第70話 高原の街ピレーネへの空の旅
「さあ、いくわよ!」
「本当にこれで行くのかよ」
熱気球を使えば山の中腹まで直接行けるんだし、いいじゃない。ふわりと浮かんだあと流されない様に風の魔石で進路を調整すると、ゆっくりと北に向かって進み出した。
カリンちゃんも連れて来ようかと思ったけど、危険なので、エリザベートさんやライル君と一緒にもっと安全なところに行くそうだ。
「そんなに危険かしら」
「この状況でよく危険じゃないと言えるなァ!」
朝の新鮮な空気を堪能するために地上十メートル飛行はやめて気分良く普通に高度を上げていたらギャーギャー騒ぎ出したわ。
「そんなに下が気になるなら居住スペースに居ればいいじゃない」
「それはそれで不安なんだよ!」
仕方ないわね、高度を下げて低空飛行で行きますか。風の関係でゆっくりになってしまうけど、今回は寄り道をする関係で夏のコーデが終わり次第出発したから日程に余裕があるわ。
どこか茶葉が摘めるところがあればいいんだけど、期待せずに行きましょう。
「しばらく何もないのだし、サンドイッチでも食べながら地図を確認しましょうよ」
私は山苺や葡萄で作ったジャムを挟んだサンドイッチやロールパンの切れ目にウインナー、ハム、野菜、卵などを挟んだ惣菜パンを取り出し、魔法瓶に入れた眠気覚ましのホットコーヒーを勧めた。夕方までに中継都市に着く様に朝イチで出発したから、朝ご飯抜きでお腹が空いたわ。
私はサンドイッチを片手に地図を取り出し旅程を確認する。まずは北の城塞都市ブルームにいって一泊する。次に偏西風に乗って北東に進路を取って一気に第一目的のイストバード山の領主館に乗り付け、そこから山を登って高原にある薬草を見学し、山頂のカルデラ湖でボートを浮かべ、火口の湖の景色を堪能する。そこからは領主館に帰らず、そのまま東の港町に向かうのよ!
「ところで主人のいない領主館を維持する仕事って暇じゃないのかしら?」
「普段はお前らが使っていた研究室の薬草を納めているぞ」
つまり、北のイストバード山の高原にある街に住む町民はみんな王宮直属の使用人のような立場らしい。だから、町民がいても税収がゼロなのだとか。
「それはお勤めご苦労様ね」
どうせなら、薬草以外にも食べられるものが見つかったら送ってもらいましょう。キノコとか茶葉とか山芋とかね。
「キノコなんて食えるのか?」
「見てみないとわからないわ」
一応有毒か鑑定はするけど、仮に毒でもキュアポーションで一発完治なんだし心配することはないわよ。
そんなやり取りをしている内に日が昇ってきて、朝霧が晴れて遠くの風景がよく見えるようになった。北西や森林が広がり北東は見渡す限りの平野だった。きっと、高度を上げたら絶景なのでしょうね。私がスッと高度調整器のレバーに手を伸ばしたら、
ガシィ!
ブレイズさんの手に阻まれた。
「おい、何を高度を上げようとしている」
「目の前の自然のパノラマを高いところから楽しもうかと思って」
ギリギリと高度調整器のレバーを巡って攻防が繰り広げられ、やがてブレイズさんに軍配が上がった。そこまで高いところが嫌なんて、きっと高所恐怖症なのね。
仕方ないので居住スペースに移ってポーション作りやケーブル作成で時間を潰す事にして、何か見えたら呼んでもらうことにしたわ。平野じゃ新しい発見も無いでしょう。
◇
生産に集中してしばらく時間が経ち、ふと懐中時計を見ると正午を過ぎていた。お昼は出し巻き卵とオニギリ、そして唐揚げと煮物を魔石レンジで温め直すだけよ。
「お昼の準備ができたわよ」
「ああ、わかった」
外の風景を見ると、比較的大きな沼を横断するところだった。ちょっとした湿地帯かしら。蒸気馬車だったら迂回するところね。
「途中でなにか面白いものはあった?」
「なにもないな。強いて言えば広い綿花畑が出来ていたところか」
大規模農業は初期だけど順調なようね。まだまだ開墾して生産を増やせるわ。私は唐揚げをパクリとしながら次の質問に移った。
「城塞都市ブルームには何か特産品とかあるのかしら」
「あるわけないだろう、北の防衛拠点だぞ」
本当に一泊するだけになりそうね。その後、昼食を食べ終えて延々と道中の生産ノルマをこなしていき、夕方になる頃に目的の街の南門に降り立っていた。
そして、なぜか囲まれていた。
「面妖な!」「空を飛んできたぞ!」「敵襲か!」
などと、門番と衛兵さんと思しき人たちに槍を突きつけられてしまったが、
「「「失礼いたしました!」」」
なんの役にも立たないと思ったけれど、案外、役に立つものね、この紋章。その後、魔法鞄から蒸気馬車を出し、街中央の宿で停まってチェックインをした。ディナーは一般的なステーキで、可もなく不可もなくといったところだったわ。お肉は焼けばある程度は美味しくいただけるし、パンもやわらかい。白ワインはおそらくウィリアムさんのもので文句は無いわ。ここ数年で、ここまで食文化が広がったと、私はかなりの達成感を感じた。
「まあまあね!」
それにしても、多少は白ワインを飲めるような年齢になったおかげで、かなりご満悦だわ。苦労した甲斐があったわね、主にウィリアムさんが!
「明日は昼前には領主館に着くぞ」
「思ったよりずっと長い道のりだったわね」
「五年前なら二、三日はかかっていたのに一日で着く方がおかしい距離だ」
途中でキャンピングカーで野宿になっても問題ないんだけどね。やっぱり空から迂回なしで一直線はだいぶ早いわ。その代わり、ちょっと退屈なのが玉に
その後、明日に備えて私は軽く湯浴みをしてすぐに就寝した。
◇
次の日の朝、モーニングセットをいただいてチェックアウトを済ませて北門を出ると、熱気球に暖気を送り込んで再び空をいく旅人になった。ふわりと浮かぶ熱気球に驚きの声をあげる門番さんたちに手を振り、偏西風に乗って一路北東のイストバード山に向かった。
「さあ、イノシシ鍋に向かって出発よ!」
「狩猟の予定なんてないからな」
予定はなくとも身に降り掛かる火の粉は払わねばならないのよ。それに、昔と違って醤油も味醂も日本酒もあるのだから、かなり美味しい鍋が作れるわ。
城塞都市を出て二、三時間すると、前方に大きな山が見え始めた。思っていたよりずっと大きいわね。カルデラ湖を形成するくらいだからあたり前かも。
「あ、中腹に街のようなものが見えるわ」
「あれがベルゲングリーンで最も高い場所にある街、ピレーネだ」
街の斜面にある木の葉、茶葉じゃないかしら。ひょっとして街の人が栽培して緑茶とかにして飲んでのかもしれないわ。着いたら少しもらって発酵させて紅茶にしてみましょう。
その後しばらくして、私たちはゆっくりとピレーネの中央広場に降り立った。
◇
「薬爵様、遠いところ、よくぞおいで下さいました」
領主館に着くと執事っぽい人が出迎えてくれた。名前はバートさんで、二十年以上、この館の維持管理をしてきたのだとか。
館内を案内されながら客室に迎えられ、その場で淹れられたお茶を飲んでみると完璧な緑茶だった。
「素晴らしいわ」
湯加減、蒸時間、湯切りが完璧なタイミングで出されている。これが熟練の執事というやつなのね。私は発酵させて紅茶を作るために緑茶に使っている葉を分けてもらうようにお願いした。
「お安い御用です。発酵の仕方をご教示いただければピレーネで作って王都に薬草と共に送ることも十分可能でございます」
「ありがとう、後で書面にして渡すわ」
これで紅茶も出来てしまうわね。乾燥フルーツやハーブを混ぜていけばあっという間に好みの紅茶が出来上がるわ!
その後、領主の部屋の引き継ぎと領主印の引き渡しが済んだ。済んだけど、領主印がないと決済とか困るんじゃないかしら。そんな疑問を話すと、代行印をもらったので通常業務なら問題ないそうだ。領主印は、文字通り私の許可が必須な時にのみ使われるので、私自身が持っていないといけないらしいわ。
「恐れながら、ポーションを作成するところを一度だけ見せて頂けませんでしょうか」
何年も続けてきた薬草採取が実を結んだところを見たいと?いいでしょう!私は癒し草を持ち、神仙水を入れた瓶を中央に配置して錬金術を発動させた。
「魔力神仙水生成、水温調整、薬効抽出、薬効固定、冷却・・・」
チャポン!
上級ポーション(++):軽い欠損や重度の傷を治せるポーション、効き目最良
「はい、これはバートさんにあげる・・・わ?」
振り返るとバートさんが涙を流していた。なんだかよくわからないけれど、きっと何かしらの思い入れがあったのでしょう。私はバートさんに上級ポーションを手渡すと、バートさんを客間に残してブレイズさんと共に領主の部屋に移動した。
「びっくりしたわ!」
「バートさんは事故で奥さんを亡くしてから、ずっとポーションの復活に尽力してきたんだそうだ」
そんな事情があったのね。人に歴史ありとはよく言ったものよ。
これからは私の弟子たちがポーションを作り続けてくれることでしょう。私はそう言って外に目を向け、窓から差し込む木漏れ日に目を細めた。
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