頼むから寝ててくれ
朝霧
寝てて
我らが二年B組の教室は昼休みになるとお通夜のように静かになる。
夏休み前までは普通に賑やかだったのだけど、夏休み明けの数日後からは諸事情あってこんなことになってしまった。
なんならB組だけでなくB組付近の廊下も不気味なほど静まり返っている。
そんな静かすぎる環境で、昼食を食べ終わった転校生Tは今日もすやすや惰眠を貪っている。
そんな彼女を決して起こしてはならない、直視するのも良くない。
だから我がクラスの面々は自分の席で息を潜めるか、教室から離れたところに行く以外の選択肢がない。
実際、教室に残っている生徒は自分を含めてまばらだった。
自分はこのお通夜のような静けさとある種の緊張感が課題に集中するにはぴったりの空気なので大抵残っているが、そうでない生徒は昼休み開始のチャイムが鳴り響いた直後にダッシュで教室を飛び出す。
なんにも知らない転校生Tは以前呑気な顔で『昼休み開始と同時にダッシュで教室を出ていく人ばかりの変わったクラスだね』とか言ってた、いったい誰のせいであるというのか。
とはいえ彼女は本当に何も知らないので仕方がない、万が一彼女に知られればおそらく誰のせいであろうと連帯責任でクラスメイト全員が処される、あれは多分そういう雰囲気だった。
だから知らぬ存ぜぬを貫きただ黙っていることしかできない。
非常に面倒である、さっさと来年になってクラス替えにならないだろうか。
由々しき事態が発生した、昼食を食べ終わったにもかかわらず転校生Tが起きている。
転校生Tは寝ないで携帯端末をポチポチしている。
ただそれだけのことなのに教室中にこれ以上ないほどの緊迫感と緊張感が張り詰める、数人空気に耐えきれなくなったのかふらつく足取りで教室を出て行った。
すぐに寝てくれるだろうという楽観的かつ気楽な願望は叶えられず、転校生Tはいつまでも携帯端末をポチポチポチポチしている。
何故寝ない、頼むから寝ててくれ。
多分、自分を含めた彼女以外のクラスメイト全員がそう思ったことだろう、自分だってそう思ったのだからほぼ確実にそうだ。
その時邪神が動いた。
奴は何でもないような顔と声色で『起きてるの珍しいね』と転校生Tに言った。
「え。うん。……今日発売の小説読んでたの」
転校生はあっけらかんと言った。
そっかあ、早く読み終わってくれそれで30秒でもいいから寝てくれ頼むから。
奴はにこやかな表情で「そっか」とだけ答えていた、呑気でなんにも知らない転校生Tにはわからないだろうけど、全部知ってる自分達にとっては不穏でしかない。
結局転校生は一睡もしなかった、邪神が発する空気に押されたのか授業が始まっても教室は静まり返っていた、教師ですらビビり散らしていた。
転校生、転校生T、頼むから寝てくれ何故今日も起きている。
息をするだけで辛いくらいに空気が重い、だが皮肉なことにその重さのおかげで筆がものすごく進む。
自分のどうしようもなさを笑いたいけど、そんなことをすれば多分半殺しにされる。
転校生Tは本日午後の授業で提出予定の課題を忘れたらしく、昼食を食べ終わった直後から慌てたようにペンを走らせている。
ものすごく慌てふためいた雰囲気を感じた、何故忘れたんだ転校生T、一生恨むぞ。
しかし自分がそんなことを思ったところでどうしようもない、自分のできることは転校生Tの課題が早急に終わることを祈るだけである。
邪神は沈黙を貫いている、けれどもう雰囲気がやばい、ちょっと泣きたくなってきた。
けど筆が進みまくるので教室から立ち去ることはしない、自分ってひょっとしてドMなんだろうか。
何故おとなしくしていてくれないんだ転校生T。
あのクソ女、昼飯食べるやいなや教室出て行きやがった。
残されたこっちの身にもなってみろ、何故こうも愚行を重ねるのだ転校生T。
取り残された邪神の不機嫌オーラがものすごい。
というかよく考えずとも諸悪の原因はこいつである。
邪神が素直になれば自分達はこんな目に合わずに済むのだ、何故そんなに拗れたんだふざけるなよ。
しかしそれを口にできる愚者はこのクラスには一人もいない、いたところで一生口がきけなくなる程度のひどい目を見せられて終わりである。
転校生T、頼むから早く帰ってきてくれ、それで寝てくれ。
しかしその日、転校生Tは予鈴がなるまで戻ってこなかった。
理不尽である。
朗報だ、転校生Tが寝ている。
やっとだ、やっと寝てくれた、全裸になって廊下を駆け回りたいくらい気持ちが軽い!!
教室の雰囲気もどこか和やかで穏やかだ、誰もが安堵している。
そんなクラスメイトの様子には全く気付かず、転校生Tは寝腐っている。
その正面で邪神が自分の顔を凝視していることなんて一切気付かず、呑気に気楽にすやすやと。
転校生Tの寝顔を凝視する邪神の顔は本当に、ほんの少しだけ穏やかだ。
普段よりも若干その穏やかさ加減が強めなのは、久しぶりに転校生Tの寝顔を見れたからだろう。
その表情にホッとして自分は作業を再開した。
他のクラスメイトも似たような感じで、各自が各々自分が終わらせたいことを黙々とやりはじめる。
そんな静かで緊迫していて、誰もが気を張り詰めさせて何かをやっている。
これこそまさに、慣れてしまうと案外心地良い我々二年B組の普段通りの昼休みである。
頼むから寝ててくれ 朝霧 @asagiri
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