迫りくる混沌から囁く彼女

枯れ尾花

第1話 今日も今日とて

 永遠とも思える深い海に身を落とす。


 その海にどんどんのまれながら、すべての感覚が失われていく。


 まるで吸い込まれていくかのように。


 一切の音がない。しかし、その沈黙はとても心地いい。


 あぁ、気持ちいい。



 



 静謐な朝を彩る自然の音。


 鳥のさえずり、風のささやき、木々のざわめき。


 朝日はどんな人間にもスポットライトを当ててくる。


 横たわるホームレスから生き生きと出勤するサラリーマンまで。


 まるで人類皆平等を宣言するように。


 だが、世界はそう簡単ではない。


 そして人間も。


 人は簡単に人を殺し、世界は簡単に人を見捨てる。


 1つの失敗が命取りのハードモードなこの世で太陽は無責任に優しさを振りまく。


 時として優しさは毒である。


 上辺だけの優しさは人を傷つけ、その優しさを勘違いし耽溺すれば裏切られる。


 苦しい言い訳を自分に課し、納得を繰り返す。


 言い合いをできる度胸も気概もない。


 そしてどんどん排斥され、いつしか居場所はなくなっていく。


 「・・・・・・んで」


 ・・・・・・僕はそんな囁きを無視し、相も変わらず登校を繰り返す。



 




 鬱蒼とした森に囲まれた学校に到着する。


 錆びついた門をくぐり、舗装の甘い道を進む。


 「・・・・・・んで」


 ほかの生徒を脇目にすたすたと我が道を進む僕を客観視するなら、さながらレッドカーペットを歩くハリウッドスターのようだ。


 ・・・・・・・・大いなる主観というか主観しか混じっていない。


 「はやく・・・・・・んで」


 校内へ侵入し、靴を履き替える。


 僕は背負っていたリュックをおろし中から上履きを取り出し、そして履く。


 入ってすぐのところにある靴箱は使わない。


 周りの生徒に訝しまれながらもなるべくスマートに。


 そんな視線を避け、僕は教室へ向かった。


 


 

 教室に到着する。


 引き戸を開け、足を踏み入れる。


 喧騒に包まれた教室にある多種多様の視線が一気に自分のもとへ集まる。


 しかし、それも束の間、僕は何をしたわけでもないのにまるで期待外れを宣告されたかのようにすぐさま雲散霧消した。


 僕の中に行き場のない罪の意識だけが取り残されたが、それももう慣れたと言わざるを得ない。

 

 「いつまで・・・・・・の」


 この生活にはもう慣れたんだから。


 


 教室の最奥の列の1番後ろ


 窓側でありながら掃除用具入れの前。


 空気がいいのか悪いのか判断がつけづらい席ではあるが、僕にとってはなかなかに好待遇な席であった。


 「・・・・・・すんな」


 僕は椅子を引き、リュックを横にかけると、そのままの勢いで着席した。


 そして、プログラミングされたかの如く机に上半身を預け、普段通り夢へ甘えた。


 「・・・・・・無視しゅんなぁぁぁぁぁぁ!」


 僕の耳元で怒号が木霊する。


 甲高い、されど透き通った真水のような声。


 しかし奥底に隠れて砂糖が沈殿していたかのように甘ったるい。


 そんな声が氷柱のように僕の耳を突き抜けた。


 しかし僕にはいつも通り、もはや予定調和といっても差し支えない日常だったわけで。


 「そろそろ大きい声を出す練習した方がいいよ。社会はね、しっかり話せない人間を簡単に排斥するんだから。甘噛みが通用するのは小学生までだよ。それ以降は殺したくなる」


 僕は努めて冷静に、そしてなるべく小声で諭すように語りかけた。


 「ご、ごめんなしゃい。でもユナしょうがくせいっぽ・・・・・・って、そうじゃない!」


 僕の言葉の勢いにのまれ、一瞬謝罪の姿勢をとった(僕より社会人じゃないか)が、すぐさま自我を取り戻し、まるで子供のように四肢をじたばたさせ地面を背に叫んだ。


 ほのかにピンクみのある銀髪はじたばたとする体に比例してゆらゆらと揺れる。


 くっきりとした2重瞼に大きな瞳。


 幼稚な体躯はこの高校にそぐわず、どこか犯罪臭を醸し出していた。


 ・・・・・・・・といったありふれた美幼女の紹介文を想起してみたもののそれらすべてを打ち消すパーソナリティを彼女は持ち合わせていた。


 「いったい、何回ゆわせるの?」


 彼女は浮遊しつつもじたばたしていた四肢を落ち着かせ、器用にを使い僕の目の前に静止する。


 おのずと僕の視線は彼女にいくわけで。


 もう見飽きたと言っても過言ではないその頭頂に生えた2に目を奪われる。


 内側に歪曲した角は黒く、まるで闇の深淵を覗いているかのように艶やかで艶めかしい。また背中に生えた羽は形容するならば蝙蝠の羽のようでそれは彼女のサイズに合わせた大きさだった。


 彼女の𠮟責に呼応するかのように僕の頭はぺしぺしとなにかに軽くはたかれる。


 その軽い感じも、距離感が近い感じも、無駄に器用なところも僕の癪に障った。


 「おい!尻尾やめろ!ぶっ殺すぞ!」


 「ひゃん!・・・・き、きゅうに大声出さないでよぉ」


 彼女の体はのけぞり、僕の頭をぺしっていた尻尾は地面に向かって垂れ下がった。


 「あ、あのぉー」


 彼女は小さく呟く。


 「なんだよ」


 時計の針はあと少しで8時40分に差し掛かろうとしていた。


 つまり朝礼が始まる。


 こいつと話す時間もこれで最後になる。


 異物を見るような視線には慣れ、無視できるが、学校のルールには概ね従うつもりでいる。


 「はやくしねぇとチャイム鳴るぞ」


 「う、うん」


 彼女はふんすと握りこぶしを胸の辺りで作り気合を入れる。


 そして僕の耳元へふよふよと近づき、そして・・・・・・・・


 「はやく死んで」


 彼女は頬を朱色に染め、その大きな瞳を潤わせる。


 今度こそ僕の耳はその声を捉えた。


 と、同時にチャイムの音が僕の耳を席巻した。


 こしょこしょと耳元で囁かれたその甘い声。


 体がビクンと軽く跳ね、鳥肌が立つと同時に体の中からゾワゾワと名状しがたい何かが沸き立つのを感じる。


 言葉こそ最低最悪なのだがどうしてだろう。


 僕の体は快楽によって塗りつぶされていた。







 どうやら彼女は僕に這いよる死神様らしい。






 


 


 


 


 


 


 


 





 

 


 


 


 

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