1話 

 バルツァ領は温暖な気候と平坦で耕作に適した土地が特徴的なのどかな地域だった。本来であれば小麦畑や葡萄畑が美しく広がっていたであろう風景は、今はまだ戦争の前線だった名残が色濃く残っており、お世辞にも良い眺めとは言えない。加えて作物だけでなく生き物にも優しい気候地帯のため、今でも山に近い街や村では魔獣の被害が度々報告されているという。それでも居城があるニグラスはまだ整備が追いついており、城が遠くに見えてくる頃には馬車の揺れも体が跳ねるほどのものではなくなっていた。


 陛下からのお達しが届いた後、バルツァ卿からも手紙が届いた。中身は至ってシンプルで『急な話で驚かれた事だろうが、貴女を妻に迎えられることを心から光栄に思う。バルツァ領全ての民が貴女を歓迎する。馬車を迎えによこすのでいつ頃こちらに向かうか教えて欲しい』というもの。筆圧が強く全体的に右肩上がり、それに跳ねに勢いがある文字だった。それが一騎当千の英雄様の性格を表しているようで、少しだけ面白かったのは内緒だ。……こんな事で好感を持っても、すぐに叩き落とされるだけだというのに。

 王家からの命令なのだから早いに越した事はないだろうと、すでに支度を始めているしこの手紙が届いた3日後には城へ到着するように屋敷を出るので馬車は不要である旨の手紙を出して今に至る。カーテンの隙間から外を覗くと、嫁入り道具がぎゅうぎゅうに詰められた馬車と私だけが乗った馬車を指差して何かを話す領民達の姿が見えた。思ったよりも表情は明るい。その背中はしっかりと伸びており、食糧の供給がどうにか追いついている証拠でもあった。


 そうして城に着き、従者の手を借りて外に出るとサラリとした風が頬を撫でた。季節はもう少しすると寒さへの備えを始める頃になる。

 最低限の整備がされた庭園を横目に城の入口へ近づくと、目立つ赤髪の男性とその斜め後ろに控える一組の男女が目についた。3人とも、どことなく表情は固い。


「伯爵様直々の出迎えに感謝いたします。アルダン侯爵家が長女ペイトと申します。覚えていらっしゃるか存じませんが、一度お会いした事があります」

「……ええ、覚えています。貴女を心から歓迎いたします」


 カーテシーをすると、バルツァ卿がおすおずと一歩前に出てきた。後ろから小突かれていた様な気がしないでもないけど、目の前の男性はピクリともみじろぎしなかったので執事が少し動いたのがそう見えただけかもしれない。そっと手袋を付けたまま右手を差し出すと、小さなガラス細工に触れるかのように弱々しく拾い上げられ強張った表情のままに甲に唇を寄せる動作をして見せられた。あまりにもぎこちなく優雅とは程遠い仕草が、元傭兵であることをまざまざと語っている。本当に恐る恐る握られたものだからこちらにまで緊張が移ってしまいそうで、挨拶が終わったのを見て感じが悪くならない程度に素早く手を引いた。


「一言二言の会話でしたのに……覚えてくださっていたとは光栄です」

「あ、ああ。……内面を、気遣ってもらえたのが嬉しくて」


 そう言ってバルツァ卿は自身の心臓を服の上から軽く撫でてみせた。嬉しくて、と言った低い声が優しく笑っている気がして顔を上げると、バチリと目があった瞬間、弾かれるように視線を逸らされた。もしかすると人見知りなのかもしれない。


「……長旅で疲れ、あ、いや……お疲れでしょう。執事長のナスアと侍女長カミルラが部屋へ案内します」

「あの、伯爵様、どうかお話ししやすいように。陛下のご意向ではありますが式を迎えれば夫婦となるのですから、侯爵家のことはお気になさらないでください」


 貴族相手に話す機会があったとしても、依頼を受ける側となればそこまで深く受け答えをすることはなかったはず。アルダン家のほうが爵位が高いので意識しているらしく話し難そうにしている様子に首を振ってみせると、バルツァ卿は少しだけ目を見張り、そして読めない表情のままに目を細めた。何を思って瞼を伏せたのかは分からないけど、この人……睫毛が長い。

 言いよどむ姿に何か声をかけるべきかと悩んでいると、控えていた執事長と侍女長が揃って小さく咳ばらいをしたのが聞こえた。何かの合図だったのか我に返ったようにバルツァ卿が私の方を見る。


「……では、ペイトと、呼ぶことを許してくれるか?」

「もちろんです」

「そうか。ならば、どうか俺のこともレオンと呼んで欲しい」

「分かりました」


 敬語じゃなくても構わないという意味だったはずなのに、長い脚相応に心の垣根を大きく踏み超えて来られて少し動揺した。

 親しい間柄にのみ許すはずの愛称を私に託すなんてどういうことだろう。普段からそう呼んで仲睦まじい夫婦像を作り上げていく魂胆なのか、気を許してくれようとしているのか。感情の起伏があまり見られなかった顔が初めて穏やかに緩むのを見て、逆に眉間に皺が寄りそうになるのをぐっと堪えた。


「では、ペイト様。改めまして、この城で執事長を任されておりますナスアと申します」

「侍女長を任されておりますカミルラと申します。お部屋まで案内させていただきます」

「ナスアとカミルラですね。これからどうぞよろしくお願いします」


 軽く挨拶を交わせば、二人はにこりと微笑んで城の門を開けた。

 普通は城に長く務めた者がその役割を取り仕切るようになるが、この城は元々帝国領の貴族のものだったはず。ここの最後の城主だった貴族は保身に走り、跡を継ぐなりこの城と領地を投げ出して帝都に逃げ、そして早々に捕まったという話を聞いたことがあった。それ以来この英雄が率いる傭兵団が占拠していたそうなので、城に勤めていた執事も侍女もいなかったはず。この執事長と侍女長の背景が全く見えない。よその貴族から引き抜いてきたのか王家から与えられたのか。

 そんな私の疑問を見透かしたように、小さく振り返った私と目があったナスアと名乗った銀髪の男性がニコリと微笑んだ。歳は40ぐらいだろうか、柔和な表情をしているがその身体は顔に似合わず厚みがあるように見える。


「私どもは元々、レオンテウス様の傭兵団に席を置いていた者だったのです。元は商家の生まれで、しばらく男爵家に仕えていた時期もありますので心配は無用かと」

「ども?ってことはカミルラも?」

「はい。守護陣を描くのが得意でして。お恥ずかしい話ですが、好いた執事が傭兵団に入ると言い出したので屋敷から夜逃げした身です」


 え?とナスアを見るとまた微笑まれ、見比べるようにカミルラを見るとこれまた微笑まれた。なるほど?

 それに、夜逃げした令嬢がいる男爵家には心当たりがあった。そういう嘲り易い話題は貴族間を飛び出してあっという間に侍女から商家へ商家から酒場へと広がっていく。その広がり方の速さは身をもって知っている。


「この城には、他にも傭兵団の方々が?」

「はい。この城の屯所に詰めている騎士は30名ほどですが、7割が傭兵団の者です。残りはレオンテウス様の武勇に憧れ入団を志願し、試験に合格した者たちとなります」

「それは頼もしいですね。侍女や料理人たちは?」

「侍女は数人が傭兵団出身の者で、残りは働き口がなかった領民の一部を雇用しております。料理人も、同じく」


 つまりこの城の半数以上はレオンテウス直属の部下というわけだ。100年戦争を終わりに導いた英雄とその英雄率いる傭兵団が治める領地。揺るぎない功績をこの他国との境にある領地へ据え置いたのは、これ以上何者にも侵略を許さないという強い主張に他ならなかった。

 今は伯爵位を賜った身とはいえ、元は傭兵団の団長と部下。距離は一般的な貴族の屋敷の中でのそれよりずっと近いものだろう。城の従者みんなと打ち解けることができたらいいのだけど。小さく呼吸をはいて前を見ると、先導していたカミルラがこちらを見て柔らかく微笑んだ。……私にはその笑みの真意を読み解くことができなかった。

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