第32話 吸血鬼
しばらく身体を休めた後、周囲の様子を確認する。
湖を取り囲むように広がる森には、奴らの姿はなかった。
「今のところは大丈夫みたいね。森を抜けましょう」
ユリリカの指示に従い、森へと入る。
出口に繋がる道を進んでいるうちに、シロウは奴らの気配が複数あるのを感じ取った。
「まだ奴らはいるみたいだ。この数……先ほどよりも多いな」
「距離はどのくらい?」
「まだ遠いが、進行方向に多くの気配を感じる。衝突は避けられないだろう」
「迂回するルートはなさそうだし、このまま進んで敵を倒すしかないわね」
一同は星辰器を構えながら前進する。
先頭に立つシロウの目が、前方で蠢く影を捉えた。
奴らだ。やはり先ほどよりも数が多く、こちらを目掛けて一直線に駆けてくる。
特別クラスのメンバーを初めから標的と見なしているようで、不自然な統率を見せる相手に向けてシロウは抜刀した。
いち早く奴らの目の前にまで駆け、刀を振る。
再び戦いが始まり、森の中が騒々しさで満ち溢れた。
「まったく、ぞろぞろと来るわね……っ!」
眼前に迫り来る敵の顔面に銃撃を浴びせたユリリカは、木々の影から次々と現れる敵を見て舌打ちをする。
相手の数が多い上に、先ほどの戦いで体力を消耗したのも相まって、殲滅の速度が低下していた。シロウは相変わらずの体力を活かして何体もの敵を斬り裂き続けるが、ジェシカやソーニャは明らかに動きが鈍っている。
ここで退却したとしても、また森の深くに押し戻されるだけだ。なんとかして突破口を開こうとシロウが刀を握る手の力を強めた時――それは唐突に飛来した。
上空から猛烈な速度で降り落ちた赤黒い槍。
地面に突き刺さると同時に槍から茨のごとく棘が広がり、奴らの肉体を貫いた。
「何なのよ、この槍……っ!」
「上だ!」
槍に続いて上空から墜ちてくる人物を捉える。
地面を殴りつけるように着地したのは女だった。緋色の長髪を靡かせた女の顔は白く年若い。鮮血と同じ色の瞳がこちらを睥睨し、歪められた口端から犬歯が剥き出される。
「なにやら騒々しいから駆け付けてみれば、くだらん奴らと争っているではないか、貴様ら」
血の槍を引き抜いた女は、瞳孔を細める。
突然現れた存在にユリリカは小さく呻いた。
「冗談でしょ……吸血鬼が現れるなんて……っ!」
血で生成された槍、鮮血色の瞳に鋭い犬歯。
いま目の前にいる存在は、間違いなく吸血鬼だ。人間を狩り生き血を啜る人外の怪物が動き始める。一同は思わず後退した。
「そう怖がることもあるまい。ただの通りすがりの吸血鬼だ」
吸血鬼は嗤う。彼女が一歩一歩と近づくにつれて、身の毛がよだつのを感じる。人としての本能が彼女を危険な存在だと捉え、警鐘を鳴らし続けていた。
シロウは近づく吸血鬼に刀を向ける。
しかし、ユリリカの声がシロウの動きを止めた。
「刀を収めなさい。皆も、武器を下ろすのよ」
皆はリーダーの命令に従った。
吸血鬼は、愉快なものを見るように喉を鳴らして笑う。
「ほう、賢い選択だな。私を一目見て己たちでは敵わないと悟ったか」
「ええ、そうね……どうか見逃してくれないかしら?」
武器を収めて戦う意思はないと示したユリリカに、吸血鬼は手に持っていた槍を消失させた。
「初めから貴様らを殺すつもりはない。尻の青い雛鳥を殺して喜ぶような趣味はないからな」
そこで奴らが動いた。
吸血鬼を敵だと判断したのか、一斉に飛びかかる。
「まだ話の途中だ」
吸血鬼の片腕が奴らの一体を掴んだ。青白い首に細やかな五指が食い込んだ直後、枯れ枝を折ったような鈍い音が響く。
瞬く間に敵の首をへし折った吸血鬼は手元の弛緩した物体を投げ捨てると、腰を低く屈めた。
そして、拳が放たれる。
大型のハリケーンに巻き込まれたかのように奴らが宙を舞った。たった一つの拳によって吹き飛んだ奴らが、木々や地面に激突して沈黙する。
「くだらん傀儡どもが、生者の邪魔をするな」
汗一つなく振り返った吸血鬼。
ユリリカの息を呑む気配が伝わる。リーダーは吸血鬼の動向を何一つ見落とすことなく窺っていた。
「いやはや、警戒されているようだ。これでも吸血鬼の中では善良なほうだと自負しているのだが」
「あなたは……何故ここに?」
「言っただろう、通りすがりだと。まあ、信じなくても構わんが」
「そう……本当に私たちを襲う気はないのね?」
「なんだ、襲ってほしいのか?」
吸血鬼が目を細める。
尻尾を極限にまで毛羽立たせたソーニャが、唸り声を漏らした。その様子を見た吸血鬼は目を閉じて、やれやれと首を振る。
「若人をからかうのもこれくらいにしよう。馬鹿弟子の頼み事も済ませたことだしな」
そう呟いた吸血鬼は血の槍を生成し、振り返って投擲する。
槍は空気を貫いて直進しながら棘を展開し、背後に控えていた奴らを薙ぎ倒した。
「行くがいい」
何故かは知らないが、吸血鬼は奴らの群れを切り崩してくれたのだ。
「ああ、それとだな。辺境伯には気をつけたほうがいいぞ。館に面白いものを飼っているようだからな」
謎の言葉を残す吸血鬼だった。
一同は倒れ込む奴らの側を走り抜ける。
森の出口に着き、皆で一斉に息をつく。
「何だったのよ、あの吸血鬼……」
「分かりませんわ……しかし、とんでもなく息が詰まる相手でしたわね」
「息が詰まるどころか心臓が止まりそうだったよ……はあ……」
深呼吸するジェシカにシロウは同意する。
見た目は人間の女と変わらないが、全身から放たれる覇気が彼女を強者だと告げていた。例え特別クラスのメンバー全員が全力を出して立ち向かっても敵わないだろうと思わせるほどに。
「辺境伯がどうのこうの言っていたわよね」
「ロズベルト卿は何かを隠しているのでしょうか?」
ユリリカとシャルンが疑問を呟くなかで、ふとソーニャが声を上げる。
「あのおじさんの館……へんな臭いがしたよ」
「変な臭いって何よ?」
ソーニャは尻尾を揺らしながら何気なく言った。
「ゾンビみたいな奴らと、おなじ臭い」
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