洗脳
連喜
第1話 3.11
*本作品はセンシティブな内容となっております。
2011年3月11日。
東日本大震災があった日だ。
この日に大地震、津波があったことは誰もが知っている。
その後、一部の人には何かが起きた。
とてつもない何かが。
俺はその頃まだ都内の外資系会社で働いていた。その頃は営業だった。
日本で大きな地震があったと聞いて、海外ではすぐに福島原発が危ないという話になっていた。
それで、震災後は誰も出勤しないまま、会社にいた外人はみんな県外に逃げてしまった。海外に逃げた人もいた。
俺にも会社の同僚から電話がかかって来て、関西に逃げた方がいいと勧められた。
俺は取り敢えず関西に逃げた。仕事の携帯とパソコンを持ってたから、出勤しなくても支障がなかった。地震があった時は会社にいたけど、出勤できない可能性を考えて、必要な物を家に持ち帰っていたんだ。
地震の後は色んな人から連絡が来たから、一緒に関西に行かないかと誘ったけど、誰も行かなかった。みんな仕事があって、普通に出勤していたからだ。
俺は関西のお客さんの所に行ったりして、仕事を続行していた。だから欠勤扱いにはなってない。上司に相談してホテル代も会社が出してくれた。
その後、放射能を含んだ雲が関東にやってきて、雨が降って広範囲に汚染されてしまったのは知っているだろうか?
日本がすごくラッキーだったのは、基本、風は西に流れていくから放射能雲が太平洋に流れて行ってくれたおかげで日本全土が高度に汚染される状況は免れたことだ。
俺は4月に東京に戻ったけど、会社には放射能測定用の機械が置いてあった。
外人のうちの何人かはそのまま会社を辞めて国に帰ってしまった。関西や九州に引越した人もいた。
俺は日本人だし、都内に家もあったからそのまま会社に残った。
俺が特異な話をしてるみたいだけど、震災当時、都内から逃げた人はけっこう多い。週刊誌で取り上げられてたけど、海老蔵氏と当時身重だった麻央さんが福岡に非難したと言われている。みなさんも知っていると思うけど、麻央さんはその後、乳がんで亡くなった。
俺の身近でも2011年に亡くなった人が異常に多かった。タクシーの運転手も同じことを言っていた。
今は落ち着いたんじゃないだろうか。放射能も年々減少していく。事故当時が1だとしたら、セシウム134(Cs134)及びセシウム137(Cs137)は、今は25%くらいになっている。
俺が頭がおかしいと思うなら、別にそれでかまわない。
俺がこれから紹介するのは、知り合いで関西に引越した人の話。
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