僕の謎

小澤怠惰

僕の謎

 ちょっと考え事をしていただけだよ。え、どんな考え事かだって?………そ、そうだなあ、気になるなら、聞かせてあげてもいいが…。でも、恥ずかしいから誰にも話さないでおくれよ。



 その日、僕は寝坊した。前の日に夜更かしをしてしまったから、この時間になってもぐっすり眠っていて、目覚ましの音に気づけなかったに違いない。

 僕は、真っ青になって一目散に部屋を飛び出した。誰よりもまじめで、遅刻や寝坊など一度もしたことがなかった僕だ。そのときのストレスといったら尋常ではなかった。ただでさえ気が動転していて身体の動きがおぼつかないのに、冷や汗が足の裏からだくだく出てくるせいで、何度も滑りそうにながら階段をかけ下りた。

 階下のリビングルームからは、ニュースの原稿を読み上げていると思われる、アナウンサーの声が聞こえてきた。どうせまた殺人鬼デルタの話題であろう。


 殺人鬼デルタ―――。今、巷で噂の殺人鬼だ。人を誘拐して殺し、山林に埋める。昨日までで、少なくとも6人が奴の被害に遭っている。奴によって埋められた死体は、どれも三角座りをしているのが特徴だ。その体勢がまるでギリシア文字のΔデルタのようだから、「デルタ」と呼ばれている。奴の独特な手口から醸し出される不気味なかんじが、人々の興味を引きつけ、どのテレビ局もニュースの時間になればその話題でもちきりだった。


 さて、僕はいつもニュースを観ながら朝食をとるわけだが、このときばかりはそうはいかなかった。無数の遅刻という文字が僕の頭をバスジャックならぬ、脳ジャックをしていて、外から別の言葉が入ってくる余裕などなかったのだ。だから、とても何を話しているかなんて聞き取れなかった。

 急いでテーブルの前に座って今日の朝食を眺め、その内容を確認する。ご飯に、味噌汁、そして目玉焼き。目玉焼きの黄身のところを味噌汁で溶かしながら食べる、そして最後にご飯を平らげる。これが僕の立てた至ってかんたんな、作戦ともいえない作戦だった。

 学校の門の前で、毎朝のように遅刻した生徒を絞り上げる、生徒指導の恐ろしい顔を思い浮かべ、震え上がりながら目玉焼きと味噌汁を口いっぱいに頬張り、

 教室に入ったときのクラスメイトの冷たい視線、僕への失望を想像して真っ青になりながら、必死に米を口の中にかき込んだ。

 あと少しで食べ終わるというとき、仕事かばんに荷物を詰めながら母親が話しかけてきた。

「いつもより遅いけれど大丈夫?」

「……」

 返事もせず黙って米を飲みこむ僕を見た母親は、僕の状況を察したようで、車で学校まで送ってくれた。この調子だとなんとか間に合いそうだと、僕は徐々に正気を取り戻していった。しかし、忙しいであろう母親に、そう遠くない学校まで車で送ってもらうというのは申し訳なかったし、小学六年生になってもこんなことで親に頼らなければならないということを思い知らされて、小っ恥ずかしかった。僕は車の中で、二度と寝坊はしない。万が一寝坊して、学校に間に合う手段が家族の送迎しかなかったら、学校は休もう。と心に決めた。


 なんとか遅刻を免れて教室に着いた僕は、ふうと息を吐いてランドセルを机の上にと置いた。

 隣の席の賢斗けんとが、朝の挨拶がてら話しかけてきた。

「お前、なんか顔、青くねぇ?」

「ああ、ちょっとね」

「ふうん」

 丸眼鏡の奥からギロリとこちらを見つめてくる様子はいかにも、興味がありますと言っているようだった。

「そういえば、今日は新聞作る日だったっけか」

 彼の注意をそらそうと、僕は別の話題を振った。

「そうだね」

 僕が、話題をわざと逸らしたのを察したようで、彼はニヤニヤと笑みを浮かべる。

 新聞、というのは、学級新聞のことだ。月にいちど、新聞係が画用紙に記事を書いて学級新聞を作っている。メンバーは僕としば賢斗のほかに中野なかの由砂ゆさ佐藤さとう結衣ゆい三井みつい孝士郎こうしろう竹本たけもと英李えいりがいる。新聞係は月の最後の火曜日の放課後、教室に集まって学級新聞の記事を作っているのだ。そして、ちょうど今日はその日であった。


 細かく話すと長くなるので、放課後までの話は省略しよう。時間はとんで、午後四時十分。ちょうど掃除が終わる前の放課後。新聞係が集まり始める時間だ。


 僕は下校前の掃除を手早く済ませると、教室へと向かった。

 僕が教室についたとき、新聞係のメンバーは誰もいなかった。机を動かして島にしたり、記事を書くためのペンを机の上に置いたりしている間に、三井君が入ってきた。

 三井君はランドセルを、入り口からすぐ、教室の端にある机の上に投げ出してこちらへ歩いてきた。彼は机の島のまわりに並べられた椅子のひとつにでれんっと行儀わるく座るやいなや、

「今月、特に何もなかったから書けることがないんだよねえ~、何かあったっけ?」

 と言いって天然パーマをくるくる人差し指に巻きつけはじめた。

「僕はあるけど、今月はひとつしかないから君に分けてあげられるネタはないかな。今月は本当に何もなかったよね」

 と僕は笑った。

「ちえっ、君だったら俺にくれるくらい、余裕があると思ったのに」

「それは残念だったね」

 このような話をしていると、教室に入ってくる2つの影があった。

 竹本と中野さんだ。彼女たちも、何やら楽しそうに話をしている。しかし、中野さんはだらしなく座る三井君をひとめ見ると、三井君のすぐ横の席にずかずか歩いて行き、少し強い口調で、

「だらしないぞ三井」

 と言って、勢いよくランドセル机に置いた。

 それを見た三井君はおどけた調子で叫んだ。

「出た!ショウガクセイ=カアチャン=ナカノ!」

「その言い方、やめろと言ってるだろ!」

 彼女はまたランドセルを勢いよく叩きつけた。ダン!っと、さっきよりも大きな音が教室に響いた。

 竹本はしばらくその様子を黙って眺めていたが、どうやら耐えきれなくなったようで、

「ッはは」

 と笑い出した。

それが僕にも伝染し、気付くと言い合っていた二人も同じように笑っていた。

 それから二、三分すると、

「やあ」

 と、教室に賢斗が入ってきた。この彼の陽気なあいさつによって笑っていた僕たちは現実に戻された。


 それからほんの数分経ってからだった。 

 「うわあ!」という三井君の叫び声が教室に響いた。

 僕が声のするほうを向くと、黒板の前で棒になったように突っ立っている三井君の姿が目に入った。

「こ、これ……」

 三井孝士郎の拳から一本だけ突き出た人差し指は、黒板に貼り付けられた紙を差していた。

 その紙にはただ、

「佐藤結衣は私が殺した

      殺人鬼デルタ」

 とだけ書かれていた。

 ここで一同の視線は自然と竹本英李のほうへ移った。というのも、彼女はこの学校では有名な名探偵だったからだ。探偵だという祖母の影響か、彼女はいつも事件のことばかり考えていた。そんな彼女が事件の推理を始めると数日で、ことによれば数秒で解決してしまうことで有名だった。先週も、隣のクラスの子がなくしたハンカチを見つけ出したし、先々週は、駄菓子屋こすぎで何度も盗みをしていたその犯人を言い当てた。

 彼女は、ねずみを捕らえようとする猫のようにじっとその紙を見つめているものだから、文字を見ただけで何か、重要なことが、わかってしまったのかと思った。

 この探偵が何を言い出すのかと、皆が息をのんで彼女を見つめていた。そしてついに口を開いたかと思うと、第一声がこれだった。

「こんな汚い字で書き取りの宿題をしたら再提出だね」

 一同は、ドリフのようにその場でひっくり返りそうになった。

「と、とにかく結衣ちゃんの家に電話してみようかデタラメかもしれないし…」

 中野さんがたしか一階に公衆電話があったようなとつぶやいて、教室を出ようとする。僕は、最近買ってもらった携帯電話がランドセルに入っているのを思い出し、中野さんを呼び止めて、携帯電話を差し出した。

「これ使う?事情が事情だから使ってもいいと思うよ」

 中野さんはお礼を言うと、佐藤さんの家に電話をかけた。

「もしもし…あの、結衣さんの友達の中野由砂です。今、結衣さんは家にいますか……?そ、そうですか……ありがとうございます……」

 中野さんは電話を耳に当てたまま、

「家にも帰ってないって」

 と彼女は弱々しい口調で言った。

「彼女の家は近いから帰っていればもう家についてるはず……。寄り道なんてする性格じゃあないからもしかして本当に……」

 中野さんは震える手で僕に電話を返した。

 それを聞いていた三井君はだんだん真っ青になって、

「デルタってあのデルタだろ……うわああああああああああ!」

 と叫んで教室を飛び出し、ものすごい勢いでどこかへ行ってしまった。まったく、忙しいやつだ。

「あ、三井君」

 僕が走ってもとても追いつけないと思い、僕は彼を止めるような素振りを見せるだけで、この闘牛を追おうとはしなかった。 

「そ、それより警察に電話したほうが良いんじゃないのか」

 賢斗がそう言うと、僕の携帯電話の音が鳴った。

「電話だ!」

そう叫ぶとすぐに僕は電話を耳にあてた。

「誰から?」

「非通知だ……………もしもし…ええ、…………はい…」

 しばらくして僕は携帯電話を顔から離した。

「デルタからだった……警察に電話したらお前を殺すって………言われた……」

 僕がそう言うと、一同は暗い表情になって、教室内はどんよりとした空気につつまれた。

 しかし、このなかでひとりだけ違った反応を見せたものがいた。竹本探偵だ。彼女はただひとり、にこっと笑っていた。

「君、ちょっと携帯を貸してくれるかい」

 竹本にそう言われて、僕はしぶしぶ携帯電話を差し出した。

「ありがとう。さあ、もういいか」

 彼女は受け取ったものを受け取った右手ごとポケットに突っ込んだ。

「デルタの正体がわかったのか?」

 そう僕が尋ねると竹本は「ああ」と返事をして、少し間をおいてから、

「あの有名なデルタではなく、私たちを罠にかけようとしたデルタのほうだけどね」

 とつけ足した。

 それを聞いた賢斗は短いところの毛を逆立てながら聞いた。

「やはり、本物のデルタじゃないのか?」

「そう。感づいていた人は多いとは思うけど、これを書いたのは本物のデルタじゃないんだ」

 竹本はそう言いながら黒板の前へ歩みを進める。

「これがデルタの仕業ではないのはすぐわかったよ。」

 探偵は例の紙を指でと二、三回はじいた。

「デルタの事件はニュースやらで何度かやっているから、奴のなんとなく手口は知っている。デルタはわざわざこういったものを書かない。それに、学校の教室に入れる大人といえば先生くらい。自分で入るには先生に化けないといけない。生徒に頼んだとしてもその生徒からいつ情報が漏れ出るかわからない。デルタがこんな足が着くうえに面倒くさいことをするはずがない。だからこのイタズラの犯人はデルタではない。

 で、次は何故彼女が消えたのかについてだ。その手口はいくつか考えられるけど、まあ、犯人に手紙か何かで別の場所に呼び出されたのではと私はにらんでいるよ。そして真面目でまわりへの配慮をかかさない彼女が新聞部の誰にも声をかけずに行ったのは、手紙での呼び出しであれば、手紙に書いてあった差出人が新聞部のメンバーだったか、彼女が今日の新聞制作に来られないことを伝えた相手が犯人だったか。といったように色々考えられる。とりあえず、彼女をここに来ないようにするための方法はいろいろあったってことだ」

「と、色々考えていくと、新聞係のメンバーである可能性が高いということになる。だいたい、この日に新聞係の活動があることを知っているのは、担任と、私たち新聞部メンバーくらいだからね。彼女の自作自演も考えられたが、それだったら殺したという旨を紙に書くのではなく、死体のふりをした写真を撮って黒板に貼っておくだろう。そのほうが皆に本当だと思わせられるからね」

「じゃっじゃあ、犯人は俺たちのなかにいるってワケだね」

楽しそうに聞く賢斗に、探偵はうなずいてみせた。

「じゃあ犯人は誰なんだい?」

 探偵は答えた。

「犯人はだね、君だよ」

 竹本探偵の瞳は、僕を捕らえていた。

「君はいつも余裕を持って登校してくるが、そうではなかった。おまけに気分が優れなかったようで、あまり顔色がよくなかった。君が怪しいと睨んだよ。でも、動機がよくわからなかったし、証拠もなかったから、怪しいと思っていただけで確証はなかったよ。

 極めつけはさっきの電話だ。用心深い君は、非通知の電話にああも簡単に出るはずがない。そして、あんな張り紙があったら、さらに用心するはずだ。それなのに、君はまったくのためらいもなしに電話に出た。さっきの電話はただの演技だろう。恐らく着信音はアラーム。非通知の着信履歴がないことを確認すればそれが証拠になるね。まあ、公衆電話から電話をかけてくるような仲間がいなければだけど」

 再び探偵は僕のほうをと見つめて呟くように尋ねる。

「当たってたかな?」

 僕はコクリとうなずいて鼻で笑った。

「動機は?」

「記事を作ろうと思ったんだ。『名探偵、敗北』もしくは、『名探偵、勝利』っていうタイトルで」

 と言って僕はこの名探偵に笑いかけた。


 しばらくして、佐藤結衣は三井君とともに教室へやってきた。



 記事にするネタがなかったので僕は自分から事件を作った。僕はこのとき探偵にそのようなことを伝えたし、自分でもそう思っていた。

 しかし、動機はこんな単純なものだったのだろうか、と大人になった今でも考える。この動機が、僕にとっての謎なのである。

 小学六年生の僕は事件を起こすことで、それまでずっと僕にまとわりついてきた優秀、真面目、勤勉、退屈、そういった、きゅうくつな殻を破りたかったのではないか。僕が起こした事件は、今にしてみれば小さく、くだらないものだけれど、当時の僕にとっては大きな大きな革命だったに違いない。

 

 それとも、ほかに何かあったのだろうか………。例えば、僕に殺人鬼の血が流れていてそれがウズウズしていたなどという………。

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