第14話 優香と決着



 マーイを見ると彼女は綾を見詰めていた。そして綾に向かって人差し指を立て呟く。


「ベトウユッフ」


 お義母さんに抱っこされた綾の上着、スエットがフワッと浮き始めた。服は首をすり抜け、綾の腕を持ち上げて手もすり抜ける。服が脱げて上半身裸になった。


 痩せた体には無数の青あざやみみず腫れがある。


 俺は即座にスマホで綾の体を動画撮影した。離婚の一件があってから優香や托間と会うときは常にボイスレコーダーを回し、何かあれば反射的にスマホで撮影する心構えでいたから自然と体が動いた。


「ちょっと、なに撮ってるのよ!綾もなんで服脱ぐのッ!!」


 優香にスマホを掴まれ俺は動画を閉じた。俺は優香を睨み付ける。


「そんなことより、これどういうことだよ?」


「……」


 優香は俺から視線を反らし答えない。

 手で叩いたり殴ったくらいではこうはならない。トンカチとか硬くて面積の小さい物で強く叩いた跡だ。それが体中無数にある。


 次に元お義父さんお義母さんを睨み付けた。


「これ、お二人がやったんですか?」


 するとお母さんが答える。


「こんな酷いことしないわよ……。娘が……、何度注意しても止めないの。ねぇ、桜沢さん。桜沢さんと離婚してから娘はおかしくなっちゃって、桜沢さんがいないとダメなのよ」


 世の中のシンママは皆、子供を立派に育てている。そんなの甘えだ。


 優香は何も答えない。俺から顔を背けている。

 立場の弱い子供にはこんな酷いことをするのに、俺に詰められたらその態度かよ。ふざけんな。


「母子手帳と保険証はありますか?ちょっと貸してもらえませんか?」


「何に使うんですか?」

 とお義母さん


「このままにはしておけいないので、これから病院に連れていきます」


 時刻は2時半、今なら診療に間に合う。

 すると優香が凄い剣幕で立ち上がった。


「余計なことしないでッ!涼には関係ないでしょッ!!養育費も払わない、再婚もしない。私とももう会わないんでしょ!だったら綾がどうなろうが関係ないじゃない!」


 確かに関係ない。でも子供の医療費は無料だよ。体中こんなに怪我してるのに病院に連れて行かないっておかしくない?

 コイツが焦ってキレているのには別の理由がある。


「なぁおい!自分が罪に問われるから病院へ連れていけないんだろ!?下手したら警察沙汰になるもんな」


 こんな傷言い訳できない。病院に行ったら通報されてもおかしくない。

 これもう保健所じゃなくて警察案件だ。傷害罪、暴行罪、ネグレスト……刑事事件なる筈……。


「ち、違うわよ……。綾は元気だし行く必要ないでしょ……」


「何処が元気なんだよ!ふざけんなッ!こんな青あざだらけでッ!」


 俺は大声を上げて優香を怒鳴った。人を怒鳴るのは初めてかもしれない。コイツが憎い。


 抵抗できない相手からひたすら暴力を受けた綾と同じ目に合わせてやりたい。


「涼が悪いんでしょ!私と綾を捨てた……。このマンション壁薄くて、綾すぐ泣くから近所迷惑になるの。一戸建てならこんなことしなくてもいいのに……。あの家から追い出した涼のせいでしょ!」


「子供なんて泣くもんなんだから、威張って泣かせときゃいいだろッ!近所から注意されたくないとか、自分の保身しか考えてないじゃないか!子供の為に怒られるのも親の仕事だろッ!」


 言い合っているとマーイに服を掴まれた。

 俺はマーイの顔を見る。


「リョウ、アヤ死ぬ」


「えっ……、わかるの?」


「うん。……ピーチイエ、少ない。マーイ、アヤ元気にする」


 そう言いながらお義母さんに抱っこされた綾へ歩み寄る。


 マーイが綾に両手を翳した。


「な、なにか……?」


 と驚くお義母さん。それを無視してマーイは鈴の音のような透き通った少し甲高い声で呟く。


「ルナイセンシ ミカノイメイセ ヨヤイガ シオトヲマタミノレワ ニノモノコ エマタエタアオラカチルキイ ――イミホッ!」


 綾が白い光に包まれる。すると体中の内出血跡が徐々に薄くなり消えていく。半べそをかいた綾の顔が安らかな表情に変わり――。


「あっ あっ あぁぁ」


 綾は嬉しそうににっこり笑った。マーイもにっこり笑う。


「アヤ元気、よかった」


「な、何かが起きたの?」

「信じられん」

「怪我、全部治ったの……嘘でしょ」


 綾の回復を見て幾島家の3人は驚いている。何より俺が驚いていた。

 こんなの手品とかそういうレベルじゃない。マーイは超能力者なのか!?


「涼、これ、一体な何なのよ!この子おかしいわよ!」

 と怯えながら優香。


「こ、これは……」


 不味い……、何か言い訳しないと。逆に通報されるのでは?


「この子は中国拳法の達人で、これはKIKOUって技なんだ。彼女が修行で積んできた技術には中華4000年の歴史が詰まっている」


「ふーん……そうなんだ。凄いのね……中国拳法って」


 どうやら信じたようだ。マーイの言葉、全然中国語じゃなかったけども……。


 マーイは俺達を他所に綾のほっぺを触り、二人は楽しそうに笑い合っていた。

 マーイと綾の笑顔を見て自然と言葉が出た。何の打算もなくただ勢いだけで俺は口を開く。


「綾……育てられないなら俺が引き取る」


「なっ、何勝手なこと言ってるの?涼だって仕事あるんだから育てられないじゃない」


「前みたいな仕事だったら無理だけど、次の仕事は家でやるから問題ない。それに子育ては出来る出来ないじゃないだろ。やるんだよ」


「……私、養育費払えないわよ」


 綾と別れたくないと言うかと思ったが、先ず出るのがそんな言葉とは……。最悪だなこの女。


「いらないよ。その代わりさっき見せた書類、綾の分も用意するから俺と綾には金輪際こんりんざい関わらないでくれ」


「ちょっと待って、考えさせて……すぐに返事しなきゃダメ?」


「俺が引き取るなら、ここに綾を置いておきたくない」


「……」


 俺が世界一嫌いな女と間男の間にできた子供。俺は綾を育てながらそんなことを考えて綾を憎んだりしないだろうか?

 奴隷の子供は奴隷……、醜いアヒルの子……、いつの時代の話しだよ。現代日本で親や見た目で人を差別するなんてあり得ない。綾の人格は親で決まるものではい。

 頭ではわかっている。でも俺の感情は……、んなもん、育ててみなきゃわからないよ。


 ……そうか、これは復讐だ。綾を世界一幸せに育てて、数十年後、優香が自分と比べ綾の方が幸せになっていら悔しい思いをする。そう言うことにしておこう。


 暫く考え込んでいた優香は俺を見詰める。


「涼……。いいよ。綾あげる」


「本当にいいの?もう綾に会えないんだぞ?」


「だって、綾がいなくなれば仕事できるし、涼が戻ってきてくれないなら一緒になってくれる人、探さなきゃいけないじゃない……。綾がいたらできないよ」


「お前、本当に最悪だな……。お二人もそれでいいですか?」


「それはいくら何でも……」


 とお義母さんは難色を示すが、お義父さんが。


「うちで育てるのは無理だ。優香に子育てはできない。桜沢さんなら立派に育ててくれる……その方が綾も幸せだ」


 この一言が決め手となり、俺が綾を引き取ることになった。

 その後書類作成や市役所で印鑑証明、戸籍謄本取得など慌ただしく、綾の荷物も全部俺の車に乗せて、チャイルドシートも貰った。一通りやることが終わったのは6時過ぎだった。

 因みに養子縁組は俺の住民票がある福島で申請する。


 優香は警察にだけは通報しないでくれと言っていた。娘と今生の別れだというのに自分の保身、本当に糞女だよコイツは……。


 俺達は優香の家の玄関で別れる。


「優香、これは復讐だ。綾を世界一幸せな子供に育ててお前に悔しい思いをさせてやる」


「意味わからない。なんで悔しい思いをするのよ。綾が幸せになってくれるなら、私も嬉しいわよ……」


「そうか、まぁいいや。それじゃな」


「さようなら」


 こうして俺達は別れた。もう二度と会うことはないだろう。





 パーキングに停めた車に着くと抱っこしていた綾を後部座席のチャイルドシートに乗せる。マーイも後部座席に乗り込んだ。


 俺は運転席に座り、車を発進させる前に、振り返って身を乗り出し、後部座席の綾の頭を撫でる。それまでしかめっ面で硬い表情をしていた俺の顔がだらしなく緩む。


「綾たぁ~〜〜ん、パパでちゅよ~、綾たん可愛いでちゅね~、パパのこと覚えてたかな~、半年も経っちゃったから忘れちゃったかなぁ~、ほ~ら、パパでちゅよ~、パパ〜、パパ〜」


「あっ あっ ぱぱ ぱぱ」


 綾が嬉しそうに笑ってる。


「いや~、綾たん、ほんと可愛い~、べろべろちゅーしたくなっちゃいまちゅねぇ~」


「……リョウ、いつもと、違う」


 横を見るときょとん顔で首を傾げるマーイがいた。


「おほん、これが日本の父親の正しい子供との接し方なんだ。それじゃ、福島に帰ろうか」


「うん、帰ろぉー!お腹すいた!」


「ははは、そうだな。帰り、何か食べていくか」


「ラーメン!」


「ダメだ。お子様ランチがあるファミレスに行く」


「う~~、ラーメン食べたい……」


「マーイ」


「ん? なぁーに?」


「綾、治してくれて、ありがとう」


「うん。マーイできる!」


 俺とマーイは微笑み合う。



 ◇



 俺は帰りの車で昔スマホに録音した音声データを再生する。


【「綾へ、4月10日桜沢涼22歳。


 綾のパパです。これから生まれてくる綾にメッセージを残したくて音声を記録しています。


 ここは家の近所の公園で、桜の花は結構散ってきたけど、まだ少し残ってて、春の風が花びらを巻き上げています。


 で、俺が綾に残すメッセージは綾の名前についてです。

 綾とは着物を折り重ねた色とりどりの美しさを意味していて、深みのある美しい女性に育って欲しいという意味が込められています。


 それと……綾って漢字はリョウとも読むんだけど……。

 パパのお父さん、綾のお爺ちゃんは少し前に亡くなってて。男手一つでパパを大切に育ててくれた人でした。


 パパは父さんにとても感謝しています。父さんの息子に生まれ本当に幸せでした。


 だから綾にも同じように思って欲しくて、パパは父さんのように、いや、父さん以上に綾を大切に育てたいと思っています。だからリョウとも読める綾という字を選びました。


 パパが付けた名前です。ちょっと意味不明ですけど以上です。綾、元気に生まれてきてね。一緒にたくさん楽しい思いをしよう」


「話し長いよ」】


 最後に優香の声が入っていた。


 俺は父から大切にされて育った。同様に綾を大切に育てたいって思ったんだよな。


 邪魔者はいなくなったし、これからは子育ても楽しもう。綾と一緒に色んなことができる。夢が膨らむな……。




☆☆☆


《幾島優香の後日談》


 その後、優香は暫く長谷川のセフレになりバイトをしながら生計を立てるが、長谷川に好きな女ができて捨てられる。


 それから出所した托間と付き合い1年後、33歳で托間と再婚した。

 20歳の頃から付き合っていた托間を優香は本気で好きで結婚生活は当初上手く行っていた。

 しかし托間には借金が多く、ギャンブルを辞めるよう言っても全く聞いてもらえない。更に托間の元嫁に滞納していた養育費や慰謝料の件で銀行や車を差し押さえられたりと金銭的に厳しい生活が続く。


 托間の勧めで風俗店で働くようになり、生活が安定しだすと托間は仕事を辞めてしまった。


 借金返済をしながらそんな生活続け、36歳で托間の子を妊娠するが、風俗店で働いていたこともあり、托間からおろすよう強く言われ中絶した。


 それから少しして托間の浮気が発覚。

 この時、優香は初めて涼の気持ちがわかった。


 仕事をせず、貴方の子供だと言っても信じてもらえず中絶、生活が苦しいのにギャンブルを止めない托間に優香は愛想を尽かし、二人は離婚する。優香は37歳になっていた。


 親に勘当かんどうされていて実家に帰れない優香は埼玉の田舎にアパート借りて一人暮らしを始める。派遣社員として工場で働き、托間の元嫁へ慰謝料を払いながら生計を立てる。以降生涯、異性と付き合うことはなく一人で人生をおくった。




 それから12年の月日が流れ――。


 涼の牧場は一般公開されていて、お客さんがひよこや鶏を見学したり、卵やお菓子を買うことができるようになっていた。


 8月のよく晴れた暑い日、大学の夏休みに実家に帰省していた綾は若かりし頃の母親より一周り大きくたわわに育った胸を揺らしながら、牧場の仕事を手伝っていた。


 この日来た、背の高い中年女性客が綾を見て大粒の涙を溢し泣き崩れる。

 この時涼は別の仕事で牧場にはいなかった。


 綾は他のスタッフと協力して、女性をひさしのあるベンチに座らせ介抱する。


 暫く泣いていた女性は顔を上げると、赤く腫れた目で綾を見つめて言った。


「お父さんには優しくしてもらった?」


 自分の出自を知る綾はこの質問で、女性の素性を何となく察したが、詮索はしなかった。


 綾は屈託のない笑顔で答える。


「はい!いつも凄く優しくしてくれます。たぶん私は……世界で一番幸せな子供だと思います」


 それを聞いて女性はまた声を上げて泣いた。


 卵を買った女性は帰り際、見送る綾に言った。


「あなたのお父さんに伝えてください……。全部私が間違っていました。本当にごめんなさい……って」


「わかりました」


 二人は笑顔で別れる。



 その夜、りょうに今日の出来事を伝えると父は笑いながら答えた。


「お父さんも世界一幸せなお父さんだからもう気にしてないのにな」


 父もそれ以上、女性のことを話さない。だから綾も聞くことはしなかった。


 それから父が小声で「ざまぁ〜」と言っているように聞こえたが気のせいだろう。

 綾が作った夕食を何度も「メシウマ!」と言いながら機嫌良さそうに食べていた。


 綾は機嫌の良い父に、久しぶりに一緒にお風呂に入ろうと誘ってみたが流石にそれは断られた。



 その後、その女性――、幾島優香がどうなったのかは誰にもわからない。

 慰謝料返済も終わり20年以上続けているゲームで廃課金者になったとかなんとか……。



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