第43話「 scapegoat (いと ・ 才蔵) 」




 船団が進路を西にさだめ、夕暮れになろうとしている。



 いとは

 才蔵の体温がふれる距離から

 離れなくなった。


 才蔵はいとを女としては見ていない。いとは才蔵を黒猫の子供だと思っている。

 二人は近しいが遠い、才蔵はいとを助けたい、救いたい、だが望みをかなえるしか方法を知らない

 才蔵はどんなことでも叶える力があるのに、いとが何も望まない

 ただ、そばにいて遊んで喜ばせてやって温めてやって聞いてやる話してやる。


 ずっと、いとは才蔵へせがむ


「ねえ いつ いとは 殿とののとこに かえっていいの?」


 もう一〇〇回以上は同じことを才蔵は問われ答えた。

 百回を超えたなというところで、才蔵はあきらめ、いとにやりとりをたのしませることにした。


「いとが果物じゃないごはんを食べられたらね」

世阿弥ぜあみの八島をうたいきるあいだずっと、お手玉おてだまできたらね」


 才蔵は殺人する凶器に指弾しだんも使うので、手のひらに収め指先で飛ばし敵の急所を銃弾のように射ちぬくその、やや大ぶりの数珠玉のような鉄鋼球を、いとにおてだま代わりにあたえている。


 かっちかちかっちか


 二、三回歌を歌っておてだましてはかちかちからからと甲板板にこぼしてしまう、いと。

 才蔵はもう一刻ほど、続かないお手玉をひろってはわたしている。

 船縁長身の背中をあずけ、長い足を甲板に片足流し片方の膝はたてた彼の足の間に

 ぺたんとすわっているいとへ差し出す、いとは鉄の小さなおてだまをうけとり

 またおきにいりのうたを歌い出す。


「こちのざしきは やーえ 祝いの ざーしき 鶴と亀との 舞いあそぶーぅ」


 いとは才蔵の低くて甘い声も大好きなようで、いいかげん歌をおぼえた才蔵が一緒にうたうと、いとはまたはしゃいで

 ますますおてだまが続かない。


 ころころ足元に転がる指弾しだんをひろって、おてだまして見本を見せる才蔵だが、いとは彼の胸板にほおをつけ、腕を黒着流しの筋肉綺麗な素肌にすべらせ背中に手をまわしだきついて肌をすりよせる。

 才蔵の首筋に唇をつけくすくすと肌の香りを嗅ぎ、甘い女の香りで彼をつつみ、いとの女の身体の誘惑がはじまると

 才蔵は「ほら」とお手玉をてわたす。

 いとは「そうだ 遊んでたんだった」と思い出したような顔で

 「うん」とうなづいて

 また懸命にお手玉をはじめる

 二〇歳の女の姿に四歳の心をもついとを

 十七歳の才蔵は、父親のような目をして見ている。




 医療船・豊玉とよたまは船団で二番目におおきなキャラック船、桜色の船軸から丸みおおきく張り出した甲板、船倉も深く大きくどっしりと海に竜骨とバラストで重心を支えていた。

 揺れをなるべく防ぐため、三本帆柱はやや短めだが横帆が大きくかけられ、船尾に長く突き出した補佐帆をもつ

 第一層船室の数々には、医療に関わる最先端の道具や薬生成できる素材も揃い、手術室が二つもあり、揺れをなるべく防いだ船の甲板はいとに船酔いをあまりさせずにいてくれている。


 まっくろくうつる舷側の向こうの海が紺色に沈み

 一瞬水平を刃が切り通ったように細く発光させ

 夕焼けが、燃えあがった。


 才蔵は、医師が仕切るキャラック船・豊玉とよたまの右舷にいる。

 彼の前にたち、小さな少年が老人の声を出した。


霧隠きりがくれ、眠るように殺してやるがよかろ」


 豊玉舷側、才蔵は甲板に腰下ろし長く投げ出した右足と膝立てた左足の間に、いとを親猫のように守る。

 才蔵の胸に両手そえいとは遊び疲れて、くうくう眠っていた。

 目を閉じていた才蔵が右目だけを半分開けて低いつぶやき


「俺に言っているのか」


 巨大な夕日が重い朱色で水平線を黒く焦がして海に沈んでいく

 火炎のような橙を背中にうけた十四歳の少年

 佐助を見た。




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