第2話 暗澹とした現実
「・・・・・・て」
「ねぇ・・・・・・てってば」
僕の耳元に生暖かい風が吹く。
春のそよ風とはまた違った気持ちよさがそこにはあった。
暖かな日差しとぬくもりのある木に囲まれる中、微睡みに負けてから一体どれほどの時間が経っただろうか。
クラスで鼻つまみ者の僕にとって夢の中ほど居心地のいい場所はなかった。
どんな願いも叶えてくれることは勿論、気まぐれで悪夢なんてものを見せられる時もあるが、目を覚ませばその夢の大半は記憶の奥底に眠り、そして忘れてしまう。
夢の中に生きることは現実逃避とはまた違う。
僕にとっての現実逃避とはまだやり直す可能性が本人に残っている場合を指す。
つまりまだ希望があるということ。
しかし僕の場合はもう諦めていると言っても過言ではない。
逃げているのではなく、現実世界で悠々自適な生活を諦めた。
夢の世界はただの暇つぶしで時間つぶし。
人生の3分の1を睡眠に、つまり夢の世界で過ごす人間に対し、僕は3分の2を目標に生きている。
・・・・・・まぁ、結局僕も普通の人間にカテゴライズされる側であるからそんな特別な事実現出来っこないんだけど。
「ユウ!早く起きろ!」
突如として聞き慣れた声音と声量、そして勢いで目覚めを催促される。
僕は番犬以下略が目の前の骨を取られたかのような勢いで飛び起きる。
「ひ、ひゃあい!」
僕の意思とはかけ離れたきゃわいい声が驚きに気圧されて出てきてしまった。
喧騒に包まれた教室からくすくすと笑い声が聞こえてくる。
ヤ、ヤッター。ウケタウケタ。
自分を貶めてとる笑い、通称自虐ネタは自分で言う分にはある程度の線引きを自分自身でできるから笑いに変えられるが、他人に自分の短所で笑いをとられると腹が立つのは最早自明の理。
自分の嫌なところを突かれ、またおいしいところを全部持っていかれる。
しかも言ったそいつがどこかセンスのいい奴みたいになるのも腹が立つ。
かと言ってそういう人の嫌なところを突いて笑いをとる奴の嫌なところを突いて笑いをとると、『それは違うわ』みたいな雰囲気を出したり、露骨に嫌な顔をするのは本当に何なんだろう。
義務教育の段階で習う『自分が嫌だと思うことは人にもしてはいけない』という至極まっとうな教育をRPGの会話如く早送りしてるのだろうか。
それはこれからの進行に差し支えるからあまりやめたほうがいいとだけは後世に伝えておこう。
フラグとか伏線とかいろいろ見落としちゃうとわけわかんなくなっちゃうからね。
閑話休題。
僕は足早に教室を後にする。
後ろを振り返らず前だけを見て一歩一歩確実に、着実に廊下を歩く。
前文だけを見れば、なんだかかっこいいかもしれないが安心してほしい。
ただただ嫌なことから目を逸らし、ただただ居心地の悪いところから今出せる全力を用いて逃げているだけである。
僕の人生は後ろを振り返って後悔し、悲観し嘆き、そして諦める。
前を見る時はそこに確実な得があるときだけだ。
孫子ですらも負け戦はしないというんだからこれは正しいと言えるのではないだろうか。
僕の手には母の愛(お弁当)と溢れ出る手汗。
もし、溢れ出てくるのが夢や希望ならどれだけ前向きに人生を送れただろう。
だが、それは同時に叶わない場合のリスクも持ち合わせていることを忘れてはいけない。
夢や希望に熱狂的になり、
1本の道しか知らない人間がその道を絶たれてしまえば、そいつは真っ暗な世界に1人ぽつんと佇むことになる。
何もない、誰もいない、夢破れた人間が最初に気づくことだ。
そして初めて振り返る。
そうして僕のような後ろ向きな人間が出来る。
つまり僕の目の前には今、行く手を遮る死神様がいた。
目的地まで続く唯一の1本道を遮る形で。
「またあそこに行くの?」
「別にいいだろ。誰にも迷惑をかけているわけじゃないし」
「で、でも・・・・・・・・・・・・」
彼女の尻尾は地面すれすれまで垂れ下がり、昼休みの教室から漏れ出る数多の騒ぎ声が僕たちを彩るBGMかのように響き渡る。
相変わらず浮遊中の彼女の羽音は聞こえない。
しかし、彼女の声はどうしても僕の耳に届いてしまう。
「それじゃあ変わんないよぉぉぉ」
どんどんとトーンの落ちる声に彼女の気持ちが透けるようにわかる。
同時に彼女の焦りも垣間見えた気がした。
僕はそれを分かったうえで聞き流し、彼女の横を通り過ぎる。
未来は変えられない。
運命には逆らえない。
抗うことはできても、それ止まりだ。
この世の神はその蛮勇をあざ笑い、まるで予定調和だと言わんばかりに定まった未来へ人間を陥れる。
人間はそんな行為に花を持たせ、虚飾だけを誇示する。
無碍自在な神にとってはお笑いでしかないだろう。
そうつまり何が言いたいかというと、僕は悪くない。
この世が全て間違っている。
爽やかな風が僕の体を撫でる。
足元に生える雑草はそんな風に身を任せ、ゆらゆらとまるで微睡んでいるかのように揺れる。
しかし、そんな雑草も根元は頑丈で、諦めの悪いタフな精神を持ち合わせている。
この世の不条理にも耐えるその精神力はまるで社畜のようだ。
なるほど、雑草は身をもって若者の将来を危惧しているわけだ。
なんて素晴らしいのだろう。
それなら雑草観察を幼児教育の一環として取り入れるべきだという案を僕は提唱したい。
そうすれば僕のように一生学生でいたいという後ろ向きな人間がたくさん形成され、僕が生きやすい世界が出来上がるってのに。
閑話休題。
校舎裏の影にひっそりこっそり座り、飯を食う。
母の愛は弁当で具現化される。
僕はその愛の蓋を開け、中身を確認した。
「日の丸にウインナー・・・・・・・・」
日本かドイツかどっちやねん!
とツッコミたくなり、そういえば僕はどこのどいつだと学校内では常に感じる疎外感を改めて抱く自虐ネタも脳内で作り出され言葉にするのをやめた。
口にすれば気分が今以上に落ちてしまうからね。
「ねぇ」
そんなクソどうでもいいことを考えていると、僕の耳に温かい吐息がかかってきた。
僕の体は相変わらず露骨に反応する。
そんな自分に反抗するかのように僕はそっけない態度をとり続けた。
「ねぇってば」
あぁ、ウインナーうめぇ。
あれだな、ウインナーって言うからおいしく感じられるんだな。
腸詰めって言い換えれ・・・・・・・・ウェッ。
「ねぇねぇ」
ねぇねぇ?僕は君のお姉さんじゃないぞ。
でも、君のお姉さんには少し興味があるな。
下半身がそそられるぜ。
「・・・・・・・・」
「なんだよ」
「どうしていまなのぉ!」
彼女の呆れと怒りの感情が乗った声が僕の耳元で叫ばれる。
彼女の声はもとより小さいと言えど耳元で大声を出されればキーンとなるわけで。
「ぎゃぁぁぁぁ!耳がぁぁぁ」
僕はその場で悶えた。
「ご、ごめんね。つい・・・・・・ほんとごめんね」
彼女はぼくの悲鳴にたじろぎ、驚いて身を一歩引き、ぺこぺこと謝る。
その仕草にはどこかぐっとくるものがあった。
「あぁ、僕も急に大声を出してしまった。悪かったな」
「う、うん。おたがいさま?でゆうのかな?」
首をちょこんと傾げるユナは何とも可愛いものである。
これだからからかいたくなるんだ。
だから僕は今回も悪くない。
「そうだ。でもな、お互い様っていうのは基本的に自分以上に嫌なことをやった奴が言い訳として使うことが非常に多いんだ。どちらかというとやられた側は高圧的にそんなことを言われると何も言えなくなる。つまりな、その言葉は基本的に強者の言葉なんだ。覚えておくといいよ」
「う、うん?」
納得のいかない、というかわけわからないというのが正しい解釈なんだろう。
ユナはそんな表情を浮かべながらもニコニコと笑顔で首肯した。
僕はお弁当を食べ、ユナはそれを浮遊しながらニコニコと見つめる。
風に乗って甘い香りが僕の鼻をかすめる。
ユナから香るその匂いは僕を落ち着かせてくれる。
ユナは僕にしか見えない。
僕の家族も、親戚も、街行く人にもクラスメイトにも見えない。
もちろん彼女の声も僕にしか届かない。
故に僕は教室でよく訝しむような視線を受ける。
なんせ、僕が教室でユナと話しているという事は、傍から見れば僕が何もない方へ独り言を割と大きな声で話していることになるからだ。
だから誰も知らない。
ユナの光に当てれば少しピンク味を帯びる透き通ったた銀髪や、ぱっちりとした目、小さな口に、整った鼻。
透き通った真水のようで、しかしほのかに砂糖が奥底に沈殿しているような声。
そんな絶滅危惧種のような希少性を持った絶世の美幼女を1人占めしているんだから僕はなんて幸せ者だろう。
ハハッ。ほんと、心の底からそう思う。
僕は気を紛らわせるべく隣にいるユナに話を振る。
「それにしても、また一段とヒナの真似が上手くなったな」
「うん。だってユナも毎日あれで起きてるもん」
破顔一笑、快活に言う彼女のその情けない宣言に僕も首肯するしかない。
あぁ、ヒナというのは僕の妹のことだ。
ほんと、全然可愛くないんだよなぁ、あいつ。
話し足りない僕の話し相手になってくれたり、夜勤で帰りの遅い両親の代わりに晩飯作って待っててくれたりしてさ。
時折、すりすりとすり寄ってきたかと思えばお金頂戴だの、これ買ってだの言ってきたりさ。
話し相手になってくれたと思っていたらいつの間にか罵倒されてたり、白ご飯の上に箸がぶっ刺さっていたり・・・・・・・・
あれ?本当は可愛いんだよ、みたいな感じのツンデレ風味を織り交ぜて妹のヒナの説明をしようとしていたのに。
なんだか本当に可愛くないやつみたいじゃないか。
・・・・・・とまぁ冗談はさておき僕の妹は世界一可愛い。
だが、妹が大人のように振舞うあの姿勢はいかんせん気に食わないというのが本音だろう。
そして、自分自身にとって付けたような言い訳を並べ、それらを頭の中で納得し、妹に甘えている自分自身も気に食わない。
妹にはもっと妹らしくわがままで甘え上手でしたたかになって欲しかった。
でもまぁ、今の大人びた妹が本当の僕の妹という事ならばそれは成長といえるのかもしれないけど。
それに理想を押し付けるのは相手にとっても迷惑で、さらに自分自身の弱さで罪でもある。
だから僕は・・・・・・・・「なぁユナ」
「なぁに?」
「僕はあとどれくらいで死ぬんだ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
嫌な沈黙が校舎裏の日陰をさらに暗く染める。
木々のざわめきは今の僕の耳には届かない。
その代わりに僕の目は見えない者に一直線で、僕の耳は聞こえない羽音に一心不乱だった。
答えの分かる問題は好きだ。
それは単純で、そして納得が出来て、過ちに気付けば諦めがつく。
理路整然とした答えの中に反論できる部分を探すことよりも諦めることは何よりも簡単だ。
奇を衒って反論し、詭弁と勢いで乗り切ろうとするやつは偽物だ。
そんな奴になるくらいなら社会の傀儡にだってなろう。
一生学生がいいと本気で思うが、そんなことでしかこの世をうまく渡れないのなら諦める。
1度諦め癖がついた人間がその癖を治すことはかなり難しい。
でもどうしてだろう。
僕は何故か僕にまとわりつくこの不条理を諦められていなかった。
「だからぁ、それは言えないって何度も言ってんじゃん」
彼女のこの冷え切った怒りに、呆れを滲ませた氷塊のような言葉を一体何度聞いたことだろう。
僕はそうかと一言告げ、味のしない弁当の残りを食べ進めた。
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