東西の丘で会いましょう

ねこじゃ じぇねこ

東西の丘で会いましょう

 造られし白は不吉の証。

 堅忍不抜けんにんふばつに生き延びた始祖の誇りを貶す色。


 その言葉を初めて聞いた日の事を、私はもう覚えてはいない。

 気づけば私という個を形成する内部に染み込んでいた文章で、思えば知らず知らずのうちに影響されていたかもしれない。

 今だって私は白よりも黒が好きだ。

 昼よりも夜が好きだし、太陽の出ない時刻に活動するという伝統的な暮らしを自ら選択した。

 そこに両親の影響があったかどうかと問われれば、やっぱりあっただろう。

 幼少期からの経験というものは、それだけ重たいものがある。

 けれど、それが全てではないのもの面白さだ。

 確かに私はこれまでずっと白という色を苦手としてきたはずけれど、初めて目にした千明の真っ白な姿は、素直に美しいと感じたのだから。


 千明は私と同じ年頃の若者である。

 色の落ちた髪に、色の落ちた肌、そして背中の翼もまた私が持つ黒の翼とは正反対の真っ白な色をしている。

 それらが生まれつきの特徴であったなら、私と千明の間に壁なんて存在しなかった。

 しかし、そうではない。そうでないからこそ、私と千明は住む世界が違ったのだ。

 千明だって生まれた頃は、私と同じような黒い翼を持っていたという。

 髪の色だって、我が国に暮らす大多数の国民が持つような黒もしくは茶色だった。目も赤くはなく、私と変わらない色だったらしい。

 そんな千明がどうして変わってしまったのか。その理由こそが、私と千明の間に聳えたつ見えない壁でもあった。


 かつて、この世界に君臨していたは、私たちの先祖ではなかった。

 人間という言葉が示す生き物は、ヒトという私たちから翼をなくしただけのような生物であった。

 全盛期には100億人まで届くかというほど生息していた彼らも、今では世界各国でわずかに保護されているに過ぎない。

 数が減ってしまったきっかけはヒトの社会的問題が起因となっているものの、そこまで深刻に数が減ってしまった理由は私たちにあるらしい。

 私たちの先祖はヒトこそが人間であり、世界の支配者だった頃からいる。

 背中の翼を目に見えないよう折りたたみ、人間のふりをして密かに暮らしていたそうだ。そして、闇黒に紛れて狩りをして、その生き血を啜って生きてきた。

 そんな先祖たちのことを、ヒトはと呼んでいたらしい。


 獲物であるヒトの減少は、先祖たちにとって痛手であった。

 成す術もなく事態はどんどん悪化していき、気づけば私たちの先祖とヒトの人口比は逆転していたという。

 その頃から、人間という言葉はヒトではなく、私たちの先祖を差すようになっていた。


 世界を支配するのが私たちの先祖になってからも、ヒトは数を減らし続けた。

 ヒトの狩りは止めてただちに保護するべきという言葉もあがりはじめ、ほぼ同時期にヒトの繁殖を試みる牧場も増えていった。

 だが、皆が皆そういう先祖だったわけではない。ヒトを油断させ、狩りをするという行為は、私たちの先祖にとって伝統的な娯楽でもあったのだ。

 見る見るうちにヒトは減って行き、いつの時代からか牧場でしか見かけなくなっていった。

 いつしかヒトは絶滅危惧種に指定され、保護すべき対象となった。

 その後、保護対象のヒトではなく簡単に繁殖させられるヒツジの血を飲むべきだと言う運動も起こったが、全員がそれに乗ったわけではなかった。

 かねがねヒトの繁殖を試みていた企業の販売する血液飲料を買うようになった者が多かった。

 しかし、ヒトの牧場も安定した血液を提供できるわけではない。人口が増える度にヒトから作った血液飲料の不足が起こり、その度に、食糧危機の不安が叫ばれた。


 血赤結晶ちあかけっしょうが発見されたのは、その頃だった。

 水に浸すだけで血液飲料と同じ成分の赤い飲料水が出来る。

 それはまさに奇跡としか言いようがなく、研究は多少荒々しく爆速で進んでいった。

 瞬く間に商品化された『奇跡の血』は、世界中のにとって神からの贈り物にも等しく、倫理的な理由でヒトの代わりにヒツジの血を飲んでいた者達は、ヒツジにすら気遣って『奇跡の血』を愛飲するようになっていった。

 だが、皮肉にもこの『奇跡の血』の誕生が、私たちの世界を完全に分断してしまったのだ。


「千明……」


 眠たい目を擦りながら訪れた西の丘。

 崖沿いの手すりに手をかけて沈みゆく夕日を眺めていた千明の背中に私は声をかけた。

 千明はそっと振り返り、私を見つめて目を細める。


「おはよう、今日も来てくれたんだね」


 歓迎するわけではないが、拒むわけでもない声。

 その声が聞けるかどうかで、私の一日は大きく変わる。


「当たり前じゃない」


 さっそく千明の隣に歩み寄って、手すりの前に背を向ける。沈みゆく真っ赤な夕日は私にとっていささか眩しすぎるのだ。


「千明こそ、今日も待っていてくれたんだね」


 私がそう言うと、千明は微笑みながら手に持っていたボトルを口につけた。

 その様子を見守り、私は少しだけ寂しさを感じてしまった。

 中に入っているのは『奇跡の血』である。私が一度も口にしたことのない飲料水だ。同じようなボトルは私も持っているが、そちらの中身は加工されたヒツジの血で、『奇跡の血』などではない。


「私も飲んでいい?」


 なんとなく訊ねると、千明は夕日を見つめたまま答えた。


「別に気にしないよ」


 その言葉に甘え、私はボトルの蓋を開けた。

 血の臭いなんて慣れたものだけれど、千明にとってはそうでないらしい。幼少の頃より『奇跡の血』を飲み続けてきた千明にとって、ヒツジの血は生々しい代物であるらしい。

 事実、『奇跡の血』を愛飲する多くの人々は、ヒトの血が非常に高価な代物になった現代において、ヒツジの血に縋る者たちをよろしく思ってはいない。『奇跡の血』を拒む者は絶えず血の臭いがするといって、遠ざけたがる傾向にある。

 千明だって私の臭いは不快なはずだ。それでも、私が隣でヒツジの血を飲むことに、何一つ文句を言ってこない。

 飲んですぐに体中に沁み渡る血の味に酔いしれながらボトルの蓋を閉めると、千明がふと口を開いた。


「今日は少し忙しくてね。ちょうど君の声を聞きたかったんだ」

「そうなの? 良かったぁ、寝坊しなくて」

「寝坊しそうだったの?」

「うん。昨日ちょっと朝遅くまで本を読んじゃって」

「そうだったんだ。良かった、起きてくれて。おかげで今日も良い気分で眠れそうだよ」


 千明はそう言うと、背中の翼を少しだけ広げた。

 途端に白い羽根が風に舞い、夕日に向かって飛んでいった。それを追いかけるように私の翼の黒い羽根も風に攫われていった。夕日の眩さを我慢してちらりと振り返ると、踊るように空に舞う二つの色の羽根が目に移った。

 その光景を見ていると、の原因となった本の内容を思い出してしまった。


 人々の希望でもあった『奇跡の血』は、確かに高い栄養価を誇った。

 しかし、その源となる血赤結晶については研究不足と言わざるを得ない。

 人体にどのような影響を及ぼすかはっきりとしないまま量産された飲料水を、疑問視する声も多数あがった。

 そして、その声を裏付けるように起こったのが、『奇跡の血』の発売から数年後に全ての愛飲者たちに確認された身体的変化だった。

 体中の色素が抜け落ち、黒い翼が白い翼に変化した。髪の黒い者は、真っ白になってしまった。目の色も色素が落ちて、血管の色が見えるようになった。

 それでいて日光に弱くなったのではなく、むしろ従来の人々と比べて強くなり、太陽の下で生活できるようになった。

 それは、まさに謎の変異だった。人間という言葉がヒトを差していた時代から蓄積されてきたあらゆる常識を覆すような出来事だった。

 そして同時に、『奇跡の血』を疑問視してきた人々にとって不気味な現象でもあった。


 幸いなことに『奇跡の血』の愛飲者たちには、体の色が白くなった以外の健康的被害は起きなかった。それでも、あらゆる研究者たちが不安視しているのが現状で、実際に彼らの長い人生にどのような影響が及ぼされるのかは、この先何十年も経たなければまだまだ分からないと言われている。

 それにも関わらず、『奇跡の血』の愛飲者たちは、もはやヒトの血のみならずヒツジの血も受け付けない身体になっており、我が子にも幼少期から『奇跡の血』を飲ませ、朝型生活を送るようになっていった。

 いつしか社会は分断し、朝型と夜型の人間たちが、互いにそれとなく忌避しながら暮らすようになっていった。互いに分かり合おうという動きはあっても結局は互いに譲れず、それぞれの邪魔をしないということがベターとなってしまったのだ。

 そんな社会において、白い翼と黒い翼の者同士に絆が生まれることは殆どない。家族や友人、知人といった周囲の者たちに知られれば、止められこそしないものの白い目で見られてしまうのは常だった。


 実際、私も度々考えてしまう。

 千明の背中に生えているのが黒い翼だったら良かったのに、と。

 それに対して千明がどう考えているのかは分からないけれど、やっぱり私には『奇跡の血』は得体の知れない飲料水であったし、この先なにか重大な健康被害が発覚しやしないかといつも不安だった。

 でも、『奇跡の血』を当たり前に飲む千明の事は止められない。もう二度と、ヒツジの血も飲めないのだと聞かされれば尚更のことだった。


「昼の世界ってどんな感じ?」


 何気なく問いかけると、千明は淡々と答えた。


「とても明るいよ。人間もそうだね。明るくて賑やかで、一緒にいると少しだけ疲れる」

「そっか。千明は大人しいもんね」


 むしろ、夜の世界の方があっていそう。

 そう言いかけた私は、何となく口を噤んでしまった。

 そんな私に千明は言った。


「君も明るいよね。太陽の沈んだ時間だと、君自身の明るさが目立ちそうだ」

「そうでもないよ。私はむしろ夜の世界では地味な方。目立っているのは発言力の強い人かな。多少過激だろうと堂々としている人がもてはやされるの。私はほら、ふらふらしているからさ」


 苦笑しながらそう言うと、千明は穏やかな眼差しをこちらに向けてきた。

 その眼差しもまた、私には心地よかった。

 夜は好きだ。『奇跡の血』よりもリアルな血の方が好きだ。それでも私は、共に夜の世界に生きる人々にどこか馴染めなかった。別に彼らが間違っているわけではないだろう。それに、私が間違っているのだというつもりもない。ただ、水が合わないだけなのだと思う。

 かといって朝型生活が羨ましいわけではない。『奇跡の血』が仮に飲めたとしても、私が朝型人間の輪に入れるかどうかは別の問題だと分かっていたからだ。

 私はきっと何処にいようと集団の中には馴染めない。

 そんな諦めに近い心境の中で出会った千明という人間は、私にとってかけがえのない存在だった。


「そっか。確かに君は優しいもんね」


 千明はそう言って、暗くなり始めている空を見上げた。

 真っ白なその姿を横目に、私は胸の高鳴りを覚えた。

 ここ数日、ずっと迷っていることがある。口に出して言うべきか、心に秘めているべきか、迷っていることが。

 その迷いは度々衝動に繋がり、私の心に突発的な勇気を与える。


「あのさ、千明──」


 だが、私たちに約束された時間はあまりに短いのだ。

 私の言葉を打ち消すように聞こえてきたのは、どこからともなく町に鳴り響くミュージックサイレンの音だった。古くから伝わる童謡のメロディは、太陽が昇る時と沈む時にそれぞれ一回ずつ流れる。

 その音を合図に、二つの社会は切り替わる。

 私にとって一日の始まりを告げるこのメロディは、千明にとって一日の終わりを告げるものでもある。


「あ……」


 メロディが鳴りやんだ後も、私は茫然と空を見上げていた。

 もう、この時間が終わってしまう。


「何か言いかけたよね?」


 千明は訊ねて来てくれた。

 けれど、少し急いているようなその表情を前にすると、一度は生まれた勇気も衰退してしまった。


「ううん、ただ、お休みって言いたかっただけ」

「そっか。ありがとうお休み」

「お休み……」


 答えると、千明は崖沿いの手すりから離れた。

 メロディが鳴った以上、あまり長居は出来ない。明日も早いだろうし、もうすぐ私以外の黒い翼の者たちが起きてしまうから。

 けれど、そのまま立ち去ろうとする千明を、私はふと呼び止めた。


「あのさ!」


 振り返るその目に緊張しつつ、私は言った。


もまた会ってくれる?」


 すると、千明はきちんと向き合って、微笑みながら頷いた。


「起きたらすぐに向かうよ。東の丘で待っていて」


 その言葉に私は安心して、強く強く頷いた。


「分かった。東の丘で」


 千明は穏やかな笑みを見せ、今度こそ立ち去ってしまった。

 白い姿が夕闇に消えていく。その姿を見送りながら、これから始まる千明のいない時間の憂鬱さと、その果てに待っている千明と会える僅かな時間の喜びを同時に噛みしめた。

 どっちが正しいかなんて気にしない。ただこれからもずっと千明と会って話したい。

 そしていつか、この気持ちだけでも伝えたい。

 千明の姿が見えなくなると、周囲には決して言えない淡いこの恋心を抱きながら、私もまたこれから始まる夜の世界へと歩みだした。

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