第24話 学校・リビング・デッド3
生徒の遺体が無い。
その事実にカーテンをめくった体勢のまま固まってしまう。
あれ? 確かこのベットだったはず、隣だったかな、いや布団が乱れているしこのベットよね、いやなんで布団が乱れることがあるの、と思考がとめどなく巡る。
「先生?」
ベット脇で固まっているとすぐ後ろから声がした。
気づけば涼子がすぐ近くまで来ている。
「あ、あぁ、なんでもないの。気のせいだったみたいね」
なんとか取り繕いカーテンを元のように戻す。
そして一応隣のベットも確認したがやはり何も無い。
こちらは使用した形跡すらなかった。
おかしい……なによこれ……?
動転する思考で目まぐるしくさまざまな可能性を考えていると
「先生」
とまた涼子から声がかかった。
……いけない、こんなことではまた涼子を不安にさせてしまう。
そう思い、出来る限りの笑顔を作って涼子の方を振り返る。
そこにあったのは青を超えて白くなってしまった涼子の顔と、その足首を掴むベットの下から伸びた手だった。
青白く、細い腕だ。
その腕が沢田石のものだと気づくのに時間はかからなかった。
泣きそうな表情の涼子が勢いよく床に引き倒された。
そして一瞬のうちにベットの下から這い出てきた沢田石が涼子のふくらはぎへと噛み付く。
「ぎゃっ!! 痛いぃ!! た、助けて先生えぇえ!!!」
恐怖で腰の抜けた涼子が鋭い痛みに悲鳴をあげる。
その手は必死に助けを求め空を掻いていた。
「りょ、涼子ちゃん! やめなさい沢田石くん!!」
慌ててふくらはぎに噛み付いたままの沢田石へと飛びつき引き離そうとするが、尋常でない力で噛み付いており引き剥がすことができない。
「な、なんなのこれ……!?」
驚き、沢田石の顔をよく見ると白濁した眼球が左右異なる方向を見ている。
いや、本当にみえているのかどうか……焦点があっているようには見えない。
「ああぁぁあぁ! 痛い! 痛いよぉ!!」
その間も沢田石は何度も涼子のふくらはぎに噛みつき、肉をえぐっていく。
ぶち、ぶつん、という音が断続的に聞こえた。
これは噛み付いてるなんてものじゃない……沢田石が涼子を……喰べている……。
背中に例えようの無い怖気を感じながら、なんとか沢田石を引き剥がそうと渾身の力を込める。
涼子もあまりの痛みからか、もはや相手が人間であることを忘れ沢田石の顔面を掴まれていない足でガツンガツンと蹴りつけている。
しかし、当の沢田石はそんなことお構い無しに咀嚼をやめない。
既に鼻が折れ、顔が擦過傷でいっぱいなのにまるで痛みを感じていないかのようだ。
これは自分ではどうしようもない、と判断し人を呼ぶため急いで部屋の扉へと向かう。
「そんな! 先生ぇ! まってぇ! おいてかないでえぇえ!!」
「大丈夫! 絶対見捨てたりしないわ! すぐに他の先生たちを呼んでくるから!」
勢いよく扉を開け職員室へと走る。
一番近いのは隣接する校長室だが、恐らく職員会議のため中は空のはずだ。
瞬時に判断し渡り廊下をひた走る。
職員室は校長室のすぐ隣だ。
たった20mほどの距離なのに、それがひどく遠いように感じられる。
「緊急です! 沢田石君が意識を取り戻しました! しかし錯乱していて保健室に来ていた女生徒を襲っています! どなたか手を貸してください!」
職員室のドアをノックもせず開け、叫びながら飛び込む。
中には20名ほどの先生が集まっているが、みな一様にきょとんとした顔でこちらを見つめていた。
「え? 小玉先生、沢田石が意識を取り戻したって、亡くなったのではないんですか?」
教頭がポカンとした顔で問いかけてくる。
亡くなっていたなんてことは百も承知だ。
それでも現実意識を取り戻しているのだから仕方ない。
「そうです! でも意識を取り戻したんです! とにかく急いでください! 襲われている子は沢田石君に噛みつかれていて、こうしている今も危険な状態なんです!!」
「噛みつかれてって、えぇ?」
「どういうことなんですか?」
「いやぁ、襲われてるなんていうからてっきり思春期を拗らせたかと思いましたよ。はっはっ」
職員室の中は皆動揺するか軽く捉えるばかりで誰も率先して動こうとしない。
こんな時に何を悠長な……!
ふざけるな! と怒鳴り散らす寸前
「わかりました! 急ぎましょう小玉先生!」
保健体育の
夏前なのにランニングシャツにジャージの長ズボンというスポーティな格好だが、まだ若く筋肉質な体は実に頼もしくあった。
「さぁ、急ぎましょう! 保健室ですね!?」
「えぇ、そうです!」
脇をすり抜けた東海林先生が率先して保健室へと走り出す。
その積極性に感謝し、自分もすぐに踵を返した。
しかし、職員室の扉を開けてすぐのところで東海林先生が止まる。
どうしたのかと視線をずらすと、そこには全身から出血している涼子が居た。
おびただしい量の血液。
特に首元の傷が深いのか、こうしている間も鮮血が溢れ出している。
「き、君! 大丈夫か!? 小玉先生! すぐに手当を」
慌てた東海林先生が涼子に近寄り、こちらを振り返って話すその最中、涼子が東海林先生の首に噛みついた。
「痛っ! ちょっ、なにするんだ!」
「涼子ちゃん!?」
驚いて涼子を突き飛ばすが、その際ミチィと肉の千切れる嫌な音がした。
「な、なんなんだクソっ!!」
東海林先生は痛みで顔を歪ませながらもなんとか傷口を手で圧迫している。
しかし、傷が血管まで達しているのか止血できる気配はない。
鮮血が指の間から絶え間なく漏れだしている。
「くちゃ……ぐちゃ……」
突き飛ばされた涼子はその勢いで派手に転倒したものの、全く意に返さずその場で東海林先生の肉を咀嚼し続けている。
その目は白濁し、左右の眼球で違う方向を見ていた。
その様子はさきほどの生徒と全く同じだ。
なんなのこの状況……!?
事態に理解が追いつかない。
混乱した頭で涼子を見ていると
「きゃぁあああ!!」
「う、うわああぁ!!!」
1年生の教室から悲鳴が聞こえた。
見れば教室から何人もの生徒が転げるように飛び出してくる。
その中には腕や肩、首筋から出血している生徒までいた。
東海林先生の声や只事でない悲鳴を聞きつけてようやく他の職員達も事態の深刻さを理解し始める。
「なんだなんだ? どうした!?」
「
悲鳴が聞こえた教室に向かい1年生の担任団が走っていく。
それに続き他の職員も数名職員室を飛び出した。
2.3年生のクラスを担当する先生達だ。
「ちょっと先生方! 勝手な行動は謹んでくださ、教頭までどこいくんですか!」
混乱した職員室の中で校長が声を張り上げる。
しかし、未だ収まらない教室からの悲鳴や既に自分の判断で動き出した他の職員達を見て、残っている先生達もほとんどパニック状態だ。
「ぐ……うぅ……」
ガタン、と東海林先生が壁に手をつきながら座り込む。
ほとんど倒れ込むような勢いだ。
急激に血液が失われることで意識が飛びかけているのだろう。
このままでは命が危ない。
「東海林先生! 大丈夫ですか!?」
慌てて駆け寄り止血を手伝おうと首筋に手を当てるが、乱暴に振り払われてしまった。
「が、あぁ……ぎっ……ぃ……」
痛みに歯を食いしばる東海林先生。
その瞳が徐々に白濁していく。
「東海林……先生……?」
ビクンッ!
と一つ大きな痙攣をし東海林先生がうつむく。
そして再びゆっくり顔をあげると。
その瞳は完全に白濁していた。
「あぁああぁああがあぁあぁ!!!!」
「ひぃ! いやああぁああ!!」
歯を剥き出しにして襲いかかってくる東海林先生をなんとかかわし、その勢いのまま教室の方へ走る。
なんなの!? 一体何が起きているの!?
状況を理解できず、どうするかのあてもなく闇雲に走った。
そして職員室から最も近い位置にある1年6組へと辿り着き、おもむろに中を覗き込んだ。
正に阿鼻叫喚。
生徒がお互いに白いシャツを真っ赤に染め上げ、取っ組み合いの殺し合いをしている。
床には何人かの生徒が倒れ、その周りは一目で致死量とわかる血溜まりが出来ていた。
殺し合いの中、教室の中央で担任が噛みつかれながら喧嘩の仲裁を行っているが、まるでおさまる気配がない。
隣接するクラスからも悲鳴が聞こえる。
恐らくどのクラスも似たような状態なのだろう。
「う……ぐぅ……」
目の前の異常な光景、濃厚な鉄の臭いに吐き気を催したが無理矢理飲み込む。
……今は吐いている場合じゃない。
視線を教室に戻すと、ドアの近くでうずくまる男子生徒と目があった。
しかし、正確に言えば視線はあっていない。
白濁した瞳に、もはや視線などない。
「そんな……こんなのってまるで……」
唖然としている間に生徒が飛びかかってくる。
首筋に喰らいつこうとするのを左腕で防ぐが、その腕を容赦なく噛まれた。
突き立てられた歯が肉に食い込み、白衣の袖が赤く染まる。
「ううぅうぁああああぁあ!!」
力いっぱい、足までつかって生徒を突き飛ばす。
生徒は吹き飛んだ勢いで並んでいた机や椅子をボーリングのピンのように跳ね飛ばした。
普通ならしばらくその場にうずくまるような痛みだと思うが、その生徒は何もなかったかのようにゆらりと立ち上がる。
「ば、ばけもの……」
自然と言葉が口をついてでた。
白濁した瞳、明後日の方を剥いた眼球、血だらけの身体、そして人を喰らおうとする衝動。
これ以上ないくらい化け物だ。
いつのまにか職員室の方からも悲鳴が聞こえ始める。
……もう自分の手におえる状況じゃない。
ここにきてようやく理解した。
一刻も早く逃げないと!!
「ああぁああいいいぁいいぃ!!」
奇怪な声をあげながら再び襲いかかってくる生徒を避け、玄関へと走り出す。
途中何度か白濁した目の生徒とすれ違うが、掴みかかってくる腕を間一髪で避ける。
しかし、廊下を駆け抜ける姿が目立ったのか数人の生徒が後ろから走って追ってきている。
捕まったら終わりだ……!
頭の中にガンガンと警鐘が鳴り響いている。
下駄箱を駆け抜け、上靴のまま校庭へと駆け出す。
振り返ることはできないが、いくつもの足音と奇怪な叫び声がすぐ後ろから聞こえる。
「はぁ、はぁ……!」
しばらく運動していない身体に全力疾走の疲労が容赦なく襲いかかる。
心臓は爆発しそうなくらいの早鐘を打ち、脇腹から鋭い痛みが駆け上がってくる。
それでも止まったら死ぬという恐怖で無理矢理足を動かしてきた。
しかし、それもほとんど限界だ。
校庭を三分の一ほど駆けた所で足がもつれ、盛大に転倒する。
足首に激痛が走りもはや立つこともままならない。
「はぁ、はぁ、ぐっ……はぁ……!」
荒い呼吸のまま後ろを振り返ると、そこには猛然と飛びかかってくる涼子がいた。
あぁ……ここまでなのね……。
首に喰らいつく涼子をそっと抱きしめ。
「置いていってごめんね」と呟いた。
何人もの生徒に喰らいつかれ、
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