第35話 野生酵母とモンブラン
「実家に帰らせていただきます」
「藪から棒に何を言っている」
ちょっとウイスキーの野生酵母が必要なんだけど、私が12年間過ごした家の近くの大麦畑なら、私が引き寄せた地脈の影響でスーパー酵母になっていると思うから、最終的な味わいを考えると、できればそこの野生酵母を元種に使いたい。でも無理ならそこらの普通の野生酵母で妥協するわ。そう説明すると、わかったと即答された。
「仕方ないな、さあ行くぞ」
グンッと全身のバネを使って立ち上がり、今すぐにでも行こうとするブレイズさんには、仕方なさは微塵も感じられない。
これは更にプッシュしてもいけるわね。
「どうせなら上級ポーションの薬草も採取したい!あと登山途中にある栗の実も拾いたい!」
「…まあ、いいだろう」
熊や狼でどうにかなる玉でもないしな、というボソッとしたブレイズさんの声が聞こえてきたけど気にしないわ。久しぶりの旅行よ!
◇
「などと少しでも思った私が馬鹿だったわ」
ノンストップでバギーで単騎駆け、もとい二騎駆けの強行軍で夜の
途中で疲れたと
もう!どこのだれよ、疲れをポーションで取り去るなんて悪魔的発想をしたのは!
「やはりバギーはいい…」
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、自分専用バギーの走破性に満足の声をあげるブレイズさん。いわゆるツーリングの楽しみを覚えてしまったようね。まあいいわ。
「村長さん久しぶりです」
「おおメリアじゃないか」
久しぶりじゃのうという村長さんに来訪の目的を伝え、大麦畑の一部を土ごと保温ボックスで持ち帰らせて欲しいとお願いして、
「つまらないものですが」
と、金貨100枚を積んだ。
「こんなにいらんわい!」
いえいえ、どうせ貯まる一方なんですから村で役立てて下さいと、各種ポーションも並べた。お世話になったのだから、これくらいいいじゃない。
「はぁ、わかった。せめて好きな区画のものを持っていくがいい」
「ありがとうございます」
よし、これでスーパー酵母は手に入るわ!
その日は生家で一泊した。翌日に地脈が集中している箇所の大麦を土ごと保温ボックスに入れて魔法鞄に収納すると、薬草高原に向かった。
「途中に針だらけのイガイガした実がなっている木があるからそれを収穫して中腹の高原に向かうわよ」
「そんなもの食えるのか?」
当然よ!私が今まで食べられないものを出したことある?というと、ブレイズさんは納得したようだ。
やがて目的の木々が見えてくると、私は木の周りを複数のカゴで囲って軽く栗の木の幹に触れて発勁を繰り出した。
ズシンッ!ボトボトボト…
大漁大漁っと、この要領で収穫を何回か繰り返すと複数のカゴが栗の実でいっぱいになった。と、そこで妙な唸り声が聞こえた。
「どうやらお客さんだぞ」
あらら、大きな音を立て過ぎたかしら。振り向くとブレイズさんの向こう側にフォレストマッドベアーが牙を剥いて両手を振りあげて威嚇のポーズをしていた。仕方ないわねとテッドさんが作ったヒヒイロカネの槍を取り出して前に出ようとする私に、ブレイズさんが腕を水平に上げて待ったをかけた。
「だから今度は自分でいかず任せろって言ったろ」
そんなこと言ったかしら。それならと私は槍を持ったまま大人しく後ろに下がると、
ブシュ!ゴロン…
ブレイズさんは気負う様子も見せずに近づいたかと思うとフォレストマッドベアーの首を
「まあこんなもんだ」
「これじゃあテッドさんの槍を確かめる機会がないわ」
ないのが普通だと血を落として剣を納めるブレイズさん。命を粗末にするのも何だしフォレストマッドベアーは帰りに冒険者ギルドにでも卸しましょう。
◇
そのあと高原を目指して登っていくと、やがて癒し草が群生する一面の草原にたどり着いた。初めて来た時はどうして他の薬師は放っておくのかと思ったけど、錬金薬師が私だけだったと知った今では納得だわ。
「もう少し奥に行くと月光草の群生地があるわ」
一年前の記憶を頼りに癒し草の草原を進んでいくと月光草の群生地が見えてきた。これでまた最高品質の上級ポーションが作れるわね。私は刈り尽くさないように去年と同じく十本ほど月光草を採取して乾燥処理を施すと、その場を後にした。
「まだ残っていたようだがいいのか?」
「全部刈り取ったら来年以降採取できなくなるでしょ」
その後、ブレイズさんにも手伝ってもらい癒し草を時間が許す限り採取しては乾燥して魔法鞄に放り込んだ。
「そろそろ帰りましょう」
「ここに来ればいくらでもポーションが作れるな」
こんな場所が王都の近くにあれば楽なんだけど、近くに山脈とか高原地帯とかないから無理でしょうね。下山しながら似たような場所があれば王宮の人に教えてもらうようにお願いした。
「あと、この栗の実も近くにあればいいんだけど市場に置いてないのよね」
「そんなの見たことないないぞ」
おかしいわね。こんな美味しいものが知られていないとは。私はいくつか割って中身を取り出し、鉄板を出して移動しながら焼き栗を作ってブレイズさんに渡す。
「こうやって縦に割ると中の甘い身が出てくるわ」
私は手本を見せるように焼きたての栗を割って食べてみせた。ほら、素でこれだけ美味しいもの。ブレイズさんも見よう見真似で食べると、素朴な甘みが気に入ったようだ。
「これは美味いが、山の中でしか取れないんじゃ魔獣が居て農家に収穫は無理だろ」
「フォレストマッドベアーとフォレストウルフくらいしか出ないわよ」
普通は、それで十分脅威なんだよと呆れたように言うブレイズさん。またまた、あんなにあっさりフォレストマッドベアーの首を刈っておきながら脅威なんて思ってないでしょ。私の目は誤魔化せないわよ!
でも困ったわね。それじゃあモンブランも栗きんとんも栗ご飯・・・うっ、頭が。
「仕方ないわね、なんとか平地で育てられるよう研究しましょう」
高原の温度が条件ならガラス部屋で冷却の魔石でも使えばいけるはずよ。ガラス部屋が作れるなら逆に温室も作れるから、年中夏の果物も食べられるようになるわね。夢が広がるわ。
こうしてあまりにも短い旅は終わりを告げた。
◇
「おう、ブレイズにメリアの嬢ちゃん。待ってたぞ」
王都に戻ると待ち構えていたようにテッドさんに迎えられた。
「どうしたのよ、麦の製粉機の仕組みに何か問題でもあったの?」
「いや、あれは試作が上手くいってもう各拠点用に量産中だ」
今回はこれだと、魔法鞄からピカピカの銅の金属が美しい蒸留器を取り出してみせるテッドさん。
「おお、できたのか。さすがテッドさんだな」
「そんなに急いでもらわなくても大丈夫だったのに悪いわね」
なに、お安い御用だと言ってテッドさんは足早に去っていった。忙しいはずなのに、ずいぶん早く仕上げてくれたのね。
「でも泥炭がある場所を探さないといけないのよね」
「なに!?王宮の地理院にいってくるから特徴を教えろ」
私はダメもとで炭化のあまりすすんでいない石炭が泥状に分布している川の上流地帯が理想だと
◇
「これがモンブランよ!」
大量に収穫してきた栗を使って、早速、モンブランとモンブランのタルトを作った。錬金術による急造酒を使用しているとはいえ、ラム酒の香る大人の味に仕立てたケーキとタルトの生地に乗せられたマロンクリームと生クリームのハーモニー、そして中央に鎮座するシロップの滴る栗はかなりの自信作だ。実に秋らしいお菓子よね。
「おお、これは素晴らしい」
これほどの素材が市場に出てこないで山奥に埋もれていたとはと、興味深くイガイガのついた栗を見る料理長。きっと、この素人が作ったモンブランを昇華して、プロとして完成度の高いデザートを生み出してくれるに違いないわ。
私はまだ見ぬ魅惑のデザートに夢を馳せるのであった。
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