第37話 屋上・サバイバル・デッド9



いつのまにか日は傾き、夕暮れがグラウンドの惨状を染め上げていた。


昼食を終えたのが15時位。

その後は各々スマホで家族と連絡を取ろうとしたり、警察や消防などに通報しようとしたり、仲の良いグループで集まり友人の死を悼むものなどに分かれた。


教頭は調理場の物資を管理するという名目のもとそれらが保管されている屋根の一番奥に陣取り、物資の警備という役割を与えた四方田さんを自らの近くに置いた。


本当は嵯峨さんにも警備として自らの近くにいるよう命じていたが「守るよりミンチにするほうが得意なんですけど」という一言で流石の教頭も諦めざるを得なかったようだ。



「ねぇ聞いた? 信太ちゃんとこお母さんと連絡とれたみたいでさ。緊急で避難所になった近くの小学校にいるんだって」


「聞いた聞いた! うちもみんな逃げてるといいんだけど……」


少し離れたところで、女生徒が2人興奮した様子で話している。

どうやら家族と連絡を取れた人が出てきたらしい。


「……相変わらず警察や消防のほうは繋がらねぇ。くそ! 肝心な時に役にたたねぇ!」


「まぁそう怒んなよ三塚みつづか。ネットの情報じゃ街中どころか日本中がこの騒動に巻き込まれてんだ。どっから手をつけていいかわかんねぇんだろうよ」

苛立つ三塚を松風がなだめている。

どうやら相変わらず警察等への通報は繋がらないようだ。


「さっきmetubeのニュース見たんだけどさ。すごかったよ。途中まで例の連続殺人鬼についての特集だったんだけど、いきなりLive映像に切り替わったの。そしたら吉祥寺の駅前が映ってて、街中の人間が殺し合ってた。リポーターの人ももう泣きじゃくってて『帰りたい』しか言えてなくてさ。そのまま中継は切れたんだけど、切り替わったスタジオの空気感やばかったもん」

回線は随分重いようだが、metubeの短い動画やfsitterに流れてくる程度の画像なんかは時間をかければ見ることができるらしく、状況の悲惨さを如実に伝えてくれた。


なかでも有名なmetuberが外に出て凄惨な光景をLive配信していたところ、数人のゾンビに囲まれ内臓を引きずり出されながら喰われた動画は1500万再生を超え、そのmetuberの最多再生動画になったようだ。


しかし、騒動の始まりから時間が経つにつれ、そういった人が人を喰う動画はネット上に大量に出回り、阿鼻叫喚の地獄は収束するどころか拡大の一途だということがわかった。


この状況は好転するんだろうか……?

そんなことを考えながら、ふと自分のスマホを確認するとデジタルの時計が18という数字を表示していた。

初夏とは言え、もう少しで夜が来る。


「僕たち……ちゃんと助かるのかなぁ……?」

隣で小泉が呟く。

別に問われたわけではないだろうから言葉は返さない。


ただジッと、グラウンドの端と端を行き来するだけになった小玉先生を見つめる。


「ねぇ……谷々君? ちょっといい?」

ふいに声をかけられ振り向くと、若生さんが両手をもじもじとさせながら立っていた。


「どうしたの?」

出していたスマホを軽く操作してからポケットにしまう。


「教頭に頼まれちゃってさ。管理室の中にまだ使えるものがないかもう一回探せって」


「そうなんだ。かなり漁ったからなにもないはずだけどなぁ。でも探さないと教頭うるさそうだしね。じゃ見てくるよ」

そう言って1人で屋上の端にある管理室に向かおうとしたところ。


「あ! ちょ、ちょっと待って! ウチもいく!!」

若生さんが慌てた様子でついてきた。


「? 大した広さじゃないし一人で大丈夫だよ?」


「そうだけどさ、手伝わせて欲しいんだよね。さっき酷いこと言ったし、そのお詫びも兼ねて」

そう言って若生さんはニコッと笑った。

不自然すぎるくらい自然な笑顔だ。

僕もこれくらい上手に笑顔を作ることができたらいいのに。


「別に気にしなくていいんだけどね。ならさっさと片付けちゃおうか」

そう言って管理室に向け歩き出す。


「ありがと。……谷々君て優しいんだ」

後ろについてくるかと思いきや、若生さんはすぐ隣を歩き始めた。

ちょっと近すぎて歩きづらいのでさりげなく距離を取り、胸ポケットに入れておいたミントフリスクのケースから一粒口にいれて噛み砕く。


「ふふっ、谷々君て結構照れ屋なんだね♪」


そんな店を開いた覚えはないが、訂正するほど大胆でもない。

そのまま管理室へと歩き、ドアノブを引いてさっさと中へ侵入する。


置かれている棚を除けば2畳ほどしかない室内は狭く、窓も無いため全体的に薄暗かった。


どこから探し始めようか、と中を見回していたところ


ガチャン!


と後ろでドアの閉まる音がした。

振り向くと、管理室の扉を若生さんが後ろ手で閉めている。


カチャ


ドアノブについていた内鍵を締めたのか、若生さんの後ろで軽い金属音がした。


「若生さん?」


ドアが閉められたことにより、部屋の中は一層暗くなった。

上部にある小窓からの西日だけが室内を照らしている。


「……言ったじゃん。さっきのお詫びがしたいって」

少しずつ暗闇に慣れてきた目が、ゆっくりとこちらに歩みよる若生さんの姿を鮮明にする。


その両手が艶かしく動き、白いブラウスに並んだボタンをひとつずつ外していった。


「……僕も気にしなくていいよ、って言ったと思うんだけどな」

少し後退りしてみたが、狭すぎる室内では逃げ場が無い。


「そうだね。ならこれは前金だと思ってよ」

襟元までブラウスのボタンを外したため、黄色い蛍光ペンのような色の下着が丸見えになった。


「前金?」


「そっ、前金」

目の前まで近づいてきた若生さんが、ゆっくりと僕の右手を取り自らの胸に押し付けた。


「ねぇ、谷々くん。ウチに何をしてもいいよ」


挑発的な目とねだるような声。


「……なんでも?」

なるべく手を動かさないようにしつつ淡々ときいた。


「なんでも、好きなことしていいよ。ウチ激しいのも虐められるのも結構好きなんだよね」

右手の人差し指が動き、ツツーっと僕の二の腕をなぞった。


「そうなんだ。それで? 前金ってことは代わりになにかして欲しいんでしょ?」


「ふふっ、別にウチだけに得な話じゃないよ。谷々君、一緒にこの屋上を支配しようよ」


「支配?」


「そう、支配。これからどうなるかわかんないけどさ。ネット見てる感じだとしばらくはこの騒ぎも終わんないみたいじゃん? そうなるとこの屋上で生きてかなきゃいけないわけだけど、ウチ惨めな生活って無理なんだよねぇ」

二の腕をなぞっていた指先が首筋へと昇ってくる。


「楽して遊んで暮らせればそれが一番なの。共同作業とか、配給? とかわけわかんないことに縛られたくないんだよね」

首筋を昇ってきた指先は、軽く耳を撫でるようになっていた。


「だから、ウチと組もうよ、谷々君。その力があれば簡単に食べ物も手に入るし、他の奴らだって従うしかないよ。そしたらウチらこの屋上の王様だよ? なんでも好きにできる」

耳から離れ、しなやかな指が頬を包むように撫でた。


「ほら、我慢しなくていいよ。触って? まずはウチと一緒に……」

ゆっくりと目を閉じた若生さんの顔が近づいてくる。

どこかで嗅いだことのある、ブランドもののキツイ香水の匂いがした。




「悪いけど、僕は王様なんて柄じゃ無いよ。」

そう言い放ち、背後の棚の影にあったスマホを手に取り、床に叩きつけて割った。


「えっ!? なんで!?」

驚いた若生さんがパッと離れる。


不苦労薬ふくろうやくって言ってね。僕のオリジナルなんだけど、視界がほぼ360度まで広がるんだ」

結局アッカーマンの元で教わった錬金術はこれとマナの丸薬くらいにしか応用できなかったが、こんなところで役に立つとは。


「は!? なに言ってんの!?」

若生さんは先ほどまでの甘えるような表情とは打って変わり、激昂していた。


「若生さん昼食を取った後、もう掃除用具以外なにもないこの管理室に何度か出入りしてたよね。ここに誘われた時点で何かあるなと思ったよ」


「な……なによそれ……。別にウチは……」

激昂していた顔が焦りへと変わっていく。


「このスマホ、撮影中のままカメラがこっち向いてたよ。大方ここで僕が若生さんに手をだすところでも撮影して、脅そうとしたんでしょ?」


「……」

無言のままこちらを睨む若生さん。

図星か。


「教頭に指示されたって言うのも嘘だろうし、赤間達もグルだね? さっきの意趣返し兼いいように使えるパシりが欲しかったってとこかな」


「はぁ……うざ。そこまでわかってんならもういいわ」

そう言って若生さんは脱ぎかけのブラウスを完全に脱ぎ、こちらに投げつけてきた。


「予定と違うけどしょうがないわよね。アンタが悪いのよ? 大人しくウチのこと抱いとけば少しは気持ちいい思いもできたのに」

上半身下着姿のままドアまで進み、カチャっと内鍵を開ける。


「この姿のまま、悲鳴をあげてウチが外に飛び出したらどうなるかしら? 暗い密室の中、男が無理矢理JKに手を出してたってのは動画よりリアルな状況じゃない?」

若生さんはドアノブに手をかけ、こちらに勝ち誇った顔を向けている。


「アンタをパシりにはできなかったけど、その役はあの教頭にでもしてもらおうかな。あの変態ハゲ親父なら一瞬で飛びつくでしょ。ウチ身体には自信があるんだよね」

ドアノブを掴む手とは反対の手で自らの胸を鷲掴みにする。


「じゃあね。せいぜいみんなから蔑んだ目で見られて罵られるといいよ」

そう言ってドアノブを回そうとする若生さんに声をかける。


「……若生さん、次から人をハメる時はもっと気をつけた方がいいよ。人が最も油断するのは、自分が優位だと確信したときなんだから」


「はっ?」


間抜けな声をだした若生さんが、僕の手に握られているものを見て驚愕する。


掲げたのはスマホ、それも動画の撮影が行われている。


「なっ!? えっ!? いつから!?!?」


「最初からだよ。言ったでしょ? なにかあると思ったって」

カメラを自分に向けながら、淡々と説明する。

自撮りしているみたいで少しだけ恥ずかしい。


「そんな! そんな素振り管理室に入ってからなにもなかったじゃん!」

もはや駄々をこねる子どものような声色だ。


「そうだね。だからだよ。若生さんに話しかけられて振り向いた時、あそこからもう録画は始めといたんだ」


「は、はぁ!? なによそれ!?」

理解できない、という表情の若生さんが頭を抱えて座り込んだ。


「今度は僕からの質問だね。この動画をみんなに見せたらどうなるかな?」

座り込む若生さんに近づきつつ、言葉を投げかける。


「や、やめて……! そんなことされたらここにいられなくなっちゃう……!」

頭を抱え、うつむいたままの若生さんが必死にすがる。


「かもね。こんな状況の中、くだらない諍いが原因で人を貶めようとする奴なんて不和の種だ。追い出すまではいかなくとも、相当肩身の狭い思いをしながらここで過ごすことになるだろうね」

目の前まで進み、足元でうずくまる塊に声をかける。


「そんなのいや! いやぁ……お願い、もうしないから……許してぇ……」

パッと顔を上げた若生さんの顔は涙で濡れ、口元まで歪んでいた。先程までの作り笑いに比べるとずいぶん人間らしい表情だ。


「もちろん。許してあげるよ。ただ」

そう言ってその場にかがみ込み、若生さんと目線を合わせる。


何故か若生さんはそれだけでひっと顔を引き攣らせた。


「次はないよ?」

安心できるようニコッと笑いかけながら、そう伝える。


しかし若生さんは「はいぃっ!」という悲鳴のような声をあげその場で土下座し始めた。


「あ、ありがとうございます! ありがとうございます!!」

壊れた機械のように感謝を繰り返す背中にブラウスをかけ、1人で管理室を後にする。


外に出ると、強い西日を放っていた太陽が街の地平線に沈もうとしていた。




「おつかれさまだね」


突然真横から声がかかる。

いつからそこにいたのか、一番が管理室の壁にもたれかかっていた。


「やっぱりいたんだ。そんな気はしたよ」

ドアの前から移動し、一番に向き合う。


「ははっ、この屋上じゃどこで何をしてるかなんて丸見えだからね。若生さんが谷々を管理室に誘ったあたりで怪しいと思ったよ」


「……別に途中で助けてくれてもよかったんだよ?」


と不満を一番にぶつけてみたが


「いざとなったら助けようと思ってたさ。でも谷々なら必要ないだろうとも思ってたよ」

あっけらかんとした表情でにこやかに笑う一番に毒気を抜かれてしまった。


「はぁ、まぁいいけどね。これで少しは赤間達も大人しくしてくれるといいんだけど」

振り返り、屋上の反対側にいる赤間達を見つめる。


向こうもこちらに注目していたようだが思惑通りにいかなかったことを悟ったらしく、バツが悪そうに視線を逸らしていた。


「しばらくは大丈夫じゃないかな? 中心人物の若生さんにやっちゃったんだし、少なくとも本人はもう谷々に楯突いたりしないさ。」


あれって。

別に拷問したわけでもないのに心外な言い方だ。


「まずは今日生き残ったことに感謝しよう。明日からのことは、また明日考えればいいさ」

そう言って屋根の方へ歩き出す一番。


その後を追うと、どこからともなくスパイスの刺激的な匂いが漂ってきた。


空腹にダイレクトに突き刺さるこの匂いは。


「こういう時こそテンションあがるもの食べないとね」

そう言って振り返った一番が、満面の笑みで話す。




「今晩はカレーだよ!」


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