第83話 おじいちゃんは、どう思う

 校庭を何周か走ると、皆はもう疲れてきたようで、走るスピードがガクンと落ちてきた。


 僕の走るスピードは変わらないため、僕はもう中団では無く、先頭近くを走ることになってしまった。


 それにしても、皆、体力が無いな。

 身体勝負の中世的なこの世界において、僕が体育的な授業で、まさか目立つとは思わなかった。

 《強胴:少し持久力が高い》のスキル持ちもいるのだろうが、スキルは殆ど関係ないんだ。

 日頃の運動の方が、当たり前だけど関係しているんだな。

 激しい運動を強制されているので、僕が先頭集団を楽々と走っているんだ。


 ひょっとしなくても、〈ハパ〉先生の鍛錬が普通じゃ無いってことか。

 悲しいことに、そのようだ。

 それは良いことなのか、いやいや、やり過ぎはいけません。

 人間、いい加減が一番です。

 誰か、〈ハパ〉先生へそう言ってください。


 二番手を走っていると、先頭のガタイが良いやつが、チラッと後ろを振り返って見てくる。

 先頭のガタイが良いやつは、汗を大量に撒き散らして、ふうふうと荒い息をして苦しそうだ。


 必死に先頭を走っているやつを、追い抜くのは止めよう。

 必死に頑張っているのに可哀そうだ。

 先頭になっても、特に利益があるとは思えないしな。


 ただ、汗がかからないように、真後ろは避けて、斜め後ろを追走する必要がある。


 ヌタヌタとヌタウナギのように、男の身体から漏れ出す汗がかかったなら、僕の耐性では下手すると皮膚がどうにかなるかもしれない。

 先頭のガタイが良いやつは、強烈な腐臭汁を撒き散らす厄介な奴だ。

 

 「最後の一周だ。頑張れ」と、先生が大きな声で励ましている。


 先生の声以外に聞こえるのは、学舎生のゼイゼイと苦しげな息遣いと、まだかと言う溜息だけだ。

 あっ、先頭のガタイが良いやつが、ボダボダと落とす強烈な腐臭汁の音もあるか。


 そんな中、突然、鈴のような天使の声が、校庭の中へ清冽に響き渡った。

 大袈裟すぎた。

 響いたのでは無く、遠くから微かに漏れ聞こえてきた程度だ。


 おぉ、どこか遠くで女の子の声が聞こえるぞ。

 キャッ、キャッと、原色の黄色の声だ。


 僕の耳は、「健武術場」の方から聞こえるのを、いち早く察知することに成功した。

 女の子の声の波長に対しては、僕の耳はとても優秀だな。

 皆は、ランニングでそれどころでは無いようだ。


 「健武術場」で、《白鶴》か《赤鳩》が、「健体術」の授業を行っているのだろう。

 あそこには、「健体服」の集合体があるんだな。


 〈アコ〉か〈クルス〉が、授業を受けているのかもしれない。

 「健体服」を着て、どんな体勢になっているんだろう、気になるな。


 「持久走はここまでだ。皆、良く頑張ったな」と、先生が労わるような声を学舎生にかけている。


 「〈タロスィト〉君だったな。今回は負けたが次は負けないからな」

 と、先頭のガタイが良いやつが、悔しげに言ってきた。


 あれ、こいつ、先頭じゃ無かったのか。

 何時追い抜いたんだ。

 「健体服」の妄想をしてたから、覚えてないや。


 「あぁ、僕も負けないよ。僕は特定の音に敏感なんだ」


 先頭のガタイの良いやつは、かなり怪訝(けげん)な顔になって、仲間と一緒に寮へ帰っていった。

 

 「〈タロスィト〉君は、やっぱり鍛えているんだね。余裕で一番だったな。僕は完走するだけで精一杯だったよ」


 この子は確か、《ガリグ》領という所からやってきた次男の子だな。

 同組のはずだ。


 まるで、運動会で活躍した運動エリートに対するように、話しかけてきたな。

 嫌味じゃなく、素直に賞賛されているようだぞ。


 男に褒められて嬉しいなんて、あり得ないと思っていたが、何だかフツフツと嬉しいぞ。

 これが承認欲求を満たされると言うことか。


 原始の群れ社会で、頭角を現しつつある若き群れのリーダー候補の喜びと同一のものなのか。

 「猿人、原人、旧人」時代の先祖の霊を、呼び出して聞いてみたいところだ。

 おじいちゃんは、どう思う。


 「いやー。そんなたいしたもんじゃないよ。たまたまだよ。完走出来るだけでもたいしたもんだよ」


 満面の笑みで僕は、空気みたいなフハフハとした返事を返した。


 「〈タロスィト〉君は、偉ぶらないな」


 「ウへへへ、そんなことはないよ」


 と会話をしながら寮に帰ろうとしていると、


 「あそこに座っているのは、同じ組の〈フランィカ〉君だ。動けないようだ」


 《ガリグ》領の次男が、一人の男の子を指さした。


 〈フランィカ〉君に近づいて様子を窺うと、顔が真っ青で呼吸が苦しいようだ。


 「〈フランィカ〉君、大丈夫か」


 「息が苦しいのか」


 「はっ」「はっ」「はっ」「はっ」「はっ」「はっ」と早い呼吸を繰り返して、返事はとても出来そうにない。


 「落ち着いて、ゆっくり呼吸するんだ。もっとゆっくりと深くだ。慌てないで、息を吐くのを意識して」


 しばらくすると、呼吸が落ち着いてきたようだ。


 「もっと、深呼吸するんだ。その調子。その調子だよ」


 問題なく深呼吸出来始めたら、もう安心だ。

 見る見る普通の呼吸が出来るようになってきた。


 「〈タロスィト〉君、ありがとう。助かったよ」


 青い大きな瞳を潤ませて、僕を見上げながら、お礼を言ってきた。

 ショートだけど、艶々したストロベリーブロンドの髪と整った小顔が相まって、やはり女の子に見えなくも無い。


 でも、上から見ても、胸は無いし、お尻も丸く張り出していない。

 やはり男の子だ。

 少し残念だと思ってしまう。

 

 「いやいや、たいしたことは無いよ。それより歩ける」


 〈フランィカ〉君は立ち上がろうとして、少しふらついたが、何とか立ち上がることは出来た。

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