蜃気楼
近藤礼二
手紙
前略、夏が近づき暑くなってきました。貴方はどうお過ごしでしょうか。
私は町工場勤務となりただただ日々を浪費して過ごしています。今日は貴方の命日ということで何となく日記を書いてみました。誰の目にもとまることはないであろう日記を今書いています。貴方はどうお過ごしでしょうか。
昭和66年8月15日 貴方の想い人より
この出来事を何か形に残すつもりもなく、書く気もなかったですが、何となく今日は書いてみようと思うのです。
最近の私の気持ち、焦燥、絶望と希望、誰に理解されるわけもなき感情。きっと世間の人間や母親でさえも私は酒と薬に溺れただ自堕落に刹那的に生きていると思っているでしょう。しかしそんなことは一ミリもなく、私は毎日毎日死なないために何かに溺れているのです。何かにすがって生きねば生きることができないのです。
昭和33年12月31日。寒い日でした。除夜の鐘を聞きに家族3人で外に出ました。父は酒を飲み母が介抱している。そんな当たり前の中近所の寺に向かいました。当時の私はとことん人見知りで顔見知りこそ多いものの友達と呼べる人間はだれ一人としていませんでした。彼を除いては。
「こんばんは、寺田さんちも除夜の鐘ですか?」
そう声を掛けてきたのは近藤さん一家だった。
「ええ、今年も無事に一年を過ごすことができましたな、洋子ちゃんも元気に育った育った」
終戦後10年経ちある程度落ち着いてきた頃合い、最近は平和で何でもない会話をしている。戦時中から私の家族と近藤さんちは仲が良く一緒に疎開してきた。と聞いている。7歳の私には戦時中の事を話してくれる人は多いもののやはり経験していないので半端な理解しかできなかった。
「洋子ちゃんは年を重ねる度に綺麗になっていくねえ」
そういった近藤さんの目が年を重ねる度に変化している事には気づけている。ただ不快感があるだけで何に対しての不快感なのか当時の私には分からなかった。
「広末くんもどんどんたくましくなっているじゃないの、もう疎開の時の泣き虫な小僧じゃなくなった」
広末君は近藤さんちの一人息子だ。年は15、一回り年上で兄のような存在だった。
「寺田さんも年々逞しくなってますよ」
そう広末君に言われ照れる父親とそれを冗談をいいなさんな、と嗜める母親をみんなで笑った。この頃は教科書の物語も読めるようになったし美味しいお野菜も前より食べられるようになったしお母さんもお父さんも周りの人もみんないい人でこれ以上ないほどの多幸感を感じている。
年が明け雪も止み、桜満開の四月、私は二年生になった。父の影響か不思議と本を読むようになり読書家である父と仲のいい近藤さんの家にも本を借りに行くようになった。
「洋子ちゃん、今日もご本かい?熱心だねえ」
そういって近藤のおじさんはさぞ嬉しがっていた。
「広末も本を読むようになってくれたらいいのになあ、あいつはいつも車のことばっかりさ」
近藤さんちは車屋さんでそれを継ごうと広末君は毎日勉強漬けだ。
「ちょっとあがってきんしゃいよ」
そう声を掛けられた私は何も警戒せずに部屋に足を踏み入れてしまった。これが私の人生の大きな失敗の始まりだった。
刹那、首を掴まれ近藤さんの部屋に入れられ犯された。
その時の事はよく覚えていない。何も覚えていない。ただ残ったのは恐怖と言葉にできない感情だ。今思えばそれは性的興奮の発芽だったのだろうと思う。
私はその事を誰にも相談しなかった。そして何度も幼馴染の親に犯された。ある時は公園である時は広末君が修理した車の中で。何度も何度も犯された。
それが8歳の夏に私の両親にバレて近藤さんは東の方へ引っ越していった。母と父は私の身を案じ心配してくれた。私は何もわからなかった。
昭和42年6月14日、16歳になった私は初めて彼氏が出来た。ただその彼が非常に奥手で性行為をすることはなかった。付き合って2か月したある日私は彼に迫ったが彼に拒否された。彼の家は由緒正しい家柄で婚前にそういった事をすることにもまた彼自身に勇気がなかったのだと思う。そこで何かが私の中で切れてしまった。彼を無理やり犯し、口を塞ぎ何度も何度もセックスした。その時幼きときに発芽した性的欲求に気づき転落していくことになる。
昭和48年3月24日、22歳の私はお見合いをし結婚していた。相手は地元の地主でかなり権力を持っていたが彼自身は権力に驕ることなく真面目に農作業をする誠実な方だった。当然彼とは子作りをし3歳の娘と2歳の息子がいた。
彼を手伝い農作業をしていたある日電報が届いた。届け人は駿河の国、弥ね助と書いてあった。宛先は寺田洋子様と書いてあり何となく旦那には話さずその夜封を開けた。
「お久しぶりです。近藤啓二です。お元気でしょうか。この頃は暑くてとてもかないませんな、今は駿河の国で事業をおこしております。今度熱海の温泉に泊まりにきませんんか」
と書いてあった。近藤啓二とは広末君のお父さんであり他でもない私の初行為の相手本人だった。この手紙を見た時の私の感情は高鳴りであった。地主の息子と結婚し子を授かりなんの不満もないような生活を送っていようとも、私の性的欲求はまだ近藤さんに発芽させられたまま誰にも言えないままだった。そんな中手紙を送られ、初体験、夏の7歳の激しい性を思い出してしまった。蝉が良く鳴く夏ごろに私は家を出て駿河の国へ向かった。
電車を降り駿河につく、落ち合い場所に向かうとそこに男性がいた。何も言わず彼は手を引き駅近くの小部屋に入れられた。私の性的興奮は最大級に高まっていた。当時黒髪短髪で笑顔が似合っていた男性はいつの間にか白髪がところどころに目立ち、歯は黄ばみ、皺も増え苦労を重ねた老人になっていた。そんな私の思考とはお構いなしにただ彼は私を犯した。
二
駿河の国から帰ってきて早々旦那と体を重ねた。しかし啓二さんとは比べ物にならないぐらい淡白な旦那は事を済ませると満足げにも寝てしまった。私は苛立ち首をナイフで切った。そのあと彼の顔で顔面騎乗をして絶頂を迎えた。その夜のうちに駿河の国へ戻った。
啓二さんと落ち合いまた体を重ねた、何度も何度も、会うことのできなかった遠距離の夫婦かの様にお互いの体を求めた。そして冷静になって絶望し、何も思考することなくただ、寝ている啓二さんの首を切った。
そこから私の逃亡生活が始まった。一番初めには沖縄に行き海女として働かせていただいた。とにかくがむしゃらに働き26歳を迎える頃には勤勉さも認められ、正社員になり新しい旦那と新しい子供を迎えた。この時の名前は近田やす子と名乗っていた。そして幸せを掴むとまた何も思考するまでもなく旦那の首を切り転居した。いつの間にか意味のわからない殺人鬼になり果てていた。自分でもどうしてこうなってしまったのかわからない。いつどこでこんな人間になってしまったんだろう。そうして沖縄から長崎、北海道、山口に大阪、幸せを掴んでは事を起こし転居した。今は新潟県の町工場で新しい彼と暮らしている。
三
夏が近づき暑くなってきました。貴方はどうお過ごしでしょうか。
私は町工場勤務となりただただ日々を浪費して過ごしています。今日は貴方の命日ということで何となく日記を書いてみました。誰の目にもとまることはないであろう日記を今書いています。貴方はどうお過ごしでしょうか。
昭和66年8月15日 貴方の想い人より
草々
蜃気楼 近藤礼二 @kondoureizi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます