第6話 顧問と部長の相談

「失礼します」

 

 礼儀正しく職員室に入室してきたのは皆川蒼みながわあお。夏の森陸上部の部長である。


「おー蒼ちゃん、待ってたよー」


 ロリ先生がデスクから手を振る。

 振られる手はかろうじて見えるが、整理されずに積み上げられた書類の山に、その女子高生よりも小さな体はすっぽりと隠れてしまっている。


「先生、整理しましょうよこれ」

「手伝ってくれるならなー」

「そう言われて前に陸上部総出で手伝ったら、次の試験期間には元に戻ってたじゃないですか」

「まぁ、つまりそういうことだよねー」


 蒼は、はぁ。とため息をつく。

 目の前にいる小さな生き物を間近で見てきて早3年目。

 分かったことは、壊滅的なズボラさと非合法な見た目年齢のまま全く加齢していかない謎の容姿。

 そして、確かな陸上の指導力。


「それで、私が呼び出されたということは……朗報と受け取っても?」

「ふっふっふ、まぁそう急かないで。順番に説明するから」


 そう言うと、ロリ先生は書類の山を腕でブルドーザーのように寄せてデスクにスペースを作る。

 よっこらせ。と口調だけは年相応にノートパソコンを取り出すと、資料を開く。


「とりあえず、新入生のスポーツテストの練習は今日で一通りやってきたんだけどさ。なかなか豊作だねー」


 これ見て。と言われた資料には新入生の記録が整理されていた。

 その中で3人の生徒に色が塗られている。

 

「その3人、今日体験入部に来るから。あとマネージャー志望の子が1人で4人ね」


 なるほど、豊作と言うだけあって文句のない記録が並んでいる。


「関東6強の一人『磁器人形ビスクドール』の湖上さんですか。50m走は想像以上のタイムですね。うちに来ると聞いた時には驚きましたが、これは期待できそうです」


 ロリ先生は「ほんと、うちに来てくれてラッキーラッキー」と呑気に言っている。

 蒼としても、他の強豪校ではなく中堅クラスの夏の森が選ばれたのは不思議だったがラッキーと思うことにした。

 

祭田さいださんは、全体的に瞬発系の種目の記録がいいですが、特筆することはなさそうですね」

「いやそれが、記録だけ見てたら見落としちゃうだろうけどねー。その子めちゃくちゃ面白いんだよ。口で言うより直接見て欲しいんだけど、本当に一瞬の瞬発力だけなら上級生まで含めても相手になる子はいないかもね」

「ほぅ? では他の部も勧誘にきますかね」

「いや、記録上は大したことないし、とにかく体力がないみたいだから。他の部は気付いてないか、気付いてもスルーじゃないかなー」

 

 簡単に言っているが、ロリ先生は同時に50人ほど。延べ200人の新入生を短い体育の時間で見ているのだ。

 記録が優れていて注目している生徒ならともかく、記録で目立たない生徒など、他の者なら見過ごしているだろう。

 それでも、この先生は見逃さない。

 その眼を持つからこそ、選手へ的確な指導を行えるのだ。

 

「なるほど、先生がそう言うのならそうなのでしょう。しかし全種目10点の日向さん……こちらは他の部との争奪戦になりそうですね」


 3人目。誰の目にも明らかな万能選手だ。

 きっと、どのスポーツをさせても人並み以上の活躍は確実と言えるだろう。

 陸上競技はシビアで儚い世界だ。

 まるで才能の蟲毒のような世界で身と心を削りながら頂点を目指し、そして大多数はただの脇役で終わる。

 こういった万能選手は、そんな陸上競技の世界よりももっと複合的に才能を使える競技の方が活躍できるだろう。

 陸上競技では、足の速い選手も、力の強い選手も、体力のある選手も、それぞれに特化した段違いの才能を持つ者同士がしのぎを削っている。

 ただ、これがもしソフトボールだったら? 足が速くて遠投もできて体力もある。そんな選手がいたら最強じゃないか。

 バスケもそうだ。これだけの脚力とフィジカルがあれば、テクニック次第だがどのポジションでも活躍できるはずだ。


「いやーそれは心配なさそうなんだよね」

「本当ですか? そんな簡単にうちに来てくれますかね。というか正直なところ、むしろ他のスポーツの方が本人のためにも良いのでは」


 蒼は陸上部に入って後悔したことはない。

 しかし、全員がそうではないことを知っている。

 蒼は陸上部の部長であると同時に生徒会長でもある。そして、面倒見の良い先輩でも。

 これからの3年間に希望を抱く新入生には、よりよい道を選んで欲しいという老婆心を持たざる得ないのだ。


「正直、私もそれは思ってたんだけどさー。少し調べてみたところ、中学時代に陸上やってて大きな挫折も経験したみたいでさ。普通、高校では違うことやろーってなるよね」

「だったら何故? もし先生が無理やり体験入部に来させるというなら、私は反対ですよ」

「まぁ今日のところは無理やり? ではあるかもしれないけどさ。それでもあの子達のことを思ってなんだってー」

「あの子”達”? どういうことですか?」


 蒼が不思議そうに聞き返すと、ロリ先生は窓の外へ目を向けた。


「誰しもさ、どっかで乗り越えなきゃ……捨てられずに一生抱えて行かなきゃいけない重石ってのがあるだろ。あの子達は全然違う重石だけど、二人とも”それ”を中学時代に抱えちゃったみたいなんだよね。逃げるって選択肢もあるのにさ、今また、”それ”に向き合って乗り越えようとしている。なら、私としては後押ししてやりたいなと思うんだよね。そして瑠那ちゃんと陽子ちゃん……あの二人が先に進むには、きっとお互いが必要だと思う」


 珍しく真面目なトーンで語るロリ先生の話から、蒼は事情を察した。


「つまり……湖上さんと日向さん、二人をぶつけて反応を見ると。そういうことなら、私にいい案があります」


 窓から向き直ったロリ先生は「流石は蒼ちゃんー!」といつもの笑顔で笑う。

 こっちの方が簡単に幸せになれる。そっちは辛いよ、苦しいよ。

 そんな言葉、覚悟ある者達には不要なのだろう。

 黙って最善のステージを用意する。

 きっとそれが本当の優しさで、部外者である自分達にできる唯一のことだ。

 だったら、お節介でも手を焼こう。

 二人がこれからを走るために。


 ロリ先生の書類の山から目当てのものを見つけると、蒼はサラサラとペンを走らせる。

 それは校内設備の使用申請書だった。


「それでは先生。こちらの内容で、グラウンドの占有を申請します」

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