002 形成

「なんだ……この重圧……」 



 激しさを増していく雨のなか、俺は重く重い何かがのしかかってくる気配を感じた。

 

 走るのは得意だ。どれだけ足場が悪くても、鍛えてきた足腰には自負がある。この程度で疲れる俺じゃない。

 ——だというのに、息が荒くなっている。

 鍛えてきた肺が、素手で握られているかのように収縮を繰り返す。


 ヒリヒリと感じるこの重圧感——いったい、誰だ?



「楽しそう」

「あ……?」



 隣を並走する紫色の少女は、息ひとつ乱れない声音で言った。



「どうして?」



 少女の問いかけに、即答はできなかった。

 それは、どう言葉にしていいのかわからないから――ではなく、もっと物理的なことによって遮られた。



「ありゃ……騎士か?」



 前方にて、こちらの行手を阻むようにして立つ三人の影。

 アニメや漫画でしか見たことのない灰色の騎士甲冑を爪先から頭まで包み込み、重量のある大剣をこちらに向けているのは紛れもない、騎士。


 明らかに敵意丸出しで俺たちに視線を向ける彼ら。

 なんとなく、後ろで暴れているのはこいつらの仲間だとわかった。



「一応、訊いておきたいんだけど」

「………」

「俺たち、なんかよくわからないことに巻き込まれてんだ。助けてくれないか?」



 両手を挙げて、敵意がないことを示す。

 しかし、俺の誠意を騎士は鼻で笑い飛ばした。



「巻き込まれてるだと? この事態を引き起こしたのは貴様らだろうが」

「いやいや、ちょっと待ってほしい。俺はついさっきそこで目を覚ましたんだ。嘘かもしれないけど。とにかく俺は関係なくて、悪いのは全部後ろでどんちゃん騒ぎしてるチャラ男なんだ」

「ほざけ。隣に連れている女……それが何よりの証拠だ」

「?」



 何よりの証拠、ね。

 危機感もなく立ちすくむ隣の少女を見やり、唇を引き攣らせる。

 なるほど。

 俺はどうやら、あの派手男から厄介なものを押し付けられたようだ。



「大人しくその女を引き渡せ。真に無実であることを証明するのならば、渡せるだろ」

「渡せって言われても……なあ?」

「?」



 紫色の彼女は、おそらくことの中心にいるであろうにも関わらず、私関係ありませんみたいな表情で首を傾げた。

 俺が一番関係ないんだよ。

 まあ、そんなことを叫んでも聞き入れてくれなさそうだけど。



「訊いておきたいんだけど……俺を殺さないっていう保証は?」

「保証も何も、殺すに決まってるだろう阿呆が」

「マジですか」



 引き渡しても殺されるなら、引き渡すメリットねえだろ。

 ていうか、どうしてこうも敵意丸出しなんだよ。

 あの派手男、何しやがったこいつらに。



「なあ嬢ちゃん。平和的に解決できる方法ってありそう?」



 一応、訊いてみる。

 少女は、考える素振りすら放棄して雨雲を見上げた。

 ……十秒経過。

 返事は、どこか彼方へ消えていった。



「……雨……やまないな」

「ん」



 聞く相手を間違えた。

 いっそのこと彼女を囮にして逃げよう。

 とは言っても、逃げる隙もなさそうだし。

 正面突破が男らしいっちゃそうなのだが、こっちは素手なワケで。


 一対一タイマンなら負ける気はしねえが、向こうは三人。加えて、斬られたら痛そうな剣をお持ちだ。

 鎧ならまだしも、針山に突進していくような目に見えて痛々しいのは勝算が無ければやりたくない。



「さあ、人間。この縄でその女を縛れ」

「用意周到だな。そういうプレイが好きなのか、おまえら」

「んなワケねえだろおまえら人間種と一緒にするなッ」

「同じ人種だろ、差別すんなクソ野郎ッ」



 投げて寄越してきた縄を地面に叩きつける。



「そもそも、テメエらで捕まえた後に縛ればいいじゃねえ……か……あ?」

「あ、あ……」

「……なあ。ひとつ訊いてもいいか?」

「な……なん、だよ?」

「どうして、それ以上近づいて来ないんだ?」

「………」



 騎士たちは押し黙った。いや、まさかこいつら……


 

「か弱い丸腰の俺を殺してからでもいいよな、亀甲縛りは。俺よりこっちの女は弱そうなんだからよぉ」

「………」

「そもそも、交渉する理由も必要もねえだろうよ。どうせ殺すんだからなぁ」



 でも、それをしない理由は。



餞別せんべつ……ね」



 よくわからないが、この少女は確かに武器なのだろう。

 見えない毒ガスが、踏み出した先に広がっているかのような。

 騎士たちは、俺たちに――いや、少女に近づけない。

 それならば、



「男として大変不本意だが」

「ん?」

「少しの間、盾になってくれ」



 俺は後ろから少女の両肩に手を置いた。

 すると、悲鳴のような声が騎士たちから漏れる。




「なっ――貴様、バカかそれに触れるなんて――?!」


「いや……薄々だが……もしやあの男も!」


異崩者エトランゼか……!」



 大変情けないことだが、少女を盾にしてカニのように横へ逃げる俺。

 暴雨に混じって耳慣れない単語が聞こえてくるが、今は逃げることだけに集中する。


 線の細い病弱そうな肩を掴み、態勢を崩さないように誘導する俺へ、ふと彼女は思い出したように言い放った。



「武器が必要?」

「へ?」

「武器があれば、戦える?」



 数秒前の俺の心情を汲み取ったのか、少女はそんなことを言ってきた。



「い、いや、最強の盾を手に入れたからもう武器は――」

「――必要なら、使って」

「は?」



 その言葉を皮切りに、掴んでいた少女の肩が消えた。



「……!?」



 否、肩だけじゃない。

 目の前の少女が、紫色の霧となって溶けていく。

 瞬く間に、まるで毒ガスのように消失した彼女の残り滓が、収束し何かを形作っていく。



「これは……!」



 やがて、霧は重厚感あるそれを形成した。

 身の丈ほどもあるそれは、禍々しく紫色の光を放ち、妖しく煌めいた。


 曰く、命もろとも魂を刈るモノ――死を司る神『死神グリム・リーパー』。

 それら普遍的死の象徴である得物……つまり、『大鎌』へと少女は、姿を変えやがった。



「おいおいおいおいおいおい……だからおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおい……」



 あまりにも禍々しい、素人目に見てもわかるほど死の呪いに満ち満ちたその大鎌の刃に、少女の顔が映る。



って。闘って。そうすれば、わかるかもしれない』

「——!?」



 呆気に取られていた騎士たちが立ち直り、咆哮とともに地を蹴った。

 触れるのは危険――その思考を覆すほどの危機感を感じ取ったのだろう。

 それは、俺も同じだった。


 

『教えてほしい。あの時に言っていた言葉を』



 触れていいのか、否か。

 手にとっていいのか、否か。



『意味を』



 情報が足りなさ過ぎる。

 もしこれが致命傷になったら?

 わからない。

 判断材料が、あまりにも足りない。

 足りない、けれど。



「そんなのは、いつものこと……ってか」



 そう、いつもそうだったはずだろう、俺。

 全てはじまってから考える。

 はじまってから相手を知る。

 はじまってから深く、読み取っていく。


 

「ゴングはいつ鳴っだんだ? まあいい。あとは、己を信じて拳を突き出すのみ」



 ボクシングとは、随分と毛色の違う競技だが。


 

「重いな。けど、ちょうどいい」



 手にした大鎌を構えて、迫る騎士たちへと走る。

 三人まとめて相手取るには横薙ぎの一閃しかない。素人の浅知恵だが、今はそれで十分だと思えた。


 

「おおおおおぉぉぉぉ―――ッッ!」



 暴雨に負けぬよう咆哮を上げて、俺は大鎌を振り払った。


 


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