話の通じるダチ公が欲しい。その昔、散歩中にすれ違った鳩に話掛けようとしたが、ビビッてあいつらは速攻で散りやがるし、おまけに楓に叱られちまった。奴さんにしたら、見知らぬ犬ころにいきなり吠え掛けられた訳で、そりゃビビるわなって話だが。

 しょうもねえことを思い出していたら、鍵の開く音がして「ただいま」「お邪魔します」と玄関から、楓と智尋の声が聞こえてきた。

 いつもだったら玄関先で尻尾を振りながら愛想よく、家族を出迎えるんだが、今日はどうにもそういう気分にはなれなんだ。

 調子が狂って仕方がねえ。

 頭が痒い…………。


 俺が夏の熱波でくたばらないように、エアコンが点きっぱなしのキンキンに冷えたこの家のリビング兼、俺の寝室に楓と智尋が入ってくる。とはいえ部屋よりキンキンに冷えてるのは俺の肝っ玉だが。困ってんぞ犬のお巡りさんがよお、意味もなく吠えたい気分だね。

「この子がピートだよ」

「こんにちはピート」

 楓が俺の頭を撫で智尋も俺の背中を撫でた。

 畜生気に入らねえ。

 挨拶もしっかりできるし、犬を撫でるのも大層上手なガキと来た。愛玩動物に触りなれてる手つきだコイツは。毛並みに逆らわない優しい手つきと、背を這うほんのりと温かいてのひらが心地の良く刻むリズムは、素人の撫でくりわざではない。

 クッソ!

 お前はそうやって楓も撫でくり回そうてんだな!

 オイ! どうなんだ?

 現行犯で卓の職場にしょっ引いてもらうぞこの野郎!

「こらピート! お客さんに突進したらダメ! ごめんね智尋くん」

「大丈夫だよ楓ちゃん、遊んで欲しいんだよな。鼻なんか鳴らしちゃって寂しかったのか?」

「ふんきゅーんふんふんくーん」(おれは悲しいのさ! お前みたいな優男に妹分を盗られた気分になっちまってな!)

 いかんいかん、俺は特殊な訓練を受けた嘱託警察犬だぞ、いくら相手が気に入らねえガキだとしても、相手は民間人じゃねえか。俺も成犬おとなの端くれだ落ち着かねえといけねえ。

「ほらねおとなしくなった」

「ほんとだ。でもおかしいなこの子がこんなに、はじめて会う人に興奮しちゃうの初めてだよ」

「警察犬なんだっけピートくん」

「直轄犬じゃなくって、嘱託犬だけど一応警察犬だよ」

「わふ!」(一応は余計だろうが楓よ…………)

「偉いんだなお前」

 智尋のかいた胡坐の上に座って俺は、大人しく頭を撫でられてやる。手を舐めたり甘噛みもしてやらなければ、尻尾も振ってやらない。これが俺にできる精一杯の抵抗だった。

 

 初対面と言えばカイ先輩のことを思い出す。

 カイ先輩は直轄の退役警察犬で俺より四つ年上の厳ついジャーマンシェパードだ。

 訓練所でカイ先輩と初めて出会ったとき、思わず存在感に気圧されてしまい俺は腹を見せちまった。

 「バカ野郎! 星の前でもそうやるのか貴様ッ!」と叱責され。

「俺たちはな、直轄犬だろうが嘱託犬だろうが現場に出張ったら、皆等しく警察犬だ。隙を易々と見せるんじゃあねえ鼻たれ坊主!」と警察犬の矜持を教わったのだ。しかしテンパった俺はいらぬことを口走ってしまう。

「失礼いたしました! しかし本官は災害発生時の要救助者の救助が主たる任務であります!」

「では火事場泥棒が出たらどうする? バディを置いて貴様は尻尾巻いて逃げるのか?」

 鋭い目つきで俺の顔を覗き込むカイ先輩。

「それは…………」

 俺は言いよどんでしまう。

「その迷いが現場では命取りになる。お前はまだ若い鼻たれ小僧だから、それがわからんのも無理はない。プロはいつでも最悪を想定しろ。お前が警戒訓練を受けれんのなら見稽古だけでもしておくんだな。ヘマやらかして、くたばっちまう同僚を俺はもう見たくはない」

 憂いを帯びたカイ先輩のまなざしは、遠い過去に起きた何らかの悲劇を物語っていた。


「すごいもうピートと仲良くなっちゃったね智尋くん」

 俺は昔の事を思い出していたら、あろうことか智尋の膝の上でうとうとしてしまった。これが最悪の事態じゃなかったら何なんだろうか?

 仕方ねえだろ、コイツが犬を撫でるの上手いんだからよ。

 あーばつが悪いったらねえ。

 俺は智尋の膝から飛び出ると、キッチンからリードを咥えて、二人の前に戻った。


「散歩に行きたいみたい」

「いいじゃん行こうよ」

「家に帰ってきたばっかりなのに」

 おいおいおいおい、そんな顔すんなよ楓よ、俺の居た堪れない気持ちってのを家族なら察してくれよ。


 🦴 🦴 🦴 🦴 🦴


 車道側を歩く智尋と歩道側を歩く楓の間に俺が挟まる形でいつもの散歩コースを行く。散歩の休憩がてらに寄った公園のベンチに座った二人の足元に俺も座る。

「本当に熱いったらないねワンころ」

 俺を呼ぶ方を見ると、隣のベンチの影に体の大きなキジトラ柄の雌猫が寝ころんでいた。

「あんた犬の言葉がわかるのかよ」

「あたぼうよ、伊達に野良猫をやっちゃいねえっての」

 キジトラの耳は端がチョコッと切り取られている。

 俺とお揃いで、虚勢済みって訳か。

 シンパシーを感じちまう。

「熱いったらないね」

 俺はベンチで肩を並べてソフトクリームを舐めてる二人を見ながら言った。

「妹分がよ、ああ楓って言うんだが、今日はいきなり男を連れてきやがったんだよ。でだ、その男ってのが板についた撫で方をするもんだから、俺ってば、本当に参っちまってな。クソほど熱いってのに散歩をせがんで、この有様って訳さ」

「はっはあん、初対面の余所者が案外いい奴で、困り果ててるって訳かい」

 キジトラの姉御は毛繕いをしながら、俺の心境を言い当てる。

「まあそんなところだな」

「家犬ってのは大変だね。あたしもこんなことがあってね。餌を貰ってるラーメン屋の旦那に嫁さんと子供が出来てね。それきり餌をもらえなくなっちまったのさ。なんでもその嫁さんが猫アレルギーだって話でね」

「俺より深刻じゃねえかよ。姐さんの方が死活問題だ」

「なあにそれほど困っちゃいないさ、ネズミだのスズメだの鳩だのが、この公園にはわんさかやってくるからね」

 空腹はてめえの狩りで満たせても、親しい人間と別れちまった寂しさは紛らわせんだろう。しかしそれを指摘するのは憚られた。そりゃ野暮ってもんだ。

「なんだよ湿気しけた面してんね。いっちょ笑わせてやろうかワンころよ?」

 キジトラの姉御はすくっと立ち上がると、地面に伏せた俺の鼻先五センチ前に躍り出た。

「なーお」(よう、二人さん青春真っ盛りかい)

「あ、猫だ」

「野良かな首輪してないし」

「だね」

「なあぉ」(お熱い二人をちょっと冷ましてやろう)

 おいおい何する気だ姐さん。


 後ろ脚と前足をグッとバネのように縮めた姐さんは、俺の頭上を飛び越える。

「うわ!」

「えっ!」

 驚く二人の声がして俺が振り返ると、胸元をアイスで汚した二人が慌てふためいていた。

「あおーん!」(ひゅうッ! 姐さんやっるう!)

 俺は鮮やかな野生の脚力が巻き起こした騒動に思わず遠吠えをかましてしまった。

「みゃ」(これっくらい朝飯前よ)

 二人が落としたアイスを姐さんは事も無げに舐めている。

「悪い子だなコイツぅ」

「うな⁉」(ちょっとアイスが舐められ無いじゃないのさ⁉)

 智尋はニコニコ笑いながら、姐さんをひょいと抱き上げると撫でまわした。

「なぁあん…………」(尻尾の付け根をいきなり撫でるなんてとんだ助兵衛だね…………)

「きゅうん」(だから言ったでしょ姐さん、そのガキは撫でるのが板についてるって)

「早く洗わないとシミになっちゃうかな」

 楓はこの日の為に卸した服についたアイスをハンカチで拭っていた。

「そうだねチョコレートアイスだし」

 智尋のTシャツもべったりとついたチョコレートアイスで汚れていた。

「家に帰ろうか、智尋くんの服も洗濯してあげるよ」

「え? いいよこのまま帰るし」

「ダメだって、お母さんに怒られちゃうよ」


 俺の小さくも良く詰まった脳みそが警鐘を鳴らす。

 京華と一緒にリビングで見た映画『百一匹ワンちゃん』の主人公たちが、この流れでどうなっちまったのかを。

 散歩中にずぶ濡れになったダルメシアンの飼い主の二人は服を乾かす、ながれでつがいになっちまうんだよ!

「姐さんこいつはとんでもない流れになっちまったぜ…………」

「なんだい尻尾垂れて、さっきよりも情けない面をして」

「家族が、家族が増えっちまうかもしんねえんだよ!」

「あの娘っ子が発情してるようには見えないけどね」

「いいやこれはヤバい、映画と一緒の流れだ!」

「ちょっとピート行くよ」

 楓はその場から動こうとしない俺のリードをグイと引っ張る。

「よしよしピート、ボクが抱っこしてやろうな」

 キジトラの姐さんをゆっくり地面に下ろした智尋が、必死の抵抗を試みる俺を抱き上げる。

「きゃい…………」(ああ畜生離せこの野郎、喉をそんな撫でかたされたら動けなくなっちまうだろうが…………)


 🦴 🦴 🦴 🦴 🦴


「おら! ガキども動くんじゃねえ」

 散歩から家に帰ってきた俺たちを待ち構えていたのは空巣だった。警察官の家にわざわざ押し入る阿呆がどこに居るってんだよクソが。

 空巣の野郎は玄関で俺たちと鉢合わせたもんだから、もんどりうってリビングの方へ戻り、キッチンを乱暴に物色している音が響いた。

 「へへ、あったぜ…………」

 お目当てのブツを探し当てた空巣のつぶやきが聞こえた。

 「最悪を想定しろ…………」

 カイ先輩の言葉が頭の中で駆け巡る。

 キッチン、物色する音、包丁だ。

 ヤツは凶器を探しに戻ったんだ。

 恐怖で玄関にへたり込んだ楓の抱きしめる智尋の服を俺は外の方へ引っ張る。

 頼む逃げてくれ!

 お前らを守る最善策は、俺がヤツを足止めして逃げる時間を稼ぐことだ。

 空巣の足音が、キッチンを出てリビングに入る。

 クソが動けってんだよバカが!

 最悪ってのは底抜けなのか?

 土壇場で女を守ろうとする気概は認めてやる!

 だが早く逃げねえとお前ら殺されっちまうんだぞ!

 

「落ち着けよワンころ」

「ついてきてたのかよ姐さん!」

「テンパる若造ほど可愛いモノは無いからね」

「冗談こいてる場合かよ!」

「だから落ち着きな、修羅場は取り乱した奴から死ぬ」

 俺の首筋を姐さんは場違いにも、優しく舐めた。


「見られからにはよお。お前らに黙ってもらわねえと、困るんだなあへへへ」

 ギラついた目つきをした空巣が包丁を握った右手をグッと突き出しながら、リビングから躍り出る。

 「アイツをあたしが弱らせる。その間にアンタが止めを刺すんだ!」

 姐さんは言う終わるやいなや、空巣の顔面目掛けてジャンプをした。そして鋭い爪が、空巣の両目を裂く。

 「だああッ!なんだってんだクソが!」

 視界を奪われた空巣は、左手で顔を覆うと包丁をぶんぶん振り回し、廊下の壁紙が乱痴気に躍る刃先に抉られてゆく。

 「いまだ! ワンころ! アイツを虚勢してやりな!」

 警戒訓練でそんなところを噛む様子は見た試しがないが、四の五の言ってられん。いまはやるしかない!

 「あやああああっっっ!」

 俺の牙はホシの股ぐらをガッチリと捉えた。

 

 🦴 🦴 🦴 🦴 🦴


 騒ぎを聞いたご近所さんが通報し、廊下で泡を吹いてぶっ倒れていた空巣は無事逮捕された。

 居間のテレビにお手柄警察犬だと地元の警察署に表彰される俺が映っている。

 なんだかこそばゆいったらない。

 あの時さんざん引っ張ってやった智尋の服は俺の牙でダメにしちまったし、アイツには悪いことをしちまったなと思う。

 ご褒美だと卓に新しいオモチャの縫いぐるみを買ってもらったが、そんなものはどうでもい。

「あの時のあんたは、本当に格好良かったね。あたしは惚れっちまったよ」

「よせやい俺は必死だっただけさ」

 キジトラの姐さんは楓の熱い嘆願で、雛川ベルとして新しい家族になった。

「なんだいピート可愛い彼女が出来て嬉しくないってのかい?」

「彼女たって犬と猫だぜ俺たち」

「でも家族になったんだろあたしたち」

「ああもう…………勝手にしてくれ…………」

 ソファーに座った俺の首筋に頭を擦りつけるベルに、何とも言えない心地よさを感じて俺はどうでもよくなった。

 ドラマに出てくる恋ってのは、もしかするとこういう事なのかもしれない。不思議なもので我がことになるとよくわからなくなる。

 なんだか頭が痒いなと俺は思った。でもこの痒さは悪くない。

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俺は困った犬のお巡りさん 鮎河蛍石 @aomisora

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