第125話 立川奥羽会5
「ちょっと待ってなよ。今赤保留入ったとこだからさ」
鈴木さんはそう言うとパチンコの液晶へ視線を戻す。
筐体からは何やら騒がしい音が響いていた。
「どうぞこちらへ」
異様な状況に戸惑っていると、中から扉を開けてくれたハニカム柄のバニーガールが声をかけてくれた。
案内に従い、パチンコ台の対面にある黒い革張りのソファへ腰を下ろす。
「……かぁ~、っぱ最後二択で緑じゃ弱ぇよなぁ。なぁ?」
鈴木さんは残念そうに声をあげ、クスクスと笑う両脇のバニーガールへ声をかける。
言っている意味はわからないがどうやらパチンコが外れたらしい。
「待たしたね。来ると思ったよ」
立ち上がった鈴木さんが対面のソファへ座る。
それが合図だったかのように、奥からフルーツ柄のバニーガールがテーブルに飲み物を持ってきた。
置かれたグラスには丸い氷と共に琥珀色の液体が入っている。
「飲みなよ。高校生なら飲んだことくらいあるだろ?」
鈴木さんは自らに用意されたグラスを一気に飲み干すと、控えていたフルーツバニーにお代わりを頼んでいた。
「いえ、そんな機会はなかったほうの人間です。お気持ちだけいただいておきます」
好意はありがたいが、流石に飲酒ははばかられる。
「そう? 今や法律なんてなんの意味もないんだ。気にする必要ないと思うけどね」
新たに運ばれてきた琥珀色の液体を今度はゆっくりと口に運びながら鈴木さんが話す。
勧めた酒を断られた割に気にしている様子はない。
「さっそくですが鈴木さん。失礼ついでとなって申し訳ないのですが、こちらもお返しいたします」
懐から取り出した封筒をテーブルの上へ置く。
中身は鐙さんから渡された10万円だ。
「智之でいい。気軽に智さんとでも呼んでくれ。……理由を聞いても?」
鈴木さんは差し出された封筒を一瞥すると、ゆっくりと身を乗り出して話をする体制となった。
「では智さん、……このお金は受け取れません。僕は智さんに対してお金を頂くようなことをした覚えはないですし、今後できるとも思っていません。子どもだけの僕らにお心遣いいただいたのだと思いますが、どうぞお気になさらないでください」
なるべく真摯に見えるよう頭を下げる。
「ふ~ん、なるほどね。ヤクザに借りを作るってことを警戒しているわけだ?」
対する智さんはグラスを傾けつつニヤニヤと僕の様子を伺っていた。
「……あけすけに言えばそうです。ただ、誤解しないでいただきたいのは智さんがヤクザだからこのお金を断っているわけじゃないってことです。誰であろうと会って間もない人間を信用できないだけです」
「ぶはは! はっきり言うねぇ! ……この部屋の中には見えてないだけで武装したウチのもんが何人もいるし、この子たちだってこう見えて結構武闘派なんだよ? 君くらい10秒とかからずに挽肉にしてやれるんだが?」
智さんは相変わらず爽やかな笑顔で、しかし、目の奥は一切笑わずに僕を見つめる。
「死ぬときは綺麗なお姉さんの胸の中と決めてますので、それだけお願いします」
その顔を真正面から見据え、肩をすくめつつ応えた。
瞬間。
沈黙と共に緊迫した空気が流れ、部屋中から刺すような殺意が向けられる。
「……へぇ、ホントに肝の据わった子だな。堅気にしておくのは惜しいよ」
ソファに座ったままの智さんが右手をあげると、飛んできていた殺意がやんだ。
一触即発の空気だったがなんとか回避できたらしい。
「悪かったね。試すような真似して。……その金のことなら借りととらなくていいよ。この場での非礼と、最初に連れを撃ったことに対する慰謝料だと思ってくれ」
智さんは再び砕けた雰囲気になると、テーブルの上に置かれた封筒を指さす。
「……そうですか。しかし、10万円なんてかなりの大金なのでは?」
「その他大勢にとってはな。でも、俺にとってははした金だよ。……今も昔もね」
そう言うと、智さんは再び空になったグラスをフルーツバニーへ渡しお代わりを要求していた。
どんだけ飲むんだこの人。
「ここに来るまでの間に見たと思うが、この避難所の中は旧態依然よろしく金がすべてだ。金さえありゃ食いたいもんは大概食えるし、女も抱き放題、寝どこだって共同寝所じゃなく設備の整ったホテルに変えられる。金を稼ぐ力があるやつにとっちゃ正に天国さ」
「……そうみたいですね」
ここに来る途中に見たクレープを買う派手な男と、それを羨ましそうに見つめていた少女の姿が脳裏に浮かぶ。
「ま、ほとんどのやつにとっちゃ生活費を稼ぐだけでかつかつなのは仕方ねぇ。それは世界が終わる前でさえそうだったんだからな」
僕の顔が浮かないことに気づき、智さんは少し話題を選んでいるようだった。
「ここだってそういう変わらないものの一つだ。日ごろのうっ憤を晴らしたり、一獲千金を夢見る奴らの掃きだめ。元々はパチンコ屋だったのを改装してカジノにしたんだが、やってることは以前とかわらねぇ」
運ばれてきたグラスに口をつけ、同時に胸ポケットから煙草を取りだして火をつける。
きっとこの煙草もここではとんでもない値段がつくのだろう。
「っと、話がずれたな。別に高校生相手に管巻きたかったわけじゃねぇ。その金のことは谷々君が思ってたとおり、恩を売っておこうって意図が確かにあった。でもそれだと受け取ってもらえないようだしさっき言った通り慰謝料としてだけ受け取ってくれ。……そのうえで、だ」
智さんがすぅー、と深く煙草の煙を吸い込む。
先端がじりじりと赤く光り、煙草の寿命を削った。
「担当直入に言うけど、谷々君俺の部下としてここで働かない?」
「お断りします」
即答したことにより、辺りの空気がまた一気に殺伐とする。
しかし、今度は智さんがすぐに手を挙げてそれを制していた。
「つれないねぇ。もちろん破格の待遇だぞ? 奥羽会専用のホテルに個室を用意してやるし、給料も月に一本だそう。ここにいる女だって好きなの持って帰っていい。それでもか?」
「お気持ちだけいただいておきます。それに、僕はそんな待遇で迎えられるほどの人間じゃありませんよ」
やんわりと、しかしはっきりと固辞しておく。
待遇は破格かもしれないが、それに見合う何かを要求されるのは明白だ。
いまは他に目的があって行動しているわけだし、制約のある暮らしは避けるべきだろう。
「俺は谷々君が自分で思っている以上に君のことを高く評価しているんだけどね。俺の狙撃に気づいたところやその胆力。それに……これは勘だけど谷々君にはまだ隠している何かがあるよね?」
その目が一瞬ギラりと光る。
動揺すればすぐに見抜かれてしまいそうな鋭い目だ。
しかし、こちらも表情バリエーションの乏しさには自信がある。
「ありがとうございます。でも、かいかぶりですよ。僕はどこにでもいる世間知らずの高校生です」
努めてそれまでと変わらない表情で答え、お断りする意思を貫く。
「……そうか。残念だが今回は諦めることにしよう。しつこい男は嫌われるしな。だが、もし気が変わったならいつでも会いにきてくれ、君なら大歓迎だ」
智さんは少しの間考えていたようだが、最終的にはさっぱりとした笑顔でそう言ってくれた。
ヤクザとはいえ、話が分かる方の人なのだろう。
「ありがとうございます。せっかく誘っていただいたのに失礼ばかり言ってすみませんでした。それじゃ僕はこれで」
話が済んだようなのでテーブルの封筒を回収し、そそくさと部屋を後にする。
智さんを除き、その他の人々からは扉を閉めるまで刺すような視線が放たれていた。
「……いいんですか? あんな態度許しちゃって」
扉が閉まり、数秒の沈黙の後フルーツバニーが不愉快そうな声でつぶやく。
「構わねぇよ。俺の勘が『あいつにはなんかある』ってずっと囁いてんだ。俺はその囁きを自分の女以上に信じてるからな」
グラスに残った液体を一気に飲み干し、上機嫌な様子で鈴木が話す。
「智ちゃんにそこまで言わせるなんてなんだか嫉妬しちゃうなぁ。……ちょっかい出すくらいはいいよね?」
ゼブラバニーがゆっくりと背後から鈴木を抱きしめ、その耳たぶを優しく噛んだ。
「ふっ、別に構わねぇが、やめといた方がいいと思うぞ? さっき軽く脅した時、あいつの目には恐怖も自信も浮かびゃしなかった。現役のヤクザを前にびびらねぇってのもやばいが、この場を切り抜けるだけの策や力があるって自信すら見えてこなかったのは気味がわりぃ。まるで優雅なティータイムに猫がじゃれついてきただけっていう平穏さだった。俺の経験上、そういう修羅場を日常の傍らに置くような奴が一番やべぇ。下手に腕っぷしに自信があるタイプよりよっぽどイカれてる」
鈴木は吸いかけの煙草を半分以上残し、灰皿に押し当てて火を消した。
話を聞いたバニーたちは鈴木の言っている意味がわからず、「そういうものなんだぁ~」と言いながら部屋の片づけを始める。
「……ただ、そういう奴ってのは大概早死にするんだけどな」
谷々の消えた扉を見据え、鈴木は肺に残った煙を吐き出すように呟いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます