第4話辛くて涙が止まらない
「犯人はあなただ!」
コック帽からハンチング帽へと変えたみらいが指さす先には、驚いている宇宙生物がいた。
一介の料理人であるはずのみらいがどうして、探偵まがいのことをやっているのか。
時間は一日前へと巻き戻る。
「フードトリッパーズサークルってとこ知ってるか?」
「やってくるなり何言ってるのさ」
いつもなら、動画の撮影を行っている時間だったが、みらいはキッチンにはいない。その隣にある狭いダイニングにいた。
ちゃぶ台を間に挟んだ向こうには、スーツを着た少女が座っている。
彼は――聞き間違えでも読み間違えでも脱字でもない――懐から警察手帳を取り出す。そこには銀河刑事という肩書とともに、佐藤カエデという文字が書かれている。その上には彼のかわいらしい写真も。同時に、電子的なホログラムも表示される。みらいの瓶底ARグラスが読み取り、銀河ネットワーク経由で、確認を行う。確認が完了したのは間もなくのことで、その警察手帳が偽物でないことが証明された。
「日本人もGCPOに加入できるんですね」
カエデは懐に警察手帳を収めながら、「それで、知ってるのか」
「FTSって、危険な材料を食べて、トリップしてる人たちのことですよね。それなら聞いたことがありますよ」
みらいは口を尖らせながら言う。聞き覚えはある。痛いほどにあった。みらいはFFTという学問を作り上げ、その楽しさを銀河中に伝えるための活動を行っていた。FFTはあくまで、既存の料理を超えるような料理を作ることを主眼に置いている。銀河でコーヒーを淹れてみたり、縮退炉を用いたミートグラインダーを使用してみたり、お菓子でできた宇宙船をつくってみたり……。ちょっとばかりクレイジーではあったものの、そこに違法性はない。しかし、フードトリッパーという連中はそうではないのだ。
銀河には無数の――それこそ天文学的数の――食べ物が存在している。自然に発生しているものもあれば、人類を含めた宇宙生物が発生させたものもある。その中には、毒や幻覚作用といった危険な食べ物もあった。もともと毒性を持っているものもあったが、法律で禁止されていることがほとんどである。じゃあFTS会員は何を食べて、トリップしているのか。
食用は可能だが、毒性のあるものを食べているのだ。食用できるということは法律でも禁止されていないものがほとんどだから、取り締まることができていない。一刻も早い取り締まりを望む声は多く、みらいもその一人である。
というのも、FFTもFTSもファンキーすぎるきらいがあり、どちらも知名度が低いから、混同されてしまうこともあったからである。少なくともまじめにやっているみらいからすれば、営業妨害もいいところであった。
そういうわけで、みらいはFTSのことを知っているのだった。
「よかった。ちょっと手伝ってもらいたいことがあるんだ」
「何です。乱痴気騒ぎに加われっていうんですか。あんなの食べ物に対する冒涜です冒涜」
まったくもう、とみらいは、淹れたてのエスプレッソをあおるように飲んだ。そんな彼女を見ていたカエデは困惑を露わとしていたが、コホンと咳ばらいする。
「そういうわけじゃない。ただ、調査に協力してほしいんだ」
「調査?」
「ああ。FTS本部で殺人事件が起きた。その協力をしてもらいたい」
FTSの本部があるのは、太陽系の外側の方に位置している準惑星の一つで、名前をマケマケといった。イースターバニーという愛称の方が知られているかもしれない。ここでは鳥類の飼育が盛んにおこなわれており、テラフォーミングがなされた準惑星の一つでもある。マケマケという名前も、地球の小さな島で信仰されていた創造神からとられており、そのために家禽を中心とした鳥類の飼育がおこなわれているそうだ。
そんな緑豊かな惑星には地方惑星ほどの生物が住んでいるとされ、彼らのほとんどがFTSの会員というのだから驚きである。養鶏を中心とした売買によってFTSは活動資金を得ているそうだ。
みらいは、パンフレットを放り投げる。漂った紙切れが、眠っていたカエデの鼻先へぶつかって、いびきが途切れた。
みらいの口からため息がこぼれる。カエデがチャーターしたという宇宙船の中には、みらいと二人以外誰もいない。宇宙船はプログラムされた通りに動き、マケマケまでは、ワープ航行で半日の長旅だ。何度かワープは行われ、そのたびにみらいは気分が悪くなる。俗にいうワープ酔いというやつである。原因は今でもよくわかってはいないが、高次元と低次元とのギャップに脳がついていけないため起こる現象、というのが大多数の意見となっている。そのため、個人差があり、生物によっては――例えば宇宙の端の方にいるとされる虹色の生物――ワープ酔いにならない。
みらいは、ワープ酔いになりやすい体質で、三次元に生息する人類種にとってはありふれた体質である。カエデのように眠り込んでいられる方が珍しいのである。
気持ちが悪いので憂鬱な気持ちになってしまうが、緑の惑星が窓から見えてくると、そういった気分もいくらかマシになった。
みらいが住んでいる惑星は、準惑星であるマケマケよりもずっと大きかったが、植物はまったく自生していない。超高山植物という酸素が極めて少ない場所であっても生き延びられる植物というのもないでもなかったが、見た目がいいとはお世辞にも言い難いので、みらいは育てていないのである。それに引き換えマケマケといったら、典型的な地球型惑星の植生が広がっている。そこには多様な動植物が存在しているに違いなく、みらいの胸は高鳴るのだった。
宇宙船がワープし、衛星軌道上に到着する。ここからはワープ不可能領域に入るため、ゆっくりと降下していく。チャーター便ということもあり、船内はほとんど揺れることがない。
気が付くとランディングしており、じきに到着いたしましたという声がやってくるのであった。
「んあ……」アナウンスの声に、カエデが目を覚ます。「ようやくついたのか」
「スカートめくれてる」
レースの下着が丸見えであった。窓の外を見ていたから、みらいも今気が付いた。下着から伸びる足は男とは思えないほどに、細く華奢だ。肌はきめ細かく、本当に男性なのか疑わしい。来るときに提示された警察手帳のデータを信じるのであれば、性別は男ということになる。
「じろじろ見てどうした」
めくりあがったスカートを下ろし下ろし、カエデが言う。言葉遣い的なことを言えば、女性にしては言い方が粗暴であった。でも、ジェンダーフリーが叫ばれて十世紀は経過しようとしている今、そういったものは皆無だ。だって、宇宙では性差なんて些細なことだから。
そういうわけなので、男が女の格好をしていたとしても何の問題もない。いや、問題といったら、自分よりもかわいらしいことくらいで、自分が彼に嫉妬していることに気が付いたみらいは、自分自身を恥じた。そんな彼女を見たカエデは疑問符を浮かべる。彼にとっては、フレアスカートブラウスブルゾンスニーカーという自分の姿はいつも通りの服装なのだろう。
「行くぞ。自警団が外で待っている」
「自警団?」
「マケマケの警察組織だ。GCPOとは無関係の組織だから、自警団」
GCPOは、銀河中にある警察の大本みたいなものである。惑星には様々な警察組織があり、犯罪者を追いかけている。しかしながら、銀河には多くの惑星があり、行き来することができる。惑星が変われば国が変わり、違う惑星の法律に従わなければならない。警察組織であってもそれは変わらない。捜査を行うためには従来では、手続きに時間がかかった。それを短縮するために設立されたのがGCPOだ。GCPOに加盟している惑星、警察組織はその惑星で許可なしに操作を行うことができるし、捜査協力をしてもらうことだってできる。これによって一那由他の犯罪者が――と半日前にカエデから聞いた。
チャーター機を出ると、タラップの先で人が待っていた。相手はどうやら人類種のようであった。
「ようこそいらっしゃいましたカエデ警部」
「お世辞はいい。事件に進展は」
「それは……」自警団の人間が、ちらりとみらいのことを見た。「この方は?」
「オブザーバーだから、情報を話してもいい。何かもらすことがあれば、逮捕すればいいだけだから」
「ちょっと聞いてない!?」
「言ってないからな。だが、謝礼は弾む」
電子化された小切手が、みらいの下へと飛んできた。ウイルスチェックをしてから、小切手を表示させる。それに書かれていた金額を目にしたみらいは、唖然としてしまった。具体的な金額については、守秘義務違反になってしまうと思われるので、みらいのためにも明記することはできない。木星で飼育されているA5ランクの肉をたらふく食べてもまだ余裕がある額と言えば、わかる人にはわかるだろう。
みらいは、口にしようとしていた暴言と小言の数々を引っ込める。黙り込んだみらいを見て、了承したと判断したのだろう、カエデがみらいの名前を出迎えの人間に話す。そうしたら、今度はあっちが驚くのであった。
なんでも、この準惑星において、みらいはちょっとした有名人らしい。というのも、みらいの動画を視聴して、感銘を受けたそうだからだ。
「頭のおかしい――ごほん。クレイジーな料理をつくっているそうで、私たちは親近感を覚えているのです」
「…………」
頭のおかしい料理呼ばわりされたのは、別にいる。そのことに関しては、みらい自身心当たりしかなかった。しかし、だからといって親近感を覚えられるのは、鼻持ちならなかった。わたしのやっていることとアンタたちがやっていることは全く違う……なんて考えているのだが、FFTとFTSの違いを知らないカエデからすれば、似たようなものであった。
反論の一つでもしようかと思ったみらいであったが、それよりも先に、自警団の人間――カルダモンが事件の説明を始めるのであった。
事件はFTC殺人事件と呼称されていた。安直な名前であったが、それが一番わかりやすい。
事件は銀河標準時〇二〇四に起きたのだが、その前にその場で何が行われていたのかを説明した方が分かりやすいだろう。
FTCでは何をしているのか、世間一般は知らない。問題ばかり起こしている宗教団体という見方が大方と思われる。実際、それは正しいのだが……。
危険な食べ物を食べるのが目的だ。危険な食べ物というのは、笑茸をはじめとする幻覚作用を持ったものを想像されるかもしれない。トリップという単語を掲げている通り、それを中心としているのは間違いない。しかし、それだけではないのである。
明らかに猛毒なものであっても食べるのである。有名な例でいえば、フグの肝であったりハッカキクリンであったりだ。前者は強い神経毒を、後者はスコヴィル値160億オーバーのカプサイシノイドを有している。どちらも人体だけでなく、銀河にいるとされる生物のほとんどにとって毒となりうるものだ。ちょっと食べただけでも死に至る可能性が高い。
それらを死なない程度に食べるのがFTCである。といっても、数年に命を落とす人間が出てくる。読者も決して真似してはいけない。ダーウィン賞を授与されて恥をかきたくないなら、なおさらだ。ちなみに、FTC会員の受賞歴は一万を超えるらしい。銀河記録を更新し続けている猛者であった。
話がそれてしまったが、今回も毒見――FTCもそれが毒だとは思っているのだ――を行っている最中になくなった事故なのではないか、という見立てがたてられていた。
「――だが、違う」
「何が違うんです」
「被害者とともに毒見を行っていた面子は、口をそろえてこう言ったんだ『こんなのは毒なんかじゃない』って」
「その言葉を信じるんですか? 頭のおかしい連中が言ってることですけど」
「おかしい連中だっていうのはわかっているが、食べ物についてはスペシャリストなんだろう」
「そりゃあそうかもしれないけど」
「アンタの手を借りようと思ったのはそこだ。そこのところがよくわからない。食べるのは不安だからな」
「それでわたしの知識を?」
「そうだ」
神妙な面持ちでカエデが頷いた。少女のような見た目で眉間にしわを寄せるものだから、様になっていない。容姿と精神が乖離しているような印象を受けてしまうのは、メンタルに対してフィジカルが成長しているからである。ゼログラビティ世代(0G世代)――つまりは無重力空間ないし低重力環境で生まれた人間は重力下で生まれた子供と比べて、体が大きくなりやすい傾向にあるのだ。彼もその一人に違いなかった。
「知識って言われても、学者さんでも呼べばいいんじゃないかな……」
「アンタも学者と聞いている」
「それはそうなんだけども、いざ学者として扱われると恥ずかしいというか」
照れているみらいを見て、カエデが首を傾げた。FFS研究家であることを肩書に加え、啓もう活動にいそしんでいたみらいであったが、学者とは思われたことは後にも先にも数えるほどしかない。その一回が佐藤カエデによるもので、容姿はともかく、男性から言われたものだから照れていたのだ。顔なんか火の通ったクラーケンのようにすっかり茹で上がっている。
「そ、それでわたしの知識で何を見ればいいの」
「食べ物だ。現場の中にはいくつもの食べ物があった。それがどのような毒性を持つのかまとめてくれたらそれでいい」
「それくらいなら、機械でもできると思うよ。わたしよりもずっと速いし」
「や、それが、機械に強いやつがいるらしい。リアルタイムで改ざんされては面倒だ。それなら、専門家を呼んだ方がいい」
「専門家」
なんと心地よい響きだろう! うっとりと酔いしれていたみらいは、その後の事件の背景について聞いてはいなかった。
事件現場となったのは、FTC本部のあるビルの最上階から二つ下の階であった。ビルは百階建て。権威の象徴である。宗教の悪いところではないかと思われるかもしれないが、実はビルの中で栽培を行っているらしい。別に非合法なものではなく――少なくとも今のところは――建物の中で育てられるキノコ類を栽培しているようである。扉から見えた一つの部屋の中では、オバケシイタケ(カサが直径十センチを超えるものを言う)が栽培されていた。
事件現場のある階にエレベーターが到着する。ホールへ降りると、規制線が貼られていた。昔は実際にテープやロープが張られていたが、今は空間に貼っている。そこを通った生物に許可がなければ、警報が鳴り響くようになっている。目には見えない存在もいるために、このような規制線が開発されたのだ。
先頭を行くカエデが、警察手帳を取り出す。向こうもGCPOの刑事なのか、敬礼で応じる。カエデに続いて、ここまで先導してきた自警団の人間が、最後にみらいが規制線を超える。刑事が怪訝な表情を浮かべて、みらいを見る。みらいはぎこちない笑みで返す。
「彼女はオブザーバーだから気にしなくていい」
はっ、という短い返事がやってくる。許可は出ているのだろう。規制線を超えても、アラートが鳴り響くことはない。それだけの権力がカエデにはあるということだ。見た目だけで言えば、ティーンエージャーなのに。彼の小さな背中を見て、みらいはため息。
「まだ、事件現場ではないぞ」
「……わかってる。ただ、ちょっと悲しくなっただけだから」
よくわからないといったようにカエデは首を傾げた。みらいは恥ずかしくて、何も言えなかった。
事件現場となった部屋の扉には、スライド式の扉を挟むように屈強な刑事が立っていた。その鋭い目は、部屋から出てくるもの、部屋に入るものを監視している。
カエデがスライドドアを開けようと手をかけたところで、みらいが口を開く。
「し、死体とかは」
「もう検視に回しているから、ここにはない。毒殺ということもあって、血液もないからショッキングなことは何もないはずだ。嫌いなものはあるか?」
「死体がないなら……」
ほっと息をついたみらい。動物の死体はたくさん見てきた実家であったが、同族の死体を見たことはない。同族を食べるという文化があることは知っていたが、それは精神衛生上の問題があるだけではなく、銀河憲法によって禁止されている。多くの生物にとって、同じ個体を食すると、内臓等に影響が出ることが分かっている。人類種においては、宇宙開拓の黎明期に頻発したと歴史の教科書で習うところである。さしものFTSでも、人を食べたりはしない。そういう決まりがあるとはみらいも聞き及んでいる。
部屋が開く。中はそれほど広くはない。リビングのような部屋であった。その部屋のいたるところには、青い服に星模様の制服――GCPOのユニフォームだ――を着た人々が部屋の中を仔細確認していた。床を見てみると、線で人形に縁どられた場所がある。ちょうど、見えない人が椅子から転げ落ちたような恰好で、実際、被害者は毒見をしている最中、苦しみだし、倒れたとされる。
被害者の名前は、アリッサという男性であった。アリッサというのは地球で用いられている調味料の一つで、FTCの会員は、会員となった時点でスパイスの名前を与えられるようになっていた。それはある種のコードネームのような役割を果たしている。FTCは匿名性の強いサークルなのだ。そのため、公明正大さが求められる上層部や自警団といった部署以外では、つまり通常会員に関してはマスク等によって素性を隠してよいことになっている。ゴシップ紙によると、有名人も乱痴気騒ぎに加わっているとかいないとか。
アリッサというのはミックスされたスパイスである。FTCにおいては、ミックスされていればいるほど位が高いというカーストが存在しており、その頂点に立つのはオールスパイス氏だ。
そういうわけなので、FTCの幹部が死んだということになる。自警団やGCPOが慎重になるのも当然といえた。毒を摂取しているのだから、事故の可能性はかなり高い。それでも、地位を妬んだ犯人が毒物を混入したという可能性もあって、そういうわけなのでみらいの出番がやってきたというわけである。
乱痴気騒ぎを行っている、という噂を聞いていたものの、部屋を見渡してみても、いかがわしいものはない。世間に疎いみらいが知らないだけだったというわけではない。
「思ってたのと違う……」
「ああ噂のことですか」カルダモンが口を開く。「あれなら、根も葉もない噂ですよ。精神に作用する食べ物を食べて、不特定多数の会員同士で交尾に耽る……大方そんな噂でしょう?」
「は、はい」
みらいは申し訳なさそうに体を小さくさせる。気にしないでくださいと、カルダモンは笑った。
「うちではそんなことはしてませんよ。好きなものを好きなだけ――これがうちのスローガンではありますが、だからといって節度や倫理観というのは保っています。そうじゃないとそこの銀河警察がやってきますし、それに何より、自制をすることができない」
「……昔はそうでもなかったらしいが」
「よくご存じで。そういった乱交騒ぎを隠れてやっていた会員が過去にはいたそうですが、彼らは排除されましたよ。GCPOもご存じのはずでは?」
カエデは舌打ちをし、懐から飴を取り出して口へ放る。そんな彼に気に留めることなく、アリッサさんとウーシャンフェンさんの尽力があったそうですよ、とカルダモンは言葉を締めくくった。
ウーシャンフェン――これまた地球由来のスパイスだ――というのは誰なのだろうか。みらいはカエデへと問いかける。
カエデは返事をせず、手だけで、こっちへ来いと、合図する。
案内された先には部屋があり、そこにはより多くの刑事と自警団員の姿があった。彼らは、椅子へ所在なさげに座っていた五人ほどの人物を取り囲んでいるようであった。
カエデが、ごくろう、と言うと、刑事たちが横へはけていく。取り囲まれていた人々が露わとなる。容疑者候補であろう五人は、ほっと息を吐いていたが、続いてやってきたカエデを揃って向いた。
「わたしは銀河刑事の佐藤カエデだ」
そう言って取り出した警察手帳に、五人の視線が集中する。視線を集める姿は、ドラマでよく見るやつで、みらいは妙な感慨に包まれるのだった。自分だって体験したにもかかわらずに。
カエデへと向けられた視線が、みらいへと移動する。刑事ということはわかったが、そこにいるやつは誰だという疑問が浮かんできたのだろう。
「え、えっとわたしは……」
「彼女は丹羽みらいだ。今回の事件に関するオブザーバーとして参加してもらうことになった。それじゃあ」
それじゃあ、ってなんだ。
そう思っていると、カエデはその辺の椅子に腰かけた。みらいが困惑していると、どうぞ、とばかりにカエデの手が差し出される。どうぞと言われても、みらいは何をすればいいのかわからない。
みらいはぎこちなく、五人の方を向いた。
「と、とりあえず名前を教えてもらえますか?」
すぐには返答がなった。五人は互いの顔を見合わせていた。オブザーバーつまりは刑事ではないということだ。刑事ではないやつに話す必要があるのだろうか。……そのような呟き声が、みらいの下まで届く。身の縮む思いになる。
今すぐにでも、この場を逃げ出してしまいたい。みらいは、そんな思いに駆られてしまう。
コホンと咳払いが起きる。みらいの正面の席に座っている女性が発したものであった。
「私が教えます」
「あ、え、お、お願いします」
「私は、ウーシャンフェンよ」
件のウーシャンフェンは、その名前からわかる通り、FTCの幹部であるようだ。他の四人のコードネームを知っているのは、そのためと思われた。
「貴女は刑事ではないのよね?」
「まあ……。ただの料理人なので」
「じゃあ、コードネーム以外は教えないわ。教えなくても呼ぶのには困らないわよね」
ウーシャンフェンが話したコードネームは、クミン、シソ、セイジ、ディル、それから、被害者であるアリッサ。幹部二人と、通常会員が四人で毒見は行われていた。
その毒見について、みらいが質問しようとして、それよりも先にウーシャンフェンが口を開く。
「その前に、あなたはFFSを研究しているっていうみらいさんよね」
「そうですけど」
みらいは警戒する。自分がFTCを毛嫌いしていたように、向こうもこっちのことを嫌っているのではないか。……カルダモンはみらいの想像とは真逆のことを話してはいたが、それは嫌っていることを隠すための方便だったのではないか――。
なんて、みらいは考えていたものだが、実際は真逆であった。
「みらいの料理。すごく面白いわね」
「み、見られてるんですか」
「ええ。FFSとFTCはよく比較されるじゃない。だから、どこが似ているのか確認のためにね。FTCとは違う。でも、料理に対する不満はわかるわ」
「――――」
有名になりたい。それだけの理由で、FFSという学問を起こしたわけではない。
最近の料理は、どこか面白くない。
栄養の摂取とその効率化を至上とした効率至上主義が、ここ最近の料理界では幅を利かせている。栄養だけがとれたらいいだろうという思想は、焼く煮る炒める揚げる……といった調理方法の一切を否定し、一つのブロックに加工することに腐心していた。コンソメの素のような小指ほどの固形は、化学調味料を用いることで、無限の料理の味を再現することができた。人類種が宇宙に出てきた際考え出されたものに酷似しており、しかし、違うのはおいしいということだ。食感以外は何もかもが再現されているのだから……。
みらいの脳裏で、幼い日の記憶が思い出される。それは、両親の手料理をみんなで食べるところ。そういった光景は、全銀河においては失われつつある光景といってよかった。
「FTCにも不満があるんですね」
「そりゃあね。貴女が目指しているものとは違うけれど。ほら、年々規制が厳しくなっているじゃない。アレに対するカウンターカルチャーみたいなものだから」
「ああ……」
ここでの規制は、危険食料取締法のことを指す。それによれば、宇宙生物の害になりうる食料の所持、栽培、譲渡はこれを禁止する。ここでは使用を罰してはおらず、そのような法律はない。というのも、医事法の管轄で、危険食料は医薬品として用いられることも多々あるためであった。法律上の問題はさておき、件の法律は、年々規制する食料を増やしていた。いつか食べられるものがなくなるのではないかという野党の声が、銀河議事堂にこだますることさえあったくらいである。
最近、菌類関係のニュースが報道されるようになったのも、危食法によってキノコが取り締まり対象となってしまうのではないかという憶測が生まれたからだ。
理由としては、キノコ狩りに出て猛毒のキノコを食べてしまう宇宙生物が後を絶たないから、であった。その宇宙生物というのほとんどが人間――もっといえばFTCの会員――であるということはあまり知られていない。
「私たちは食べたいものを食べたいの」
「死ぬかもしれなくても?」
「死ぬかもしれないからこそ、興味をそそられるのではなくて?」
みらいには、ウーシャンフェンの気持ちはよくわからなかった。みらいは死にたくなんかなかったから、いくらおいしかろうと、危険なものには手を出さないようにしている。……そうは想いながらも、人がしないことをしようとする気概のようなものには、ある程度の同意を示すのだった。
それはそうと、事件である。
「毒見をしていたんですよね?」
「ええ。隣の部屋で」
「毒見ってどんなことをするんですか」
「大したことではないわよ。料理人は味見をするでしょう? それと同じ」
ちょっと待ってちょうだい、とウーシャンフェンは言った。椅子の下に置いていたバッグから、保存容器を取り出す。それは、容器の中に四次元を作り出すというもので、最新の技術であったからその販売価格は、国家予算にも匹敵するほどともいわれる高価なものだった。みらいもはじめて見るものであったから、興味が惹かれた。
容器の外見は花柄で陶器やセラミックを思わせるような光沢がある。蓋はがっしりとした丈夫なものだ。四か所で押さえるような形となっており、一説によれば、箱よりも大きなものだって入れられるとか入れられないとか。持っている人間が少ないためにそのようなことが噂されていたが、ウーシャンフェンはやんわりと否定した。
「時間という概念を入れているだけらしいから、無尽蔵に淹れられるわけじゃないわよ」
「なんだ」
肩を落としたみらいに、保存期間は半永久的だから、という声がかかる。追加された時間の概念は、リモコンや情報端末によって操作が可能であった。遅くすることで長期保存を可能にし、早めることで発酵にかかる時間を減らすことができる。化学調味料を使えばそんなの簡単じゃないか、と言われてしまうと確かにそうなのだが、無添加を喜ぶ生物はどこにでもいるのだ。
開かれた容器から取り出されたのは、一見すると普通のジャガイモであった。
「これは?」
「切ればわかるわ」
言われるがまま、みらいはじゃがいもを手に取る。ずっしりとしていて、皮が薄くぴろぴろと剥がれる。新じゃがだ。みらいは懐からマルチツールを取り出し、搭載されたナイフでじゃがいもを真っ二つに切った。
断面を目にしたみらいはぎょっとしてしまう。そのじゃがいもは緑色をしていた。中の色が赤や紫や青というじゃがいもは見たことがあったが、こんなじゃがいもははじめてだった。ジャガイモで緑といえば、毒があって食べるのに適しないからだ。
「これはソラニンを大量に含んだじゃがいもで」
「バカなんじゃないですか?」
つい、本音が零れ落ちてしまう。ソラニンは人類種にとって有害な物質である。ジャガイモの芽や日に当たってしまった部分にでき、摂取すると食中毒に似た症状が現れる。成人が命を落とすのは珍しいが、体の小さな子どもにとっては危険だ。それに味も悪いから、普通の生物なら食べようともしない。どこを切っても緑のじゃがいもを食べるなんて、バカ以外の何ものでもないのだが、FTCは総じてバカの集まりといえる。むしろ、バカという単語は褒め言葉と同義なので、ウーシャンフェンは口元に笑みをたたえるのだった。
「ありがとう」
「褒めてないんですけど」
「それはともかく、これに毒があることは、あなたも知っての通り。でもこれで死ぬことは少ない」
「そんな毒の塊を食べたら致死量を突破しそうですけどね」
「これ一個をサラダにして食べたのよ。でもほら見てちょうだいな。みんな生きている」
「アリッサは亡くなっているが」
そこではじめて、カエデが口を挟んだ。打ち解けた雰囲気が一瞬にして霧散していく。背後を振り返って、文句の一つでも言いたくなったみらいであったが、背後からは並々ならぬ雰囲気を感じたので、振り返りもしなかった。
正面のウーシャンフェンは、沈痛な面持ちをしていた。話しかけるのが躊躇われたが、急かすような視線が、みらいの背中に突き刺さる。質問をしたいなら自分ですればいいのに。――そう思いながら、みらいは重い口を開いた。
「今回は猛毒を食べたんですか?」
「いいえ。今回は軽いものをたくさん食べましょうということになっていたから……。誰も猛毒の食材は用意していないわよね?」
ウーシャンフェンの問いかけに、他の四人は強く頷いていた。強い毒性を持った食べ物を持参した人間はいないようである。
だからこそ、事故ではなく事件だとFTCは言っているのだ。毒性は強くなかったはずなのだから、死者が出るわけがないと。
みらいは今度こそ、カエデの方を振り返った。
「カエデさんはどう考えてるんですか」
「殺人というなら殺人なのだろう」
「…………」
まったくあてにならなかった。わざとらしくため息をついても、まるで意に介した様子はなくて、みらいは困ってしまう。
探偵や刑事なんて、フィクションの中で知らないっていうのに。
「と、とりあえず、今回用意したという食べ物を見せてもらえますか……?」
みらいは、自分がなぜ呼ばれたのかを考えた。刑事ではなく、料理家として呼ばれたということを思い出した。つまり、刑事の真似事などする必要はなく、どれが人を殺す原因となってしまったのかを探ればいいだけだと気が付いた。
みらいが案内されたのは、広い部屋であった。
真っ白なその部屋は、どうやら会議室のようで長机がスクリーンの前に並べられていた。部屋の中では刑事たちが何やら語り合っている。時折こちらを見てくるのは、現場から押収された食材をまじまじと見ているみらいが珍しいから、というのもあるし、その隣にはウーシャンフェンの姿があったからともいえた。
「見られてますね」
「そりゃあそうよ。なんていっても、私は被疑者筆頭なのだから」
「えっ!?」
驚くみらいに、ウーシャンフェンが微笑をたたえる。
「知らなかったの? 私は幹部。同じ幹部であるアリッサを妬んで殺した……というのが大方が考えていることでしょう」
「い、いいんですか?」
「いいって何が」
「犯人だと思われていて」
「よくはないわ。でも、私が無実だとしたら、それは貴女が証明してくれるのではなくて?」
ウーシャンフェンがみらいを見つめる。頼りにされている気がして、みらいは舞い上がってしまう。何から何まで一人でこなしているものだから、誰かに頼られると嬉しくてうれしくてしょうがないのであった。
さて。長机には、押収品が密閉容器に入れられている。これらはすべて、調査のメスが入ることになっていた。最優先事項である死因を特定するため、アリッサの遺体はすでに検死を行う部署へと送られたらしい。亡くなる直前にかじった生の梅もこの場にはない。梅の果実に毒が仕込まれていたのではないかと考えられていたからだ。
押収品のほとんどは、食べ物であった。アリッサが食べたと思われるものを中心に、そうではないものも念のため押収されているようである。
緑色のじゃがいも。しょうが。わさび。にんにく。インゲン豆。トウガラシ各種。それから、よくわからないキノコ。
「そのキノコはアリッサが隠していたやつね」
「合法?」
「非合法。幻覚作用があるみたいだけれど、依存性はないみたいよ」
全く私には理解できないわ、と落胆の色を隠さない。みらいにもトリップする意味が分からないので、うんうんと同意を示す。
キノコは、非合法のために没収されたと考えた方がよさそうである。そうなると、他の四つが原因ということにはなるのだが……。
そのどれもが何かしらの有害な効果を持っている。といっても、しょうがわざびにんにくトウガラシに関しては、量だけを考えればよい。その四つは少量であれば毒足りえず、むしろ薬になるからだ。直接的な毒を持っているのは、じゃがいもとインゲン豆だ。それにしたって、たくさん食べなければ人体に影響は出ない。致死量にいたるまでにはかなりの量を食べる必要があるだろう。梅の毒にしたってそうだ。
「梅の種は?」
「今回は食べていないはず。毒性が強いから」
「なるほど……。ニンニクを山ほど食べたりも」
「していないわ」
うーん。みらいは腕を組む。少なくとも、押収されたものでは人が死ぬということはなさそうである。人が死んだというのが信じられない、というFTC側の主張にも、一定の理解ができた。
そうなると、どうして亡くなってしまったのだろう。呻吟しながら考えてみるが、思いつかない。
みらいが考え込んでいると、会議室の扉が開く。入ってきたのはカエデであった。彼は足音を響かせ、みらいの下まで歩いてくる。
「聞き取りを行ったが、誰もやっていないそうだ」
「そうですか……」
「当たり前じゃない。誰がやるというのよ」
「それを調べるのが、警察の役目だ。もっとも、アンタらが事件だと言い張っているのだから、心当たりがあってもおかしくはなさそうだが」
「……それは」
ウーシャンフェンの呟きには耳を傾けず、カエデはみらいの方を向いた。その冷たいナイフのような声が聞こえてくるだけで、みらいの背筋は伸びた。
「それで、何かわかったか?」
「なっ何も。強いて言うなら、どれもこれも毒性が弱いと思われるものばかりだから、かなりの量を食べないと死に至ることはないんじゃないかなって」
「どのくらい食べればいい」
「ものによるから何とも言えないし、成分にもよるから」
みらいの目に留まったのはトウガラシである。袋に入ったそれをつまみ上げる。
「通常のトウガラシなら、これだけお腹いっぱい食べて何とか胃に穴があく程度だと思う」
「おかしなトウガラシなら?」
「卒倒するほど辛いトウガラシなら知ってるけど、それでも死にはしないよ。新しいトウガラシでもつくられていない限りは」
辛みの度合いはスコヴィル値によって数値化される。ジャパニーズという人類種の一種が料理で用いる鷹の爪というトウガラシはスコヴィル値五万。ハッカキクリンというサボテンにおいては百六十億をマークしており、ここまでくると人は死ぬ。新種なんて早々生まれないだろうと思われるかもしれないが、トウガラシにおいてはそうは言えない。人類種によって広められたトウガラシは銀河中で品種改良が行われている。品種改良を行う理由は、銀河で一番辛いトウガラシを生み出すためである。ちなみに甘いトウガラシを生み出そうとしている天邪鬼もいるが、それはまた別の機会に。
「新しいトウガラシねえ」
ちらりと、カエデがウーシャンフェンのことを見る。彼女の肩がびくりと跳ねた。
「何よ。私を疑っているわけ?」
「アンタは新種のトウガラシを生み出すのに精を出していたそうじゃないか」
「それは……」
「本当なんですか?」
ウーシャンフェンの首が力なく動いた。カエデの言っていることは本当らしい。一応、スマートグラスで検索をかけてみる。複数の記事がヒットする。記事の一つを開いてみる。ウーシャンフェン名義でトウガラシの品種改良を行っているという記事だ。品種改良は、FTC本部――つまりここだ――の一部屋をまるまる使用して行っているらしい。トウガラシの辛さランキングには、遺伝子組み換え部門と人工授粉部門の二つがある。ウーシャンフェンは後者のタイトルホルダーでもあったらしい。名前はブラックナイトメア。黒いトウガラシで、じんわりじんわりと辛みを強めていくことからその名前が付いた。なんと辛さのピークに達するのは摂取した六時間後というのだから驚きだ。そんなのどうやったら料理に使えるのだろうと。みらいは疑問に思った。
「トウガラシを作ったのは本当のことよ。でも、それをアリッサへと食べさせたなんて、そんな。そ、それに証拠か何かあるのかしら」
「別にない」
「ないの?」
みらいが疑問を発すると、カエデは頷いた。証拠がないのにそんなことを口にしてもいいものなのだろうか。みらいは心配そうにウーシャンフェンの方を見た。大企業ほどとは言わないが、FTCはそれなりの権力を有しているとされる。そんな宗教団体みたいなものをGCPOも敵にはしたくないだろう。幸いなことにウーシャンフェンは怒っていないようであった。それどころか、どういうわけかほっとしているようにも見えたが、恐らくは気のせいだろう。みらいはそう思った。
「証拠はないのね。びっくりしたじゃない」
「あはは……。こういう人みたいですから、気にしないでください」
苦笑いとともにみらいがカエデのことをフォローする。カエデが首を傾げる。鎌をかけたわけでもないようで、この人は本当に刑事なのだろうか。
「今も、トウガラシは?」
「やっているけれど、昔ほどは。今は食べる方が多いかしら」
「なるほど。おいしいトウガラシがあったら教えてください」
考えておくわ、とウーシャンフェンが言うが、結局のところ、その約束が果たされることはなかったのである。
翌日。
マケマケにあるホテルで宿泊していたみらいは、とあるニュースを見て、スイートルームを飛び出していった。
それによれば、FTCの幹部が逮捕されたというものであった。そのニュースに映っていた被疑者は、ウーシャンフェンその人であった。
自警団のある建物には拘置所があり、そこに身柄が拘束されていると報道されていたので、自警団本部へとみらいは向かうことにする。
自警団本部へとたどり着くと、自警団員だけではなくGCPOの刑事の姿も見受けられた。ここに輸送されたというのは事実のようだ。
刑事の一人にカエデのところへ案内するように頼む。苦しくなってしまうほどに緊張してしまったが、昨日、みらいが現場にいたことを知っている人間だったので、話はとんとん拍子で進んだ。案内してもらえるようで、みらいはほっと息をつくのだった。
案内されたのは、取調室であった。取調室は、創作物で見たままの間取りをしている。つまりは、取り調べを行う部屋と、それをマジックミラー越しに見る部屋の二つがあるというわけである。後者の部屋へと案内されたみらいは、そこでカエデと再会した。
「ウーシャンフェンさんが逮捕されたって本当ですか」
「見ての通り」
マジックミラーの向こうでは、ウーシャンフェンさんが刑事と向かい合っている。彼女は俯き、その表情は暗い。
「どうしてですか」
そう言うみらいに対して、彼女が犯人だからだ、というそっけない返答がやってくる。
――ウーシャンフェンさんが犯人。
にわかには信じがたかった。社会問題になっている、誤認逮捕というやつなのではないかと、声を上げたくなった。しかし、取り調べを受けているウーシャンフェンは、それを受け入れているようにも見えた。
「……証拠は」
「これを」
拡張現実上でデータのやり取りが行われる。手元にやってきたデータは検死の結果が簡潔にまとめられたもので、それによると、ブラックナイトメアによく似たトウガラシ属の野菜が原因だということだ。それの摂取により、広範囲において攣縮が起きた。もともと心臓を悪かったアリッサは、攣縮によって狭心症の発作が起き、それによって命を失った。そのようなことが簡潔にまとめられていた。
「だからって、ブラックナイトメアを使用したかどうかは」
「動機もある。彼女は、常々乱痴気騒ぎに心を痛めていたようだ」
それで、アリッサとともに組織の改革に動き出した。違法な食べ物を摂取していた連中をアリッサとウーシャンフェンが排除したというのは、カルダモンが話していたところである。
実は、その話には続きがあった。
「同様のことがここ最近、行われ始めた。自警団はアリッサの指揮の下、調査を開始した。しかし、遅々として進まなかった。どうしてかわかるか」
みらいは首を振った。相手が両者よりも上手だったから、というのは回答にはなりそうもない。
「首謀者が自警団の中にいた。それもトップにな」
「――――」
つまり、アリッサが乱痴気騒ぎの首謀者であった。
当然といえば当然のことであった。自警団のリーダーであれば、自警団がいつやってくるのか把握していて当然なのだから、捜査の目をかいくぐるのは造作もない。
「ウーシャンフェンがそれに気が付いたのは、アリッサが隠し持っていた違法食材を目にしたからではないかと考えられる」
「あのキノコ……」
「ああ。そのことを咎められたアリッサが何をしたのかはわからない。ただ、何度も口論になっていたらしい」
「だからってウーシャンフェンさんが殺したとは」
「今回の毒見を企画したのはほかでもない彼女だ」
「…………」
アリッサとウーシャンフェンの仲が冷え切っていたのは、FTCの会員ならだれでも知っていることであった。一時は恋仲にあったとも言われていたのに、どうして犬猿の仲となったのかは定かではない。カエデが言っていたことが起きたと十分に考えられたが、ウーシャンフェンが黙秘したために真実はわかっていない。
ただ、これらの状況証拠から見て、ウーシャンフェンが犯人であるのは事実。その後の裁判では、懲役五年が求刑され、その通りとなった。
みらいといえば、何とも言えない気持ちであった。オブザーバーとして呼ばれたものの何もしていない。したことといえば、犯人とおしゃべりをちょっとしたくらいだろう。ウーシャンフェンとの会話は楽しかっただけに、むなしさとやるせなさは大きかったのである。
後日。
みらいは料理を作っていた。カメラは回してはいない。あくまで自己満足のためである。
用意しているのは、アヒルを丸一匹とブラックナイトメアである。アヒルは地球から取り寄せたものだ。母なる大地で育てられたアヒルは丸々としており、人気が高く入手は困難だ。しかし、それよりもはるかに手に入らなかったのはブラックナイトメアの方であった。ウーシャンフェンしか栽培していなかったために、彼女がいなくなったことで、育てる人間が完全にいなくなってしまったからだ。幸いだったのは、トウガラシ専門家――スコヴィル値がマイナスであるトウガラシを作ろうとしている天邪鬼がここで登場する――が株を持っていたことだろう。そこで株分けをしてもらい、みらいは栽培することにした。
クルスタイトをつくった時のハウスが残っていたので、そこにプランターを用意して栽培を行う。そして、一年後には黒い悪夢が実を結んだのであった。
その実が、目の前に転がっている。それを見つめるみらいは宇宙服を着ている。あまりにも辛すぎるために、防護服なしでは危険であるからだ。
みらいは鍋一杯に水を張り、湯を沸かす。沸騰してきたら、火を止めて、その中にブラックナイトメアを入れていく。ぷかぷかと浮かぶ黒い果実から黒い色素が辛み成分とともに抜け落ちていく。ブラックナイトメアの辛み成分は複数のアルカロイドからなっており、その主成分であるカプサイシンはお湯に溶けやすいという性質がある。これで、辛みの大部分は抜け落ちるというわけである。ちなみにカプサイシンをはじめとする辛み成分は大多数の生物が嫌がるため、このゆで汁を煮詰めて濃度を調整することで、虫よけスプレーや殺虫剤、催涙スプレーとしても用いることができる。ブラックナイトメアに多いウーシャンフェノイドというアルカロイドは遅効性のため、ドッキリに使用されることが多い。
鍋に蓋をして蒸らしている間に、アヒルの下処理を行う。といっても丸焼きにするので、包丁は入れない。羽毛はすべて抜き取られているから、塩コショウで味付けをするだけでよかった。海王星の奥底でとれる海塩を塗り込むことで、肉から水分が抜ける。身が引き締まり、たんぱく質の固まりやすくなるのだ。冷蔵庫に入れて肉を休ませる。待つこと三十分。アヒルの表面は中から出てきた水分でじっとりとしている。それをペーパータオルでふき取ってから、コショウを振りかける。これで下味は完了だ。
「ブラックナイトメアの方は――」
言いながら、鍋の蓋を開ける。途端、赤黒い煙がもうもうと立ち上る。気化性のアルカロイドが水蒸気とともに充満していたのだ。これが目に触れると、下手すると失明する可能性があるから注意だ。危険を察した宇宙船の循環システムが、換気扇を回しはじめる。
危険ではあったが、ここまでならないと辛みが取れなくて悶絶することとなる。人間が卒倒するレベルのトウガラシを食べるためにはここまでしないといけないのだ。
「よし。これをすくって」
黒い液体は密閉性の高い容器へと移し替え、ざるに上げたブラックナイトメアは水気を切る。
これで、下準備は終わった。
ひと際大きい鍋を用意する。アヒルを一羽入れてもまだ余裕があるものがいい。その中に菜種油を入れる。匂いが薄いものであればどんな油でもよい。その後、色が薄くなったブラックナイトメア、花椒、八角を入れる。それから、アヒルを丸々入れる。アヒルよりも油が下にあるようであったら、ひたひたになるくらいまで、追加する。
後は弱火で三時間ほど煮込むだけである。
つまり、コンフィを作ろうとしていた。アヒルのコンフィだ。これならば、ブラックナイトメアの辛み成分を最大限利用できるのではないだろうか。
ブラックナイトメアの辛み成分のうち、通常のもの――カプサイシンなど――は油に溶けやすい。特有の成分であるウーシャンフェノイドはどちらかといえば熱湯に溶けやすいのだ。熱湯に溶かしたのは、そうすることで遅効性の辛みを排するためにあった。逆に油で煮ることにより、従来の辛みは残す。
こうすることで、種類の違う辛みを長時間堪能することができるのではないかと、みらいは考えたのだった。
火にかけると、鍋の底からポコポコと泡が生まれてくる。あまりにも出るようであったら、火力が強すぎる。とろ火くらいで焦がさないようにしないといけない。
油の温度を確認しながら、今回の体験について思いを巡らせる。
未だに釈然としない。納得できなくて、かき混ぜるお玉に力がこもる。どうして、ウーシャンフェンは話しかけてきたのか。
もしかしたら、みらいに取り入ろうとしていたのだろうか。コイツなら、丸め込むことができると思われたのではないか――。
「そんなことは……」
ないとは言えなかったが、そうとも言えない。あくまでみらいの想像に過ぎないのだから。
ぼんやりと考え込んでいるうちに、ごぽごぽと音がしていることに気が付いた。油の温度が上がっているのだ。慌てて、かき混ぜるとアヒルがなべ底にくっついていた。このままであったら、焦げていたかもしれない。ほっと息をつく。
料理に集中しなければ。
料理に意識を向ける。そうでもしないと、先ほどの妄想は振り払えそうになかった。
時折鍋をかき混ぜながら、三時間。タイマーが音を上げる。火を止めて、アヒルを取り出す。低温の油によって煮たアヒルに包丁を入れてみると、程よく火が通っている。このまま余熱でミディアムレアくらいにはなりそうだ。
このままでも食べられはするが、使用していた油につけることで、一か月以上保存ができる。真空パックや四次元保存といった技術がなかった頃の知恵であった。
アヒルの粗熱が取れてから、食べやすい大きさに切っていく。長時間煮たことで、肉はほろほろだ。一つ食べてみると、ピリリとした――痛いほどではなく心地の良い辛みが口いっぱいに広がる。それと同時に八角と花椒の香りが鼻腔をくすぐった。
味も香りも満足であった。だというのに、涙がこぼれてくる。
声も上げずに泣いていると、ふいに呼び鈴が鳴り響く。前時代的な音は、この宇宙船に来客があったことを伝えるための音だ。
スマートグラスにエアロックの扉に設置されたカメラからの映像を映す。そこに立っていたのは、宇宙服を着ていてもわかる。カエデであった。
みらいは、レシピを考えついてから、最初に食べさせるのは彼だと決めていた。
別に、恩返しをしたいわけではなく、復讐をしたいというわけでもない。ただ、食べさせて、どんな反応をするのか知りたかったのだ。
これまで知人と呼べる存在はいなかったのだから。
エアロックのロックを解除する。少しして、規則正しい足音が向こうからやってくるのが聞こえると、不安とともにそこはかとない嬉しさを、みらいは感じるのであった。
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