6/23 『タカラモノ』和田裕美

 最近、母のことを思い出すと泣けてくる。

 胸がぎゅうっと切なくなって、目がじんわり熱くなって、ぼろぼろ涙がこぼれてくる。声を上げて嗚咽することもある。

 だけどこれは、悲しい涙じゃない。つらさのあまり泣くことの方が多かった人生で、一番幸せな涙だと思う。

 お母さん、大好き。それを自覚するたびに、私は子供みたいに泣いてしまう。


 今日は午前中メンクリに行って、それから不動産屋さんに行って、引っ越し先のアパートの内見をした。担当になってくれた眼鏡のお姉さんが美人でかわいかった。少しドジっ子で、書類の数字のミスが多くて、さかさまに無理やり書いた「6」が鏡写しになってしまうような人で、だけど車の運転がすごく上手かった。

 そんな人に「仲介手数料が賃料の1.1カ月分ってありますけど、法律だと0.5カ月分までしかとれないはずですよね?」とは言えず、私はまんまと不動産会社に搾り取られることが決まった。お姉さんへのお布施だと思ってのみこむことにする。


 病院や不動産屋の待ち時間、お昼のサイゼリヤで料理を待つ間、今日ずっと読んでいた本が、和田裕美さん著の『タカラモノ』だ。破天荒なママに振り回される女の子の話。「ママ」はめちゃくちゃで、煙草とパチンコに依存していて、外に男ばかり作るどうしようもない人だけれど、いつも娘への愛情にあふれていて、すごく魅力的な人だった。そんな「ママ」を子供たちが慕い、代わりにお金のことばかり言う「パパ」を仮想的にしている感じが、どこか我が家と重なった。

 他にもこの小説と私とは、重なる部分が多かった。母が仕事で家にいることが少なく、周りと比べて疎外感を覚えた小学校時代。別の男の人のところに行ってしまって育児放棄状態になった思春期。自立する年頃になってやっと「母親」らしいことをしてもらえた、社会人駆け出し時代(厳密に言うと私はまだ社会人ではないが)。周りから見たら眉を顰められるような母親でも、愛されている実感だけで、どうしようもなく愛してしまうこと。

 この親子のいいところは、屈託なく愛を伝え合うところだ。「ほのみ(主人公)はわたしのタカラモノ」と「ママ」は憚りなく言うし、主人公も「ママ」のことを心底愛しているとわかる。「ママ」が愛されているのは、決して「母親だから」ではない。むき出しな愛情を、まっすぐに娘たちに注ぎ続けているからだ。


「ママ」という言葉と私にも、ひとつエピソードがある。保育園に通っていた頃、周りの友達が「パパ」「ママ」というのが羨ましくて、一度「ママ」と呼んでみたことがある。その時母は、「うちにママはいません!」ときっぱり言った。のちに聞いたところによると、父のほうが「パパママ呼びなんて気持ち悪い」という主義で、その頃からモラハラDVの支配を受けていた母は、どうにか父の機嫌を保とうと必死だったようだ。

 母のことを、異父兄弟たちは「ママ」と呼ぶ。私は直接「ママ」と呼びかけたことはないけれど、離島にいた頃、ごはんをよそう時なんかに、「これママのぶんね」とチビたちに渡したりしていた。なんだか新鮮だった。

「ママ」と呼ばれている母は、本当に幸せそうで、あんなに悲しそうな顔ばかりしていた人がこんな風に笑えるようになったことに、私は嬉しくなる。


 母に初めて「大好き」と言えたのは、最後に空港で別れた時だった。子供の頃にもこんなことを言ったことはなかった。けれどどうしても言いたかった。好きな人に「好きだ」と言えるのは特別だっていうことを、中学の時に経験した別離で、私は痛いほど思い知っていたから。


『タカラモノ』を読んでいる時、母のことをなんども思い出して、私はたくさん泣いた。後半からの展開はとくに胸が詰まった。声をあげて泣いてしまった。こんな風に泣けるのは一人でいるからだと気づくと、一人暮らしでよかったとも思った。


「好き」という言葉ほど、出し惜しみが勿体ないものもない。この小説を読んで、痛いほど思い知った。


 この作品もまた私の「タカラモノ」になるような気がする。

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