第11話 内見を済ませる



 パーキングエリアで優香とLINEをしてから、俺の気分は好調で機嫌が良くなっていた。というのも、今度優香と会ったときにある誓約書に署名させる積りでいるからだ。ようやくその決心が付いて気持ちが楽になった。


 俺達の関係を完全に終わらせる誓約書――。


 俺のように相手の不貞が原因で弁護士さんを入れて離婚する場合、今後一切、俺や俺の家族と関わらない旨を相手に約束させる誓約書を弁護士さんから貰う。会うのはもちろん電話やメール、LINE、手紙等での接触も禁止、破れば慰謝料を請求できるという内容だ。公正役場に提出する際の弁護士委任状もあるから公正証書にでる。公正証書すれば相手が慰謝料を払わない場合、強制的に口座差し押さえが可能になる。


 実は離婚のとき、この書類にもサインを貰うよう弁護士さんから言われたのだが……。

 当時、綾にまだ未練があって、万が一、綾が災害に巻き込まれたり大きな病気なった場合、俺は元娘を金銭的に助けたいと思っていた。

 優香が俺に連絡できなくなれば、そういった情報を知れなくなる。だから誓約書は表に出さなかった。優香はそのような書類があることを知らない。


 今度会うときに誓約書を優香に突き付け署名させる。署名を断ることはできない。綾の嫡出否認の訴えが認められて俺と綾は他人になったし、優香の不貞で精神的苦痛を味わい離婚した経緯があるから、優香が署名を断った場合、訴訟を起こせばほぼ100%俺が勝つ。故に優香に選択肢はなく署名するしかないわけだ。


 まぁ他にも弁護士さんから慰謝料交渉は減額になるものだから500万円から交渉しましょうと提案されたが、今後の綾の生活が心配で200万円を提示したりと、当時の俺はかなり綾のことを気にかけていた。


 しかし半年経って、今は父親でも何でもない赤の他人の俺が中途半端にかかわるのは良くないと思っている。


 それに養鶏という新しい目標もできた。もう完全に縁を切ってすっきりしよう。





 俺とマーイはあの農地に続く林道の手前にある集落に寄って挨拶をする。

 まだ土地を借りていないから、一応あそこへ行くときは声を掛けるようにしている。

 前回挨拶に行ったときはちょっと声を掛ける積りが2時間くらい話し込んだ。俺が相手の農家さんを褒めまくっていたら結構気に入られた。


 今日も声を掛けると丁度昼時で、飯を食べていくよう勧められた。丁重にお断りしたがイノシシ肉が余ってるから食べてって欲しいと言われお邪魔することに。


 イノシシ肉と長ネギの醤油炒めと、イノシシの焼肉、冷奴、サラダ、米、味噌汁、漬物を出してもらった。


 家主、早乙女さん米農家43歳。

 彼は冷奴を前に声を出す。


「かーちゃん、醤油取ってくれ」


「それくらい自分で取りなさいよ!」


 と奥さんに怒られる。するとマーイが人差し指を立てて醤油の小瓶を指す。


「ベトウユッフ」


 彼女がそう呟くと醤油の小瓶はゆっくり宙に浮き食卓の上を飛んだ。それが早乙女さんの手のひらにスポッと収まる。


「え? え? ええええええ!? おったまげたー!」

 と驚く早乙女さん。


「ああ、すみません。彼女マジシャンでこういう手品ができるんですよ」


 俺は早乙女さんに朗らかに言う。


「えええええ?こ、これ手品なの!?全然仕掛けがわからなかったぞ。農家なんてやるよりそっちで食っていった方がいいんでないか?」


「マーイに関しては俺もそう思いますw」


 最初は俺も驚いた。どんな仕掛けがあるのか日本語のできないマーイに説明はできないが、こうやってたまに面白いマジックを披露してくれる。

 まぁもしかしたら超能力者なのかもしれないが……真相は不明だ。

 ただ人の家にお邪魔している身でこれは良くない。


「マーイ、行儀悪いぞ。ちゃんと手で渡さないと」


「うん。……ごめんなさい」

 と早乙女さんに謝るマーイ。


「いや、いいんだよ。気にすんな。凄いの見れた!醤油ありがとうな」


「イノシシって結構獲れるんですか?」


「おう、結構獲れるぞ。うちは箱罠1台使ってるんだが、スーパーで肉は買わないな。それにイノシシ美味いだろ?特にこの時期は脂が乗ってて美味い」


「確かに味が濃くて塩コショウだけで凄く美味いですね」


「美味しい!」


 マーイもいっぱい食べている。


「兄ちゃんがどんくらい農業続けるかはわからんが、罠猟免許くらいは取っておいた方がいいぞ。確か年に二回くらい試験やってるから時間あるときに取ってこいよ。箱罠作るならアーク溶接機があるから貸してやる」


「暫く金がない生活が続くと思うので、スーパーで肉買わなくて済むのは助かりますね……。その節はお世話になるかもしれません」


 早乙女さんが俺に親切にしてくれるのには訳がある。

 最初、篠田さんと挨拶に行った際に養鶏農家を始めると伝えたら、エサとして屑米を買って欲しいと言われたのだ。で、俺は買うことにした。

 食品として売り物にならない屑米は安く仕入れることができる。古古米とかになってくると、少し匂いもあって肥料になるわけだが、鶏のエサにしても問題ない。こちらとしても遺伝子組み換えでない安全なエサを安く仕入れられるメリットがある。



 昼飯の後、少し雑談して俺達は家を出た。


 早乙女さんちは4人子供がいて長女は俺と同じ歳らしい。それもあってか親しくしてくれて助かる。

 因みに近くにもう2件家があってそこにも挨拶に行っているが「どうせすぐ音を上げる」とか「都会もんが農業なんて続かない」とか言われている。


 爺ちゃんちの近所もそうだけど、これが田舎の一般的な反応で余所者を受け付けないかったり、嫌う傾向がある。

 こちらは腰を低くして接する。地元の行事には積極的に参加する。これを続けていくことで時間が解決してくれるから、定期的に声掛けは続けようと思う。





 木々に囲まれた開けた土地に紺色の瓦屋根、外壁はベージュの煉瓦で造られた家がある。平屋で2階はないが、屋根が背の高いかなり急な三角形になっていて、屋根の中腹ちゅうふくに飛び出た出窓ある。

 あそこが屋根裏部屋になっているのか。


 俺はコピーしてもらった家の図面を見ながら玄関の鍵を開けた。


「お邪魔しま~す」


「おじゃじゃしま~す」


 玄関に入ると真っ直ぐな廊下と屋根裏部屋に上がる階段が、図面で見ると廊下の右側には21畳のLDK、左側には7畳の洋室が2つ並びその奥がトイレと風呂になっているようだ。


 俺は右側の扉を開けてリビングへ入る。


 屋根裏まで吹き抜けになっていて、かなり天井が高い。煙突付きの薪ストーブもある。


「お洒落な家だな。クリーニングしてないから傷とか汚れは多いけど、これなら自分たちで掃除すれば全然住める」


「掃除するの?」


「今度ね。買ったら床下で燻煙剤を焚て、大掃除して、それから引っ越しかな」


 マーイは俺の言っていることがよくわからないようで首を傾げる。


「他の部屋も見てみよう」


 暫く内見を続けた。


 7畳の洋室2部屋も綺麗で、出窓やクローゼットも付いていた。その洋室2部屋の上に屋根裏部屋がある。

 リビング側は天井裏まで吹き抜けになっていて屋根裏部屋とリビングは天井で繋がっていた。屋根裏部屋からリビングを見下ろすことができる。


 かなりお洒落な建物だ。これで350万は滅茶苦茶安い。えっ?ほんとにこの金額で譲ってもらっていいのだろうか……。安すぎて逆に不安になる。

 埼玉の以前俺が新築を買った辺りでこの家を買ったら5,000万は超えるだろう。


「おし!マーイ、この家買おーう」


「買おーう!」


 ということで購入することになりました。





《優香視点》



 賃貸マンションの優香の部屋。

 昔、幾島家で飼っていた犬のゲージに毛布が掛けられていて中から「うっうっ あああっ」と泣き声が聞こえ優香はゲージを蹴った。


 ガシャンッ!


「うっさいんだよ」


「うっ うっ ママ……出して……」


「ふんっ!あんたのせいで私がこんなに苦労してるの?わからないの?全部あんたが悪いんでしょ? パパはあんたに会いたくないって、ほんといる意味ないよ。金だけかかって!」


「うっ うっううあああ゛あ゛あ゛あ゛っ」


 ガシャンッ! ガシャンッ! ガシャンッ!

 優香は何度もゲージを蹴る。


「うっさいつってんでしょ!次泣いたらまた凄く痛いことするから!わかった?」


「うっ…………」


「わかったのッ!?」


「……んっ」


 優香が怒鳴ると泣き声が止み鼻を啜る音だけが部屋に響いた。


 優香はスマホを開きゲームを始める。







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