大文字伝子が行く30
クライングフリーマン
大文字伝子が行く30
伝子のマンション。チャイムが鳴った。伝子が出た。愛宕が尋ねた。「先輩。みちるは?」「奥の部屋。」
奥の部屋とは、かつては親子心中があった、忌まわしい部屋だが、伝子と高遠が知恵を出し合って、仮眠室兼倉庫に改造した部屋である。愛宕は、その部屋に入るなり、みちるの頬をぶった。愛宕は腕を掴んで無理矢理みちるを連れ出した。
「皆さんに謝れ。心配かけてごめんなさい、って。」「心配かけてごめんなさい。」みちるは愛宕の剣幕に、ふてぶてしい態度で謝った。
「まあ、いいじゃないか。大文字君。リビング借りていい?」と久保田管理官は言った。久保田管理官はあつこの隣に座った。
伝子と高遠が、愛宕、みちると管理官用にソファーにシートをかけた。
管理官は立って、話し始めた。「説教は後回しだ。白藤巡査部長。本日より警部補に任命する。」と後ろ手に持っていた、書状をみちるに渡した。
「白藤。あの時、確かに途中からでもミニパトを緊急自動車として急ぐことは出来た。だが、追っ手がいた。だから普通のスピードで運転させた。組を追い詰める絶好のチャンスでもあった。ここで待ち合わせしたが、ある程度の話は電話で聞いていた。大文字君。彼が池上病院に着いた時、絶命していたかね?」
「いいえ。」「だろ?だから、私も彼と今宵今生の別れが出来た。護送のことで誰もお前を責めていない。誰か責めているかな?」と見回した。誰も異議を唱えなかった。
「あの時、管理官は私より前に出て指揮をされた。全責任を負う積もりだと分かったよ。」と伝子は言った。「水くさいよ、みちる。私を含めて相談出来る人間は沢山いるのよ。」とあつこは言った。
「警部の言う通りだよ。愛宕さんだって、憎くてぶったんじゃない。」と依田が言った。「学。コーヒーを、いや、みちるは紅茶派だったな。」高遠が紅茶を用意している間、「皆さん、心配かけてごめんなさい。」とみちるはもう一度謝った。そして、書状を見た。
「一人で二人倒したそうじゃないか、警棒で。警察官の手本となるべき行動だと副総監は言っておられたぞ。おめでとう。」と管理官が言うと、皆も続いた。
「愛宕、もう一つ『おめでたい』話があるんじゃなかったっけ?」「『おめでた』の方ですか?」皆はもう一度口々におめでとう、と言った。
「みちる。どうだい、愛する夫に叩かれた気分は?」と伝子がみちるに尋ねると、「おねえちゃんの意地悪!」とみちるは応えた。
「おねえちゃん?」と思わず聞き返した依田に「ヨーダ、『空耳』だよ。」と高遠は笑って言い、みちるに紅茶を渡した。
「警察の人事異動を、本来なら外部に漏らすことはないが、今後の付き合いもあるのでお教えする。白藤警部補は、正式に生活安全課に異動。久保田警部補は本庁捜査5課通称ソタイ課に移動。詰まり、白藤は後釜だな。」と管理官は発表した。
「管理官、それって・・・。」依田が言いかけると、「皆まで言うな。愛宕が可愛そう、って言うんだろ?依田君。実は『おめでた』が決まった後での人事だ。詰まり・・・。」と言いかけた。そこに栞が「それじゃ、みちるちゃんは『腰掛け上司』?やっぱり可愛そう。不公平な気がする。」と言った。
「うん、まあそうなんだが。白藤が出産休暇に入った時に、『本当の後釜』が愛宕の上司になる。」
「久保田おじさま。それって、副総監叔父様の人事ですか?」「鋭いな、あつこ君は。異動は来月1日だ。」
「まあ、我々が気を病んでも、警察の人事だからな。だろう?依田?福本?」と物部が言った。鼻白む二人だったが、物部の言い分は正論なので、黙って俯いた。
「なんか、私がおめでたいのに、みんな静かになっちゃった。」とみちるが言うのに、「おねえちゃんがまとめてやろう。皆、お前が好きなのさ。その素直さが。もう鬱になんかなってる場合じゃないぞ、警部補。なあ、愛宕。」と伝子が言った。
「勿論です。先輩の言う通り、明るいみちるだからこそ皆に好かれる。素直だからこそ、出世する。出産休暇まで、仕事でも家庭でも遠慮無く命令していいよ。ただ、あんまり理不尽だと先輩に相談するかも。」と愛宕が応えた。
「出来たわよー。色んな具が入ったスペシャルカレー。」と藤井が祥子、慶子、蘭を従えてカレーを運んで来た。心得ている皆はさっさと席を作り、テーブルを用意した。
「藤井さん、みちるちゃんね、出世したんだよ。それに『おめでた』だって。」と高遠が明るく紹介した。「まああ、素敵ね。じゃ、丁度良かったわね、カレーパーティーで。」
チャイムが鳴った。高遠が出ると、編集長だった。高遠は同じトーンで伝えた。
「まあ、いい匂いがすると思ったら、そういうお祝いだったの?高遠ちゃん、私の分、ある?今お昼食べたとこだけど、カレーは別腹よ、別腹。」と言い、お腹をポンポンと編集長は叩いた。
PCルームでニュースを見ていた南原と山城だったが、「先輩。また火事らしいですよ。例のコスプレ衣装店の支店らしいです。」と言った。
「スピーカーをオンにしてくれ。」と伝子は言った。
「消防の調べでは、放火の疑いが濃く、以前にも同社のチェーン店で火災があり、放火されて・・・。」
「管理官。やっぱり怨恨ですかね。」「これで、彼女の放火(「大文字伝子が行く24」参照)とは無関係ということになるな。」伝子と管理官の話に割り込もうとしたみちるだったが、「ダメ。まずはカレー食べてから。」と同時に叱られた。
1時間後。コスプレ衣装店。店長がみちるの相手をしている。「そうなんですよ。迷惑な話ですよね。一時は保険金目当てなんだろうってネットで叩かれましたけどね。これで事実無根だって判明、ですよね、巡査部長。」「いや、警部補です。出世したんです、うちの奥さんは。」と愛宕が横から言うので、店長は目を丸くした。
翌日。伝子のマンション。「これが、火災のあった支店の見取り図です。」と伝子にみちるは説明した。「この支店。山城のアパートから近いな。」
「火元はここ。やはり放火です。幸いボヤで済みましたが。防犯カメラの死角をつかれています。」「我々に出来そうなのは、夜回りくらいか。」と物部が言った。
「ご協力感謝します。」「どういたしまして、警部補殿。」と、みちるに物部はおどけて応えた。「じゃ、俺、仕込みがあるから帰るわ。煎餅、保管庫に入れとくから、って高遠に言っておいてくれ。」
物部が帰ると、二人きりになった。伝子は「また、甘えたいか?情緒不安定か?病院には行っているのか。」「うん。産科は池上病院に。精神科は、勤務が不安定だから、出向で来られている石川先生を池上先生に紹介されて通っています。土曜日も診療しているし。おねえちゃん。私、不安なの。子育てしながら警察官出来るかな?って。あつこ程精神も体力もないし。」
「大丈夫だよ、お前なら。学も今はマタニティーブルーなだけだと言っていた。」
伝子はみちるの肩に手を置き、言った。「まだ、勤務の途中だろ?」「うん。また来る。」
みちるは帰って行った。靴を持って、奥の部屋からあつこが出てきた。
「車はどうした?」「バイクです。焼き肉屋にとめて、歩いてきました。」とあつこは答えた。「で?どう思う?」「思ったより重症ですね。多分『責任』って文字が肩の上に乗っかっているんでしょう、特大の文字が。おねえさまはどう思います?」
「亭主より身分が上っていうのも気が重くなるのかな?お前のところを見ても。どう見ても久保田さんは萎縮しているぞ。」
「それは私の性格や家柄もあるのかも知れないけど・・・。」「妊娠は、お前のところの方が早いし、同期で仲間だし、心配ないと思っていたけどな。」伝子が言うと、「みちるは一度も人の上で指揮したことないからな。」
「様子見るしかないですかね。」と高遠がドアを閉め、入って来た。「お帰り。くるみさん、何て言っていた?」
「甘えん坊ですから、ご迷惑をおかけします、って。舞子ちゃんも同じようにお願いしますって礼してました。」と高遠は笑って言った。
3日後。遊園地。みちると舞子がジェットコースターに乗っている。それを愛宕とくるみが見ていた。「お義姉さん、ごめんなさい。心配かけて。」
「いいえ。寛治さんはよくやっているわ。先日、高遠さんが見えてね、スーパーに。みちるさんにとって、シリアルに相当するのは何ですか?って聞かれて弱ったわ。」
「シリアルは渡辺警部のストレス解消食材でしたね。強いて言えば『天ぷらうどん』かな?って。ウチは普段はそばだから、新鮮な味だったのかな。高遠さん、いいこと聞きましたって言って帰って行ったわ。きっと、その内うどんパーティーね。ホントに皆さん仲がいいから。大文字さんの魅力で集まっちゃうのよね、きっと。あなたの先輩なのに、みちるも先輩って呼ばせて貰っているって聞いたわ。懐が深いのよね。」
愛宕は『おねえちゃん』の件は黙っていた。「産休に入ったら、何でも言って頂戴。これでも妊婦と子育ての『先輩』だから。舞子ね、おじちゃんのこと好き?って尋ねたら、おんぶしてくれたから好き、って。じゃ、おばちゃんは?って尋ねたら抱っこしてくれたから好き、って。」「忖度してくれているんですね。」
二人で笑っていると、みちると舞子が降りて来た。「何、笑ってたの?」「今度は、おじちゃんとお母さんよ。」と舞子がジェットコースターを勧めた。
「おじちゃん、高いとこ苦手なんだよ。」と愛宕が言っていると、騒ぎが起きた。
観覧車の座席から煙が出始めた。近くから駆けつけた係員が消火器で消し、ボヤで済んだ。火を点けたらしい人物が逃げて行った。火が回る前に係員が大声で叫んで駆けつけたので、慌てて逃げたのだ。
「まるまげ署生活安全課の愛宕です。大丈夫ですか?犯人を見ましたか?」と愛宕が尋ねると、「幸いボヤで済みました。犯人はグレーの服とズボンの、女性でした。」
「被害届、出して頂けますか。早ければ早く捜査できます。」「責任者呼んで、ここを離れます。」
5分後。遊園地施設長が息せき切って走ってきた。「すみません、届を出して頂いたら、すぐにお返ししますので。」と愛宕が頭を下げた。「承知しました。倉田君、行って協力して。他のメンバーにここを担当させておくから。」
「みち・・・白藤警部補。一旦署に戻ります。」と愛宕はみちるに向かって敬礼をした。「了解です。ご苦労様です。」と、みちるは、愛宕に敬礼を返した。
愛宕は、係員と共に、走って行った。「喫茶店でも入ろうか、寛治さんが戻るまで車ないし。」「うん。」
一瞬の隙だった。舞子が電動キックボードに乗った男にさらわれた。みちるは、胸のバッジを叩いてから、猛然と走った。クネクネと人混みを縫って、男は逃げていく。150メートル程走った所で、男は一旦舞子を下ろした。その時、頭上から降りて来た自衛隊員に頭を蹴られて、男は転倒した。
みちるが、やって来て、男に平手打ちをし、一本背負いをかけた。周囲にいた人達は拍手喝采をした。
なぎさは、掴んでいた縄梯子のロープを引っ張り、頭上のオスプレイに合図を送った。なぎさは、見る見る内に空へ上がって行った。
まるまげ署。生活安全課で係員に届を出して貰った。署長が近づいて来た。「あ。署長。詳しい人相は分からないそうです。」「これだけでも助かるさ。防犯カメラの確認を急いでいる。君も現場に、この方とすぐ戻れ。あっちで、捕り物があったらしいぞ。」
遊園地。喫茶店。愛宕がやって来たら、喫茶店の外に人だかりが出来ていた。
「どうした?これは。」「みちるが、舞子をさらおうとした犯人を逮捕したのよ。お手柄でしょ?」「犯人は応援に来た警官隊に頼んだ。また署に逆戻りね。」とみちるは舌を出した。「てんぷらうどん、作って待ってるわ。アパートに私たちを届けて。」とくるみは言った。
伝子のマンション。「とんだ休暇だったな。よくやった、みちる。愛宕もな。」「ついでですか?」「僻むな。それにしても、すぐに役立つとはなあ、物部。」
「DDバッジがバッチリか。」」「なあに、DDバッジって。」と尋ねる蘭に、「ほら、ドラマやアニメで出てくる、探知バッジ。」と依田が解説した。
「デザインは物部さんのアイディアだが、システム自体は元々ある。陸上自衛隊は特定のGPS信号を拾って、ピンポイントで駆けつける。実は、航空自衛隊もこのシステムを使って救助活動をしている。まあ、事件があった時にある程度話したが。おねえさま直伝のみちる警部補の一本背負いは素晴らしかった。上空からでも分かった。」
なぎさの言葉に拍手が起った。
「お手柄はまだあるよ。愛宕さん。」「モールのコスプレ衣装店の放火犯。黒幕が分かりました。池上先生の勧めでみちるが通っていた石川医師が黒幕だった。彼は催眠術で放火犯の実行犯を作り出していた、患者からね。」「じゃ、この間の火事も?」と祥子が尋ねた。
「そう。池上先生が、みちるが火を見ておかしな目つきになったのに気づいたそうです。それで、石川医師に詰問して、ゲロした。催眠術って不安定で、かかりやすい人もいれば、かかり難い人もいる。だから、石川医師もこんなに上手く行くとは思っていなかった、と。」愛宕の発言に続けて、あつこが言った。「反省はしていて自首希望でも、凶悪犯だから、私が数人の警察官と護送しましたわ。」
「みちるちゃんは素直だからな。」と福本が言うと、あつこが「何だって?私は素直じゃないとでも?」と睨んだ。「いやいや、あっちゃんは、とても素直な嫁です。」と慌てて久保田警部補は取りなすように言った。
「久保田さん、実行犯、何人くらいですかね。」「さあ、彼らも被害者ですからね。実刑にはならないかも。」
「今日は管理官、来られないんですか?」「いや、もうそろそろ・・・。」
チャイムが鳴った。高遠が出ると、管理官は連れがあるようだった。
「諸君。紹介しよう。来週から。まるまげ署の生活安全課に配属が決まった、青山警部補だ。空席だった課長職も任命された。愛宕の上司だな。で、白藤警部補は『押し出し』でクビ!と言いたい所だが、署長が心配してね。産休までは事務の手伝いだ。あまり無茶すんなよ。跳び蹴りして、一本背負い?まるで大文字君の妹だな。」
なぎさがみちるに向かって自分の唇に指を当てた。「青山です。お見知りおきを。愛宕巡査部長。バディよろしくお願いしますね。」「はい。恐縮です。こちらこそよろしくお願いします。」
「署に帰ったら、改めて挨拶をする。ああ。池上病院から連絡があってね。病院から犯罪者を出したことを重く受け止めている、防犯防災ポスターは新しく掲示板を設置し、館内の案内スライドにも表示するそうだ。良かったな、白藤。」「はい。」思わずみちるは管理官に敬礼した。
「あら、イケメン。あ、開いてたわよ。タイプだわあ。どちらの?」と編集長が入って来た。「今度、愛宕さんとコンビを組む青山警部補ですよ、編集長。青山さん、こちらは僕と伝子さんがお世話になっている、みゆき出版社の編集長です。」
「よろしくお願い致します。青山です。」二人は名刺を交換した。
「では、我々はこれで。白藤、行くぞ!」四人の警察官は出て行った。
「先輩、みちるさん、立ち直れるかな?」と依田が伝子に言った。
「まあ、お前には立ち直らせることは無理だ、ヨーダ。その役目は愛宕だ。でも、大丈夫さ。さっき、『おねえさま』に格上げしてやる、って言ったら、目をうるうるさせていた。小悪魔め。学、あれ、みんなに見せてやれ。」
「その部屋で仮眠する前か後に書いたメモだな。」と言った言葉に福本が反応した。
「えー?みちるグレードアップ計画?」「やられた、って感じだろ、福本。」
「心配して損した。」という南原に、異口同音でつぶやく、いつものメンバーだった。
―完―
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