あなたは私が好きでも私はあなたを好きではありません。
シヅカ
『悪役令嬢の嘆き』
「ベガ・ライラック!シエル・アスタリスクに対する数々の悪行、情状酌量の余地無し!よってシリウス・キャニスフィアの名において君との婚約を破棄する!」
公爵令嬢ベガ・ライラックを断罪する王太子の姿に場の空気が凍り付く。冷ややかな目を向けるシリウスにベガは驚愕し、苦虫を噛み潰したように美しい顔を歪めた。
ベガの心中は穏やかではなかった。旧知の間柄であるプロキオンやベテルギウス、ベガの義弟であるアルタイルは婚約破棄を言い渡したシリウス同様に冷たい眼差しで自身を見据えている。
(こうなることは分かっておりました。)
婚約者のシリウスが学園に在籍していた頃から特例で入学した平民のシエルに熱をあげ、いつしかベガと彼の距離は遠くなっていた。
たとえ許嫁であっても、そこに愛が無くてもベガは王族のキャニスフィア家に嫁ぐ淑女としての心構えを幼い頃には既に出来ていた。
シリウスも同じ心構えだと思っていた。否、自身が勝手にそう望んでいただけだ。当の本人は突然現れた平民の娘を愛してしまった。
婚約破棄を宣言された直後のベガは酷く動揺したが今は不思議と冷静さを取り戻しつつあった。
(今後、あの平民と名誉挽回するのであれば私は貴方との婚約破棄を受け入れましょう。)
声高々に『悪行』と告げるならば、公にするための計画をしっかり立てたのか?
夜会を断罪の舞台に設定したからにはこの場にいる全ての人間が納得する判断材料をかき集めたのか?
(それらが考えられなくなるほど愚かになってしまったのですか?シリウス。)
敬愛していた聡明な彼はもう目の前にいない。目の前にいるのは愛に溺れて狂っている青二才だ。
シエルへの仕打ちが公爵令嬢にあるまじき愚行と示すための供述が全て揃っているならば罪を渋々認めるが、何の考えもなく現状を作ったのだとすれば無謀にもほどがある。
怒りや悲しみが消え失せて呆れしか残らなくなったベガはが手にしていた扇子を広げて口元を隠すと静かに溜め息を吐いた。
★
大々的にベガとの婚約を破棄したシリウスにシエルは唖然とする。これが未来の王が取るべき行動か?と彼女は理解に苦しんだ。
ベガに怯えていると勘違いしたのか、シリウスは「大丈夫だよ、僕が守ってあげる」と戸惑うシエルに囁いて抱き寄せた。
シエルの全身に寒気が走る。突き飛ばしたい衝動を抑えながら周囲を見回せば此方に目配りする名家のご子息方がいらっしゃるのだから引きつった笑みで返すことしかできない。
ベガから守るように傍を離れないシリウス達にシエルは嫌悪感を募らせる。この状況を嬉しく思うのは男性に守られ、多数の異性に囲まれる願望を持つ人間のみだ。
女性は男性に守られなければ生きていけないと思っているのか?と自分を取り巻く環境にシエルの中でふつふつと怒りが沸き上がる。
平民である自分が王族や貴族に逆らえるわけがない。それでも彼らがベガに向けられる侮蔑の眼差しにシエルはおぞましく思った。
学園ではベガを慕うご令嬢達から「玉の輿を狙う平民風情が」と人前で罵倒され、「ご子息方の目に留められたからと良い気になっている」と陰口を叩かれることもあった。
玉の輿など最初から狙ってない。
平民の身で特異体質のシエルは自身の能力と向き合い、未来の選択肢を増やすために学園への入学を決意した。潜在能力を見抜き、推薦状を用意してくれた宮廷魔術師のデネブにシエルは感謝しきれない恩がある。
シエルの望みは自分自身の才能を知ることだった。力を正しく使い、困っている誰かの手助けになりたかった。それだけでなく己を磨き、平民であっても努力と環境次第で可能性が広がることを示したかった。
何よりもシエルはベガに見て欲しかった。
生粋の貴族であるベガは身分を理由に入学当初からシエルに厳しく接してきた。何故ベガに目を付けられたのか当時は恐れるばかりだった。
貴族と平民の価値観は雲泥の差があり、その溝は深い。永久に理解し合えない関係だ。時代が変わっても長い時間をかけて根付かれた身分は両者を隔てる壁となっている。
しかし自分自身のためにその世界へ飛び込んだのはシエル本人だ。無知を痛感しても嘆く暇があるなら勉学に励み教養を高めて自分を変えるため躍起になった。
自分が変われば周囲の意識は変わるかもしれない。シエルはその僅かな可能性に全身全霊を捧げた。行く手を立ちはだかるベガの難問に答えが示せるように、その術が身に付くことを祈った。
今のシエルならば分かる。ベガは学園の秩序を守ろうとしていたのだ。
身分の違う人間の入学を特例で許せば貴族以外の人間を受け入れるハードルが一気に下がる。そうなれば考え方や価値観の違いから学園内部で衝突が生じてしまう。
本来ならば学園創立の時点で様々な身分を受け入れる態勢を整える、もしくは個々の特性を伸ばせる学舎を階級に合わせて国が用意するところだ。
国が今日まで未来ある若者のための対策を怠ってきたことにシエルは腹立たしく思った。
そしてベガは誰よりもシリウスを案じていた。
許嫁がいる身でありながら平民の娘に近付く王太子など未来の王に相応しくない。周囲からの反感を避けるため彼女はシリウスが好意を向けるシエルに幾度も苛烈な叱責をした。
他者から『嫉妬に燃える婚約者』と見られようとも、その結果が『悪役令嬢』という不本意なレッテルが貼られることになってもベガは決して手を抜かなかった。
当初シエルはベガを理解できなかった。だがベガからの愚弄は単なる誹謗中傷ではなく、学園に在籍する一人の生徒として必要な知識や乗り越えなければならない障害だったと漸く気付けたのだ。
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