呪いのビデオ(仮)

星空ゆめ

呪いのビデオ(仮)

 とうとう貰ってしまった、呪いのビデオだ。なぜ呪いのビデオだとわかるかって?VHSのテープに貼られた名前シールに、油性ペンででっかく「呪いのビデオ」とタイトルが書かれているからだよ。いやもちろん、それだけではない。僕は至って理性的な人間だ。その理屈でいくなら、僕は「金銀財宝」と書かれた箱があればなんら躊躇なく開けることになるし、これがもしロープレならミミックに出くわす恐怖を確実なものにしなくてはならない。それならば、僕がこの一本のVHSテープを呪いのビデオだと確信した理由は、一度も口を訊いたことのないかつての大学の同級生に呼び出されて、真に迫った物言いでこれを押し付けられた点に依るところが大きい。普通人は、一度も話したことのない、ただ大学の同階生だったというだけの浅い付き合いの人間を呼び出したりはしないし、マルチの勧誘や僕を除いた同窓会の罰ゲームかなんかでないのなら、あんなに迫真の演技が果たしてできるものか、疑わしい。もちろん、件の同級生が他の誰かに騙されて、あるはずもない「呪いのビデオ」なんてトンデモを信じ込まされている可能性も否定できないが、彼女が理性的な女性であったことは如何に浅い付き合いであった僕といえども認知しているところで、僕の数百倍は聡明な彼女が出した答えであるならば、従おうと思ったわけだ。これを権威主義だと笑うのなら笑えばいい。どっちみち、探せば彼女が呪いのビデオを本物だと信じ込むに至ったファクターが出てくるはずだ。今日から数日間、その調査に費やしてみても悪くない。どの道、僕は暇なのだ。


 なるべく避けて通ってきたが、調査という大義名分を掲げ、僕はかつての同級生たちのSNSアカウントを片っ端に調べてみた。答えは簡単に見つかった。大学生時代に、テープを渡してきた彼女と仲が良かった同級生(仮にこれをA男と呼ぼう)が、数日前に遺体で発見されたらしい。事件の前夜、A男はビデオの彼女の部屋で一人「呪いのビデオ」を再生してしまったらしく、その翌日にビデオの彼女によって変わり果てた姿で発見されたとあった。

 これで全ての点が繋がった。A男はおそらくビデオの彼女の彼氏だったのだろう。A男は僕からすると、どことなくチャラい雰囲気があった。オカルト趣味、それもビデオデッキを所持していないと再生できないテープに対する興味なんてものはこれっぽっちもなかっただろうが、たまたま彼女の家にビデオデッキがあることを覚えていて、A男の交友関係の誰かに「お前再生してみろよw ビビってんの?w」などと挑発され、これを渡されたのだろう。彼女にとって僕は取るに足らない人間だ。それこそ生死の如何に関わらないほどに。ネットで検索すれば「呪いのビデオの呪いを解く方法」なんてものはいくらでも出てくるし、テープを直接見てはいないにしろ、漠然とした非科学的な恐怖を感じた彼女は、その中の一つの「誰かに押し付ける」という解決策を、見事、僕で実践してみせたのだ。

 別段、これといってショックはない。彼女にとって僕が取るに足らない男であることは、誰に説得されるまでもなく心得ていることだし、呪い、にしたってテープを再生しない限りはどうということはない。そもそも僕の家にはビデオデッキがなければ、テレビすらもない。僕は極めて孤独なのだ。僕にしてみても、彼女が死のうが生きようが僕の知ったことではないし……いやしかし、久々に交わした女の子との会話は、それが呪いの明け渡しだったとしても、少し、ほんの少しだけ、嬉しかった。



 僕は孤独だ。これは誰にも否定できない。なぜなら、現に僕はこの数年、レジの店員とのアルゴリズム的な会話を除いて人と話した記憶がないし、いやしかし、僕なんかよりよっぽど孤独を味わっているプロ孤独者に言わせれば「そんなものは孤独ではない!」のかもしれないけど、そのプロ孤独者に見つかるところの情報発信、即ち、極めて浅い繋がりすらも僕には生じていなかった。つまり、僕を批判できる人間は僕だけで、僕が、僕を客観的に見たところの僕が孤独である以上、これは誰にも否定できない、絶対的な真実として、正しく孤独であるのだ。

 どうして孤独に到ったか、これは元来僕のもつ性格であったり、学生生活における立ち回りであったり、進路だったり異性に対する感情だったりあらゆる要因が連関しあって結実した事実であるので、端的に指し示すことは困難なのだが、しいて、あくまで、しいて言えば、「なににも興味がわかないこと」が原因だと言ってよさそうである。

 僕は既に、何物にも興味を抱けなくなってしまった。全て、僕にとっては無価値になって、僕は、ただ僕の魂に善く生きようとしていた。だから、全て無価値というのは嘘だ。一般的に、価値あるとされているほとんどが、僕にとっては無価値で、それ以外、価値あるものとは、即ち、僕の魂に善くあるものだけ。僕は、日がな一日読書をして過ごしている。本のジャンルは哲学が多いが、雑多に、あらゆる本を手当たり次第に乱読している。労働の責に就いたことはただの一度もない。異性と関係をもったことも一度もありはしない。それらは、僕の魂を善くしないからだ。僕の魂は、いくらかの映画と、大量の書籍と、そして僕自身による思索に拠ってのみ齎された。

 だから、僕は孤独だ。「読書は著者との対話だ」なんてよく言われるが、結局のところ、文字は頁の上を遊離して、僕の思索の一部に至る。その、機械的な動作がただ在るだけで、孤独なのだ。どれだけ読もうと、何を読もうと。


 僕は、幾度死のうと思ったか知れない。朝起きて、自殺を考えなかった日は一日としてなかった。僕は、僕の知る限り常に自殺について考えていた。全ての書物は、自殺の上に成り立っていた。自殺は、あらゆる思索の根底にあるからだ。文字にかぶりつくことで行った思索は、結局のところ、自殺に行き着いた。自殺、自殺、自殺。自殺だ。自殺なんだ。自殺をするのか、しないのか。いいやそうじゃない。自殺は、僕の魂に善いか悪いか、それだけなんだ。

 孤独は、僕の魂を善くしたが、僕にとっては悪いことだった。魂とは裏腹に、僕の精神は、常に孤独からの脱出を求めていた。無意味にTwitterを開いては、タイムラインにのぼる全ての人間を羨ましく思った。彼らは、(少なくとも僕の目には)誰でも孤独ではないように写った。彼らには主義主張があった。それは、彼らが、有価値とした何かの、有価値であるところの価値性を信じているからだった。彼らは、藁をも掴む想いで、ある価値を信仰し、その結果としての主義主張でタイムラインを賑わせていた。彼らは孤独に見えて、孤独ではなかった。僕とは違った。


 僕は一つの重大な発見を成した。電子レンジが壊れて、家電量販店に足を運ぶことを余儀なくされた時のこと、「映像」ブースの一画ではこれでもかと4K対応テレビが陳列されていて、それらは一様にバラエティ番組を映し出していた。

 まさか!と思った。「孤独でない!」

 家にテレビがないことは先ほど述べたばかりだが、それどころかここ十数年の間、僕はテレビの無い生活を送っていた。心のどこかでテレビを軽蔑していた。低俗なバラエティ番組、義務を忘れた報道番組、知ったかぶりの教養番組、知らない音楽、知らない人間、知らない街、知らない店。東京の〇〇区と□□区と△△区と××区。あの俳優のなんたらさん、あの世界的大スターのほげほげさん、グランプリを受賞したなんちゃらら、流行語大賞はどこで流行った?偏差値40、偏差値40、偏差値40、偏差値40!!!

 「テレビは、魂を善くしない!」

 それは、正しかったが、魂と精神の欲するものは時に相反する。精神の求める孤独の脱却に、テレビのなんと有用なことだろう!

 テレビは、遍く人々に、同じ番組を見せている。動画配信サービスや、レンタルビデオとはわけが違う。同時、同時だ。このリアルタイム性が、六畳一間の空間と、世界を繋ぐ。25平米のワンルームも、60平米の2DKも、夢の3LDKであっても、そこに差異はない。全ての人間が同じものを見ている。全ての人間が、この瞬間、この時、偏差値40に一喜一憂し、そしてそのことを、知っている!!!

 「テレビから、僕の空間は世界と繋がる!」

 気づいた時には、僕にとってテレビは「無価値」なものに分類されていた。それ故に、今日まで気がつかなった。周囲の人々が、自覚的にしろ、無自覚にしろ知っていること。テレビがあるから、彼らは孤独でなかったということを。


 狭い部屋に恐ろしく不釣り合いなデカいテレビが設置された。十数年ぶりに見る番組はどれも知らないものだった。番組だけではない。CM、芸能人、音楽、わかっていたことだが、一つとして僕の管轄するものはない。しかし、手の内に何も持たざるのなら、今から掬い上げればいい。僕は番組表を開き、ほんの僅かでも興味の抱いた番組を、ほとんど直感的に片っ端から視聴予約していった。

 結果的に、僕の魂は著しく穢れた。



 テレビは僕を孤独から救いやしなかった。テレビに映るあらゆる映像は僕の魂を穢した。魂の穢れは、全てに勝ってしまった。なにがリアルタイムだ、なにが六畳一間と世界の接続だ、なにが孤独からの脱却だ!そんなものは、魂を善く保つことに比べれば、なんでもなかった。魂が穢れることは、孤独に苛まれる以上の苦痛を伴った。

 然るに、世人は、魂の良さなど気にしていないのだ。だからこそ、テレビの持つリアルタイム性によって孤独を忘れることができるのだ。僕は、順序を間違えていた。魂があって、次に精神が宿るのだ。魂を蔑ろにして、精神に配慮するなど、土台無理な話なのだ。


 真実に達し、未来の全てが暗闇に覆われた。この数日の間に得た全ての経験は、またもや自殺に至った。

 「あぁ…自殺だ自殺」

 全ては、自殺だ。自殺に勝ることなど、この世にはない。自殺だ。自殺なんだ。自殺か。自殺、自殺自殺自殺自殺。


 魂を善くしようと思った。それだけなんだ


 「魂は善くなりましたか?」


 なおも僕は、魂を善くすることに努めた。


 「それなら、魂を差し出しなさい」


 私が、魂を──────


 僕は、声に忠実に、ビデオデッキを購入した。

 片手には呪いのビデオ。僕は、たった一人の女性と関係を持つことに決めた。彼女と関係を持つことは、僕の魂を善くすることに貢献する。無駄にデカいこのテレビも報われるというものだろう。

 もはや躊躇いはない。来い………来い……来い…来い!!!

 「来い!!!貞子!!!!!」

























 テレビからは、誰も出てこなかった。

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呪いのビデオ(仮) 星空ゆめ @hoshizorayume

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