女主人の努め

@yasaka_kg

序幕

 父が震える手で握る一枚の美しい手紙には、この国を表す三つ首の鷲の紋章が神々しく描かれている。


 ペイト・アルダン侯爵令嬢をグリューゲル王国の剣レオンテウス・バルツァ伯爵の妻とする。


 陛下直筆の一文に家族は皆絶句していたが、私はというと「ついにこの時が来たか」という諦めの気持ちの方が強かった。侯爵令嬢という身分に生まれたのなら、遅かれ早かれ政略結婚は避けられない運命だ。……それが例え、子を成せない体だとしても、流れる血に価値を見出すのが貴族というものだから。



 14歳の時、領地内の視察について回っている際に土砂崩れに遭い大怪我を負った。幸い家族も従者も無事だったが、その時に診断で子は成せないとハッキリと明言されたのだ。両親にも兄にも侍女達にも、守れずに申し訳ないと泣いて詫びられた事を今でも覚えている。皆の命が無事だったこと以上に喜ばしいことがあるのでしょうかと問い、さらに泣かれたことも。

 子を成せないのなら、嫁いだ所で世継ぎを残すという役目を果たせないのだから愛されるはずがない。アルダン家と縁を結ぶ為に私を娶る男性は、子を作る為に愛人を囲うだろう。外面を意識しての擬似夫婦、女主人としての仕事は求められるが愛情を向けられることはない。両親のお陰で容姿は悪くないはずなので、時々気分転換に抱かれはするかもしれない。……そんな生き地獄を歩む事が約束されていることを私だけでなく多くの人が知っていた。噂とは1つ話が漏れ出たら倍々に膨れ上がりあっという間に公然の事実となるのだ。


「100年戦争の英雄への褒美がペイトだとでも!?名誉爵位を与えたぐらいだ、自身の娘を差し出してもよかったろうに!」

「元は賞金稼ぎの傭兵ですよ!?そんな武骨者のところにペイトを差し出すなんて!」

「バルツァ卿に与えられた領地はアルダン領とも一部隣接していますから、手を組んで国防を固めろという事なのでしょうね」

「ペイト!なぜそんなに冷静でいられるんだ!?」


 ぎゃいぎゃい騒ぐ両親と兄を横目に、王家の紋章が描かれた手紙を手に取る。たった一枚の上質な紙は鉄板の様に重く感じられた。


 この大陸は2年ほど前に100年に及ぶ戦争に終止符を打ったばかりだ。

 今回の戦争で敗戦国となったタロス帝国が領地拡大為に周辺国に幾度となく侵略行為を繰り返し、それが徐々に過激になり隣国の皇太子が暗殺されたことがきっかけで戦火は瞬く間に広がっていった。帝国は遥か昔大陸全土を支配していた古代タルタロス王朝の復興を唱え、魔獣を生み出してまで侵略行為を推し進めるという蛮行に出ていた。しかし魔獣と魔獣を掛け合わせてより強い個体を生み出していたその禁忌が裏目に出たのだ。制御出来ない高い知能を持った個体が現れ始め、それらが徒党をなす様になった。当然その魔獣達は帝国を荒らし、怒りをぶつけるかの様に周辺国にも甚大な被害をもたらし始める。そこで帝国に侵略されていた4つの国が手を組み、連合軍が設立された。

 レオンテウス・バルツァはその連合軍内の隊長の1人だったそうだ。元々犯罪者や魔獣の鎮圧を生業としていた傭兵団を率いていた様で、その腕を見込んだ国王が大金を叩いて抱え込み出陣させたという。その大金の以上の価値を見せたレオンテウスを実際に直近で見た騎士は「どっちが魔獣か分からなかった」と苦笑いしていたらしい。それほどまでに圧倒的な武力。ついには帝都を占拠していた魔獣の長を単騎で打ち取り、その名は大陸全土に響き渡った。

 1年前に名誉爵位として異例の伯爵位が与えられたばかりだったが、その時にどうやら取引があったらしい。何故自分なのか、とは思わなかった。女を囲うのにこうも都合のいい人材そう居ないだろうという自負があったから。


「ペイト……」

「お兄様……残念ですが、国王陛下直々のお達しです。それに、二度と会えなくなるわけじゃないでしょう?」

「そんなこと分からないだろう!?お前がどんな仕打ちを受けるか、想像するだけで俺は胸が張り裂けそうだ……!」


 手を強く握られ、初めて自分の手が震えていた事に気付く。


「お前の体の事だけじゃない……きっと、この力の事も知った上での褒美なんだろう……」


 バルツァ領となる地域は、帝国領が4分割されグリューゲル王国領となった地域の一部だ。長きに渡る戦争の傷跡が残る地域は作物を育て、土壌を整えるところから整備を始めるのが一般的とされる。そうなった時、私が持つ魔法……草花に生命力を与えるという能力は大いに役に立つだろう。実際、戦時中も領内を隅々まで巡っては微力ながら作物に、領民に元気を分け与えてきたつもりだ。

 ……あの時に、一度だけバルツァ卿を見たことがあった。燃える様な赤い髪と、狼の様な鋭い金の瞳。肩幅の広い背は見上げる首が痛くなりそうなほどに高く、顔は……。そこまで思い出して小さく溜息を吐く。顔を知っていて良かった。事前に知らないまま婚姻を結んでいたら、きっと愛されようと無駄な足掻きをしていただろう。あんな美丈夫、女性の方から群がるに決まっている。もしかしたら女主人としての役割以外は一切求められないかもしれない。


「頑張りますね、兄上」


 ニコリと笑う。間違っても愛さない様にしよう。分かりきっているのに虚しくなるなんてごめんだから。

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