第128話 立川奥羽会8



店に入ってから約1時間。


雅さんとアヤさんを中心に避難所についての話を聞いてみたが、嗜好品や贅沢品の値段が詳細にわかったくらいでこれといって目新しい情報はなかった。


それはそれで受付の鐙さんの話が真実だったことを意味するため、答え合わせ的な意味では有意義だったと言えなくもないのだが……。


相変わらず引っ付き続ける雅さんとアヤさんに一言告げお手洗いへ逃げ込む。

鐙さんの言っていた通り、トイレは水洗が使えるようで何事もなく使用できた。


お手洗いをでると扉の前にはおしぼりを広げたユウさんが待っていた。

「助かります。……これ、お返ししますね」

手をぬぐった後、おしぼりをユウさんへ返す。

その顔は相変わらず浮かない様子だ。



「……げてください」


「えっ?」

席へと戻ろうとした僕に対し、うつむいたままのユウさんが何かを呟いた。


「逃げてください……! このままここにいたら」

「水洗はどうでしたぁ? 前は当たり前でも、こんな世界になった後だと感動ものですよねぇ?」


突然顔をあげ訴えるように話してきたユウさんの言葉を、影から現れた雅さんが遮る。

遮られたユウさんは一瞬驚いた顔をしていたがすぐにまたうつむき席へ戻っていった。


「……ごめんねぇ。あの子最近入ったばっかりで全然仕事のこととかわかってないのぉ。変なこと口走ることもあるけど、気にしないでねぇ」

ユウさんが席へ戻っていくのを横目でみつつ、雅さんは囁くようにそう言うとお手洗いへ消えていった。



「谷々ちゃん早く早くぅ! 次は王様ゲームしようよ!」

呼びかけに応じる形で席へ戻るとすかさずアヤさんが腕に抱きついてくる。


「いえ、もう時間も時間ですしそろそろ僕はお暇します。色々聞かせていただいてありがとうございました」

お誘いを断り、その場にいたアヤさんとユウさんにお礼を伝えた。


「え~もう帰っちゃうの? もう少しいいじゃなぁい」

ちょうどお手洗いから戻ってきた雅さんが座りながら引き留める。

女性にしては随分早く帰ってきたようだが、お化粧でも直してきたのだろうか。


「ありがとうございます。でも、連れが心配するといけないので今日は帰りますよ。また機会があったらお邪魔しますから」

社交辞令的な挨拶を終え席を立とうとすると、そこへフロアに居た男性従業員がやってきた。


「お客様、お帰りとのことですのでこちらが本日の明細になります」


スッ、と目の前に手書きのメモが挟まれたバインダーを差し出される。

そこには氷代やガールズドリンクといった項目が羅列され、一番下には『小計¥840,000』の文字があった。


「……これはどういうことですか?」

書かれている内容が理解できず男へ問いかける。


「どういうこと、と申されましても……ははっ。こちらが本日のお遊びにおける代金となります」

男はわざとらしく困ったような顔で答える。

その姿勢はこれまでのように片膝をついた対応ではなく、立ったままの居丈高な姿だった。


「……最初に案内された時には無料だと聞いてきたんですが」

なんとなく事態を察し、一応男に対して最初に聞いた内容を答える。

いつのまにかあんなにくっついていた雅さんとアヤさんは離れ、興味なさそうに自らのネイルの出来を確認していた。


「あぁ! そのことでございますね! 伺っておりますよ。『お客様ご自身の飲食について』は無料とするように指示がありましたので、こちらはそれ以外の部分となります」

とぼけた様子の男は伝票を指さしてニコニコと答える。


改めて見ると確かに伝票上僕の飲食についての項目がない。

そのほとんどがガールズドリンク代だが、おしぼり代やトイレ使用代まで加算されている。


「最初にここに案内してくれた方呼んでもらえますか?」


「……店長は忙しいんでね。おいそれとお呼びするわけにいかないんすよ」

丁寧だった男の対応が徐々に棘を帯び始める。

その空気を察してか、女性たちはクスクスと笑いながら慣れた様子で席を立っていった。


ただ一人、ユウさんだけが去り際に一度頭を下げてから店の奥へ消えていく。


「……お客さんさぁ。さっきから何をごちゃごちゃ言ってんの? 女の子たちと楽しくおしゃべりできたんでしょ? 好きなだけ飲んで食って。それを全部タダにしろっていうのは図々しくないですかぁ?」

男は胸の前で腕を組み威圧するように話す。

先ほど女の子たちが消えて行った店の奥から、入れ替わるように他の男性従業員たちが数名でてきた。


「……最初から目的はお金でしたか。怪しいと思った時点で帰るべきでしたね」

少し残っていたお茶を飲み干し、テーブルの足を確認する。


「あぁ? 余裕こいてんじぇねぇぞガキが……。さっさと出すもん出せって言ってんだよ!」


バンッ!


と男がテーブルを自らの拳で叩きつける。

反動で空のグラスが倒れ、中身の入った瓶が床に落ちた。


「金がねぇなら物でもかまわねぇんだ。ここじゃ盗品だってかまわず買いあげてくれる? ……その指輪なんて高く売れそうだなぁ?」


男のギロッとした目が右手にはめた指輪をとらえる。

最初から金になりそうなものに目を付けていたのだろう。


「……やめておいた方が良いですよ。これはあなた方に扱えるものじゃないですし」


「……ってめさっきからむかつくな? まさか手は出されねぇだろうとか考えてるか? あいにくこんな世の中になっちまって以降、法律なんてものは機能してねぇ! それは避難所だって一緒なんだよ! 例えここでてめぇをぶっ殺してゾンビの餌にしようが誰も文句ひとつ」


興奮した男は怒鳴りながら右手で胸倉をつかんできた。

その人差し指を素早くつかみ、思い切り関節と逆の方向へ折り曲げる。


パキャ


「はっ?」


首を鳴らした時のように小気味良い音が聞こえ、男の人差し指が折れた。


「はえぇええぇええ!?」

折れた指から伝わる激痛に悶え、男はその場で指を抑えつつ前かがみとなる。


ちょうど良い高さになった頭をサッカーボールのように蹴り上げると、男は鼻血を出しながら後方に倒れこんでしまった。


その顔は白目をむいており完全に気を失っている。


「なっ!? て、てめぇ!!」

一連のやり取りをみていた男たちが一斉に走り寄る。

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