第3章

0話③ ある男の決断

 ──俺はもうじき死ぬ。


 男はそう確信していた。自分は今地べたにうつ伏せに寝ていた。地べたはなんだかちくちくした感触がした。おそらく草原の上で寝ているのだろう。そして手に生温い液体の感触が当たる。それが自分の血であることはすぐにわかった。しかもかなりの量だ。もうじき出血多量か失血で死ぬ。男はそう理解した。意識も朦朧としており、視界も真ん中がぼんやりとしか見えない。そのわずかな視界で見えるのは、赤く燃え広がる炎だけ。


 ──これが報いか。


 男は朦朧とする意識の中でそう理解した。もはや力は出ず、出そうと思っても体が言うことを聞いてくれない。


 ──だが、やはり解せぬ。


 すぐにそう思った男は、震えながら右手を伸ばした。伸ばすその先にあったのは、刀身が半分折れた一本の脇差だった。残っている刀身も激しく刃こぼれしており、見るからに使い物にならない。だがそれでも男は手を伸ばし、柄に手を置く。握る力はもはや残っていなかった。


 ──奴は、俺が。


 いつ切れてもおかしくない意識の中、男の脳裏にはただ一人が浮かんでいた。

 えんじ色の髪に、鋼鉄の体。そして風になびく赤いマフラー。


 ──無心の刃……!!


 男は力なき右手を震わせながら、なんとか柄を掴もうとする。


 ──無心の刃無心の刃無心の刃無心無心の刃無心の刃無心の刃っ!!


 ブシュッと右手から何かが弾けた。力みすぎて血管から血が出たのだろうと男はそう理解した。痛い。そして熱いと男はそう感じた。だが、だからと言って止まるわけにはいかないと、男は残っている力を振り絞って柄を掴む。すると、遠くから足音が聞こえてきた。ゆっくりとそれはこちらに近づいてきた。


「……?」


 ぼやける視界の中、男は足音が聞こえた方を見る。誰かの足が見える。男はわずかに残った力を使って見上げる。左腕が義手になった青年がこちらを見下ろしている。男には見覚えのある人物だった。


「き、さま……エル……トリアの……っ!!」

「!」


 青年はびっくりしたように目を丸くした。


「まだ生きていたのか……!」

「エルトリアのっ……犬、め……!!」


 男は体に力を入れながら起き上がろうとした。熱さと激痛が伴い、このままではあまりの辛さに意識を失いそうなくらいだった。


「……」


 青年は憐れみを含めた目で見つめながら、ゆっくりと義手である左手を差し出す。


「……死にたくないのならこの手を取れ」

「……!?」


 男は一瞬驚愕したが、それはすぐに怒りに変わった。男にとってそれは侮辱行為であると同時に、見下されたと見做したからである。


「ふざ……けるな……っ!! 誰が……そんなことを……っ!!」

「……お前はあいつ、無心の刃を憎んでいるんだろう?」

「!!」


 その名を聞いた途端、朦朧としていた意識が一気に覚醒した。


「確かに……あいつは化け物だ。今はどうなっているのかはわからないが、それでも人ならざるものなのは確かだ。遅かれ早かれ、奴は何かをしでかす可能性がある。お前がもしあいつそのものを否定するのなら、手を貸してやれなくもない。俺がゼハート、エルトリア皇帝に掛け合ってはみる」

「……無心の刃を、否定……」


 存在そのものを否定する。そう理解した途端、男の心が一気に黒い何かで塗り潰されていく。

 復讐。否定。憎悪。嫉妬。

 その他、負の感情に位置するもの全て。

 それらが男を支配した。


「……ろす」

「!」

「俺が、殺してやる……無心の刃……必ず俺が、この手でっ……!!」


 男は脇差を捨ててその手を取った。


 直後、男の意識は途切れ、その行方を知る者は青年以外誰もいない。

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