第72話 〈華咲服店〉

 大きなお腹をさすりながら、食後のお茶を飲んでいると、


 「あっ、〈クルス〉ちゃん、一つ大事なことを忘れていたわ。

 直ぐに制服を作らないと、入学式に間に合わないと大変だから、明日お店に行きましょう」


 「〈アコ〉ちゃん、分かりました。私は良く知らないのでお願いします」


 「私のも作って貰ったお店なの。縫製の腕は確かよ」


 ほー、制服か。すごく良いじゃないか。色々、楽しみが膨らむな。


 「〈タロ〉様も、同じお店であつらえたのですか」


 「えっ、僕の制服」


 「〈タロ〉様、まさか作ってないのですか」


 「男子もいるの」


 「〈タロ〉様も、明日一緒に行きますよ。分かりましたか」


 「はい」


 「良いお返事です」


 何かバカにされた気がするが、まさか気のせいだろう。


 〈アコ〉の案内で、オーダーメイド専門の服屋に向かった。


 大通りに面した大きな店で、大理石で作られた玄関が、見るからに高級店だ。



 〈アコ〉が先に入って、制服の誂えを頼んだけど、注文が一杯で無理ですと、すげなく断られた。

 他の店も数件回ったが、どの店も、間が悪いことに、もう一日早ければと謝られてしまった。


 〈アコ〉は、昨日のお姉さん風が、どこか遠くへ吹き飛んで、しょんぼりしている。


 〈クルス〉も、学舎での第一歩が悲惨なものになるかと、心配なんだろう。

 陰気な顔になって、全く喋らない。


 こうなれば、我が商店街に頼ろう。

 たしか、服屋らしいのを見た覚えがある。


 〈カリナ〉に聞いたら、やっぱり服屋はあるとのことだ。


 縫製の腕は悪くは無いが、あまり流行っていないらしい。

 でも、今は急いでいるので、反って好都合ともいえる。


 その服屋は、〈細密宝貴石細工店〉とは、逆方向の通りの端にあった。

 小さな古びた看板には〈華咲服店〉と書いてある。


 華咲か。ずいぶんと少女趣味の名前だな。


 店を入ると、年季が入って飴色になった、チェストというより、箪笥が壁面を覆っている。

 引き出しの幅が大きいので、たぶん布地を入れてあるんだろう。


 作業台の上には、作りかけの黒色の服と、大きな裁ち鋏や縫製道具が、乱雑に置かれている。


 壁が一面箪笥なのは、最大限収納しようという、涙ぐましい工夫らしい。


 それにしても狭い店で、空いている空間がもうあまりない。

 僕と〈アコ〉と〈クルス〉が入ったら、もうすし詰め状態だ。

 座る椅子は、元から一脚も置いてない。


 肝心の店主は、作業台にうつ伏せになって、居眠りの最中だった。


 ここで突っ立っていてもしょうがない。

 近づいて大きな声で呼びかけてみた。


 「寝てないで、起きて。制服を頼みたいんだ」


 「アッ、クワッ、グゴ、ジュルジュル」と、


 なにやら変な音を発しながら、店主が半身をパッと起こした。


 小柄で灰色の髪を肩まで伸ばしている、二十歳前半位の女性だ。


 眼鏡をかけていて、化粧っけも少なく、肌がパサパサしているように見える。

 服屋なのに鼠色っぽい地味な服を着て、服のセンスがあるとは思えない。


 眼鏡の跡が、くっきり顔についているぞ。


 「ずー、ずみません。なにかありました」


 涎をすすっているんじゃないか。


 まだ、寝ぼけているようだが、「なにかありました」とは、客が来たことは無いのか。

 これは、相当流行って無いな。


 「制服をあつらえに来たんだ。急いでいるんだ」


 「うちの店でですか」


 うーん、ヤバイことを言ってるな。


 「出来ないの」


 「もちろん、出来ますが、しばらく制服の注文が無かったもので」


 「注文ないの」


 「皆さん、表通りの店に行かれます」


 「そこで、忙しくて無理だって断られたんだ」


 「なるほど」


 「で、どうなの」


 「はっ、はい。注文はすごく有難いです。喜んで作らさせて頂きます」


 このまま頼んで良いのだろうか。

 すごく疑問。


 「それじゃ、《黒鷲》と《赤鳩》の制服を入学式までに作って欲しんだ」


 「えっ、《黒鷲》ですか」


 「出来ないの」


 「《赤鳩》は昔ありましたが、《黒鷲》は初めてです。

 でも制服は難しいものでは無いので大丈夫です」


 心配だが、僕のはどうでもいいや。

〈クルス〉のが、ちゃんと出来れば問題ない。


 「心配だけど頼むよ」


 「《黒鷲》の制服を作れる機会は、うちではまずありません。

 腕が高鳴ります。心配なさらないで、どんと任せてください。

 それと、ひょっとしまして、《ラング》伯爵様でおられますか」


 「そうだけど」


 「凛々しいお顔でそうだと思いました。

 〈カリナ〉さんを助けて下さって、蜜柑も頂きました。

 制服まで注文して頂けるなんて、伯爵様は、人生の救世主さまです。

 おありがとうございます」


 頭を深々と下げて上げる気配がない。

 どれだけ困っていたんだ。


 突然お世辞を言い始めるし、具体的には言えないが、非常に心配だ。


 でも、急いでいるんだ。

 もう、選択肢が他にないんだ。

 うん、何とか形になってれば良いんだ。


 この後、〈クルス〉僕の順番で、店主に採寸された。


 〈クルス〉が服を脱ぎかけても、僕が出て行かなかったので、〈アコ〉に店の外へ引っ張り出された。


 急いでいるんだから、二人同時の方が時間の節約になるのに。

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