見習い聖女の鉄拳信仰 ~癒やしの奇蹟は使えないけど、死神くらいは殴れます~

日之浦 拓

第一章 とある見習い聖女の日常

「困っている人を助けました!」

「うぅ、お腹が空きました…………」


 見習い聖女アプリコットは、その日お腹を空かせていた。いや、正確にはいつもお腹を空かせていた。何故ならアプリコットは、育ち盛りの一二歳だからだ。身長は一四〇センチちょいと平均よりも大分小柄で、ストンと落ちたメリもハリもないコンパクトボディは実に燃費がよさそうだが、実際には人の三倍食べるのである。


「これは次の町についたら、何か美味しいものを食べなければいけませんね……甘い物があればパーフェクトです!」


 甘味は割と高いので、着いたところで手持ちの路銀で実際に食べられるかはわからない。でもせめて夢と希望は砂糖まみれの甘い妄想に漬けておきたい……そんな乙女心を抱きかかえながら歩くアプリコットの耳に、不意に悲鳴のようなものが聞こえた。


「キャーッ!」


「むむむっ、これは事件の臭い!」


 森の中を通る街道をのんびりと歩いていたアプリコットは、即座に大地を蹴って駆け出した。その体躯に見合わぬ速度で悲鳴の元へと向かっていくと、そこには横倒しになった馬車と乗客と思わしき人達、それと彼らを取り囲むオオカミの群れの姿がある。


「グルルルル……」


「くそっ、このっ! 来るな!」


 中年の男性が、護身用と思わしき短剣を振り回してオオカミを威嚇する。それを取り囲むオオカミの口は血にまみれており、乗客の一人が腹から大量の出血をしている。


「ぐっ、うぅぅ…………」


「お父さん! お父さん!」


 苦しげに呻く男性と、それに縋って必死に呼びかける六歳くらいの女の子。事この状況であれば、アプリコットに迷う余地などこれっぽっちもない。


「見敵必殺、拳撃必滅! 我が拳は信仰と共に在り!」


 短い聖句を唱えた瞬間、アプリコットの体に神の力が満ちていく。小さな足が大地を蹴れば小柄な体は風と化し、細い腕を振り抜けば目の前の敵が小石のように吹き飛んでいく。


「ギャウン!?」


「なっ!? 子供!? いや、その服は――」


「ここは私が! 貴方は怪我人の手当をお願いします!」


「わ、わかった!」


 アプリコットの背に向かい、短剣を振り回していた男がその場を離れていく。一人になったアプリコットに対し、残るオオカミは五匹……だがそんなもの相手にならぬと、アプリコットが不敵に笑う。


「貴方達が人を襲うのも、自然の摂理の一環でしょう。ならば私もその一部として、強者の理を押しつけさせてもらいます! 覚悟してください!」


「ウォォォォォォォン!」


 群れのリーダーと思われる、他より一回り大きなオオカミが遠吠えをあげる。それと同時に残りの四匹がアプリコットに飛びかかってきたが……


「フンッ!」


 右の裏拳で、一匹目のオオカミが地面に転がる。


「ハッ!」


 左足を蹴り上げ、二匹目のオオカミが宙を舞う。


「ていっ!」


 上げた左足で踏み込み、左肘を突き出す。固い骨が三匹目のオオカミの鼻っ柱に突き刺さった。


「とうっ!」


 最後は腰の入った右ストレート。四匹目のオオカミがまっすぐに飛んでいき、ボスオオカミの横を通り過ぎていく。


 この間、僅か三秒。たったそれだけで群れを全滅させられたボスオオカミは即座に逃げの姿勢を取るが、如何に四つ足とはいえ反転して走り出すより、既に動いているアプリコットの方がずっと速い。


「逃がしませんよ! 弱肉強食、爆裂消滅! <万物を砕く右の豪腕デストロイ・ウー・ワン>!」


 独特な聖句と共に、アプリコットの右腕を青白い光が包む。プニッとした乙女の柔肌を幻のぶっとい腕が包み込み、巨大な拳がボスオオカミの逃げる尻を殴りつけた。


「ギャヒィィィィィィン!」


 断末魔の声を残し、ボスオオカミが血と肉片の雨となって前方に飛び散っていった。振り抜いた拳の勢いのおかげで返り血一つ浴びていないアプリコットは、即座に馬車の方へと戻っていく。


「敵は全部やっつけました! そちらは大丈夫ですか?」


「ああ、嬢ちゃん! いや、それが……」


 アプリコットの問いかけに、側にいた中年男が渋い顔をする。倒れた男の腹にはきつく包帯が巻かれていたが、滲み出す血が止まる気配はなく、その命は今にも消えてしまいそうだ。


「なあ嬢ちゃん! そんな格好してるってことは、嬢ちゃんは聖女様なんだろ? どうにかならねーか?」


「お願いお姉ちゃん! お父さんを、お父さんを助けて!」


 白いローブと胸に下げた聖印は、見習い聖女の証。ならばこそ縋り付いてくる子供に、しかしアプリコットは肩口辺りで切りそろえられた、母親譲りの柔らかい茶髪を揺らし、悲しい顔で首を横に振る。


「ごめんなさい。確かに私は見習い聖女ですけど、癒やしの奇蹟は使えないんです」


「そんな!?」


 己の信じる神に祈りを捧げ、その奇跡の一端を地上へと顕現させるのが聖女。そんな聖女が使う癒やしの奇蹟であれば、どんな重傷であろうと癒やすことができる。神に認められるほど信仰に厚いものが願えば、それこそ失われた手足や臓器を再生することすらできるほどだ。


 だが、アプリコットには<癒やしの奇蹟>が使えない。とある事情により、本来見習い聖女が使えるはずの力が、ほぼ全て使えないのだ。


「じゃあお父さん、このまま死んじゃうの? うっ、うっ……」


 アプリコットの言葉に、少女が泣きそうな顔になる。だがアプリコットは輝くような笑顔を浮かべると、少女の頭をそっと撫でた。


「大丈夫です! 確かに<癒やしの奇蹟>は使えませんけど、私には他にできることがありますから!」


 そう言って、アプリコットは男性の隣に立つ。はやる心を静かに落ち着け、左の瞳に力を込める。


筋眼きんがん、発動!」


 瞬間、アプリコットの左目の筋肉が収縮し、その視力が向上する。それはそれは人の世とは位相の違う世界を視せ、アプリコットの左目に黒いローブを身に纏い、大きな鎌を手にした骨顔の存在が、男性の頭の側で今か今かと魂の出待ちをしている姿が映し出された。


「お仕事お疲れ様です! でも、今日のところはお引き取り下さい! 盛者必衰、常識失墜! <理を砕く左の怪腕バニシング・サー・ワン>!」


 アプリコットが左腕を振るえば、彼女にしか見えない世界で骨の人が吹っ飛んでいく。無論それは少女達には見えないわけだが、代わりに今にも死にそうだった少女の父親の顔色が、急に血色を帯びて精気を吹き返した。


「ぬぉぉ……痛い、苦しい……っ!?」


「お父さん!?」


「さあ、今のうちに回復薬をありったけぶちまけます! 手伝って下さい!」


 そう言って、アプリコットが法衣の裾をぴらりと捲る。すると不自然に黒いそこからガシャガシャと回復薬の入った容器が大量にこぼれ落ちてきた。


「お、おい嬢ちゃん!? 年頃の娘がそんなはしたないことを……」


「大丈夫です! 秘神ひしんカクスデス様の御利益で、中身は絶対に見えないようになってますから! それより早く薬を!」


「お、おぅ! って、何だこりゃ!? スゲー効くぞ!?」


「死神様を殴り飛ばしたことで、一時的に死が遠ざかっている影響です! 今のうちに致命傷を回避できれば、きっと助かります!」


「死神!? よくわかんねーが、とにかくわかった!」


 二人がかりでジョバジョバと回復薬を浴びせられ、男性の傷が瞬く間に癒えていく。こうして筋力と財力に物を言わせた救助活動は、一人の男性の死の運命を容易く覆すのだった。

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