死にたがりのボクとカノジョ
長宗我部芳親
ボクとカノジョ。
『――葉田通りで殺人予告だって。気をつけてね』
朝早く、母からこんなラインが届いた。
白く薄暗い曇天の今朝、街のネット掲示板に殺人予告が書き込まれたらしい。午後4時から夕方6時にかけて葉田通りで無差別に殺人を行うのだという。
放課後。気づけば、ボクはその通りに突っ立っていた。
ボクはそれから、無心で人の流れに逆って歩く。
路肩には赤色灯の光った警察車両が停められていて、そこかしこで私服警官が警備を展開していた。警察たるもの、犯罪は未然に防がなければならない。
ここに来るまでに見かけた、幼稚園や小中学校にも警官が駐在していた。
そのせいか、通り一帯の空気がピリついている。
道行く何も知らない人達はこの異様な光景に、何事かと見入っていた。
皆、赤いランプに何かしらの事件性を見出しているようだった。
ボク自身も一体、何を思ったのか分からない。
いつまで経っても死を決行できなかったボクの脳内は、死ぬことばかり考えていた。そしてその度に、辺りから何かが腐ったような臭いを嗅ぎ取った。
これが俗に言う、死臭というものなのだろう。
有名人の訃報を見るたびに死がより一層身近なものに感じられて、ボクもいっそ後を追うように死ねたらなと何度思ったことか。
だけど、そのたびに何故か踏みとどまった。
多分、ボクが” 意気地なし ”なだけなんだと思う。
今朝、母親から達しがあったときから、頭の中からこの事が離れなかった。
もしかしたら、フラッと現れた彼がボクを一思いに殺してくれるんじゃないかと、淡い期待を抱いていたのかもしれない。
どこかパッとしない曇り空を見ていると、なんとなく胸騒ぎが起こる。
今日は夕方まで、この通りをずっと彷徨っていよう。
と、行く宛もなく通りをフラついていると、ふと見覚えのある姿が目に映った。
自然と足が止まる。
風で揺れる黒い髪に、凛とした立ち姿。
吹き付ける風で靡く長髪を片手で抑えながら、彼女はそこにいた。
「橋崎さん?」
「……あっ、川上くん」
彼女はこちらに気づいたようで、振り返ると、小さく口を開いた。
制服姿で、手提げ鞄を持っている。学校帰りだろうか? 昔通っていた小中学校の同級生。高校に進学してから離れ離れになっちゃったのだけど。
まさかこんなところでまた会えるなんて。
何をしていたのだろう。
「中学校を卒業して以来だね」
「あ、うん」
ボクたちが出会ったのは赤い橋の上。
春は桜の名所とも称される川に架けられた、赤い紅葉がモチーフの特徴的な橋。
彼女は橋の下を見下ろしていたのだ。
「橋崎さんには連絡来てた? 通り魔事件の予告。今日の夕方にこの葉田通りで人を無差別に殺傷するって予告がネット掲示板に書き込まれたって」
「そ、そうなんだ。そんなのがあったんだ……。全然知らなかったよ」
「制服だけど学校帰り? それとも、これから塾とか?」
「いや、ええっと……うん、そうかな」
彼女は視線を逸らす。
何か隠しごとしているような素振り。
「どうしたの?」
「なっ、なんでもないよ。殺人だなんて物騒な響きで怖いね……それじゃあ、私は帰ろっかな。教えてくれてありがとう。またね」
彼女はそう言うと、そそくさと去っていってしまった。
どうしちゃったんだろう。
なんだか様子がおかしい気がしたけど、きっと気のせいだろうと思い込むことにした。もしかすると本心はボクのことが嫌いで、今までソレを表に出していなかっただけなのかもしれない。
彼女と分かれた後もボクは日が暮れるまで歩き続けた。
結局、肝心なことは起らなかった。
赤の差す空の下、夕焼け小焼けのメロディが鳴る。
警官達は皆引き上げていく。やがて、ボク一人になった。
もう帰ろう。諦めがついて帰路についた。
今日も家までの近道になる公園を通った。夕陽を背に、子どもたちがサッカーをして遊んでいる。無邪気な彼らを横目に敷地を抜ける。
今日は其処中をずっと歩き回っていたから足が疲れていた。
少し、そこのベンチで休んでいこう。思い至って、ボクが近くにあったベンチに向かって歩いていると、先客がいたことに気がついた。
忘れ物。
ペンギンのフェルトが縫われた、緑の定期券入れ。
どこか見覚えのあるものだと思ったら、ボクたちの学年が中学校の卒業記念に貰ったものだった。落とし主はボクと同い年の子のものだろう。
定期券にはハシザキ ミノリと丁寧にも氏名が記載されていた。
間違いない、橋崎さんのだ。ボクとが分かれた彼女はあれから、この公園に立ち寄ってこのベンチに腰掛けていたらしい。
橋崎さんの家なら知ってる。
今住んでいる一軒家に引っ越す前、同じマンションに住んでいたから部屋番号なら覚えている。困っているだろうから、返してあげよう。
彼女が住んでいるマンションに足を運ぶ。
どこか懐かしい空気を感じながら橋崎さんの部屋に向かった。
3階、305号室。ここだ。橋崎の表札が確かに貼られている。
呼び鈴を押した。
………………。
返事がない。
留守かな。
薄汚れた室外機からファンの回る音が聞こえる。
その横には、水っ気を失った土の入った鉢植えが置かれていた。
それじゃ、郵便受けに入れておいてあげようかな。
一階ロビーにある、入居者たちの郵便受けのある部屋。
そこで彼女の部屋の番号を探す。
えっと、えっと……
あった。
「………………」
橋崎さんの家の郵便受けは、見るに耐えない姿だった。
彼女の部屋の郵便受けは中から新聞やらチラシやら溢れかえっていて、お世辞にも綺麗と言えない。まるで手入れがされていないようだった。
これじゃ、中に入れられない。
それよりも、何かあったのかと心配が勝ったが……
明日また、時間を見計らって届けに来よう。
その時に彼女の口からなにか聞けたらいいな、なんて。
今日はひとまず、お預けということにした。
家に帰ってからはいつも通りの暮らしだ。
お風呂に入って、何も知らない母さんの料理を食べて、受験勉強をして。床につく。そんな些細な時間に母さんが、殺人予告の件云々、ボクの身の安全を心配してくれていたことを知ってとてもやりきれない気持ちになった。
薄暗い天井、室内。
空気清浄機が回る音に耳鳴りが混ざる。
眠りにつくまでの、考え事をする時間。
やっぱり橋崎さんのことが脳裏から離れなかった。
彼女の身に何かあったのだろうか。
気になって、彼女と同じ高校に通っている知り合いにラインをしてみた。
しばらくして既読がつく。
送られてきた返事から分かったのは――、
彼女が引き籠もりということだった。
学校にもあまり姿を見せず、外に出ることも殆どない。昨年、学校生活で色々な問題を抱え、精神的に不安定な状態になってしまったのだという。
そこに追い打ちをかけるように半年前、父親が他界してしまった。
一連の出来事を経て、彼女は変わってしまったらしい。
ふと、思い出してベットから立ち上がる。
さっき、机の上に置いておいた定期券の存在。
明かりを灯して見てみると、有効期限は彼女の父親が亡くなったのと同じ、半年前で切れていた――。
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