第4話 異世界にて
その瞬間、「ポーン」という軽々しい音が世界に響き渡った。
この音には一度だけ聴き覚えがある。
この世界にきた日に響いた音だ。
「……が勇者、深谷一番によって倒されました。リコールが開始されます。特典を選択してください」
音に続けてなんとも説明不足なアナウンスが流れる。
この雑な感じにも聴き覚えがあった。
……『リコール』、『特典』といったよくわからない内容もあったが、少なくとも僕らの共通の目標は達成されたのだろう。
少しだけ安堵し、すっかり慣れてしまった硬い黒パンを革水筒の水で流し込む。
入れてから随分たった水は温く、革の独特な臭いがした。
現代日本で普通に暮らしていた頃には考えられない食事だ。
「……それもようやく終わりってことなのかな」
なんとなくリコール、という言葉の意味を察して感慨に
思えばもう1年もの間この世界にいたことになる。
――始まりは唐突だった。
6月24日、2限の国語の授業中のことだ。
「……蘇り、甦り、といった言葉には黄泉の世界から帰ってくるという意味が含まれるわけだ。いわゆる『黄泉帰り』という奴だなぁ」
担当の
――突然、座っていた椅子の下から眩い光が放たれたのだ。
慌てて飛びのこうとしても体が動かない。
驚いて声を上げたつもりだったがその声もでていない。
なんとか眼球だけは動かせるようだったので、隣の席の
しかし、松風はまるで何事もないかのように手元でボールペンを分解し続けている。
こんなに眩しい光なのに、近くにいる誰もこの異変に気づいていないようだ。
なんだこれ……?
僕の戸惑いなどお構いなしで光はどんどん強くなっていく。
なんで誰も気づかない……?
教室の中に目線を動かす。
そして、そこで気づいた。
自分のほかに、何人かの席もまばゆく光っている。
その事実に気づいた瞬間、目の前の景色が教室から草原へ変わっていた。
「……わぁ」
最初に出た言葉は驚きというより戸惑いだった。
青臭い植物の匂い、頬を撫でる風、降り注ぐ太陽、炭酸飲料のCMでよくみるステレオタイプな草原が目の前に広がっている。
「……なんだこれ」
あまりの非現実感に思わず笑ってしまう。
もしかして教室で授業を受けていたというのが夢で、本当は草原で寝てたっけ? と現実逃避にふけようとしたところ。
「な、なんだぁ!?」
「きゃあああ!?」
「は、はぁ……?」
「……っ!」
「嘘……?」
という声が後ろから聞こえてきた。
振り返るとそこには5人のクラスメートの姿がある。
僕を含め全員が制服だ。
「
はじめに声をあげたのは嵯峨さんだった。
プリーツスカートの裾を握り、クラス委員で親友の四方田さんのもとへ走りよる。
「う、うん……。そうだと思うんだけど……」
不安な顔で縋り付く嵯峨さんを落ち着かせようと、四方田さんがその肩を抱く。
しかし、四方田さん自身も状況を飲み込めていないようで同じように不安な顔をしていた。
「あぁん!? おい沢田石! どうなってんだこれ?」
2人の様子を見ていた御法川が叫び、茶色く染めた髪の間から派手なピアスがキラりと光る。
自他共に認める不良である彼は、この状況に困惑はしていても不安な表情ではない。
「い、いや、ぼ、僕にもわかんないよ……」
名前を呼ばれた沢田石がビクッと体を震わせて答える。
クラスの中でも大人しいほうの彼は、その性格から御法川に絡まれることが多かった。
「ちっ……使えねぇなぁ。なんのために普段勉強ばっかしてんだよ」
「そ、そんなこと言われたって……」
苛立ちを隠そうとしない御法川に対し、怯えた様子の沢田石がおどおど答えていると
「ちょっと実里! やめなさいよ!」
嵯峨さんを抱いたまま四方田さんが御法川を注意した。
こういったやりとりは学校生活の中でよく見たものだが、草原のど真ん中で見ると違和感がすごい。
「はっ、いいだろ別に、聞いてみただけだろが」
「威圧的だって言ってんのよ。かわいそうでしょ!」
「こんな状況でもしっかり委員長やってんのかぁ? お偉いこって」
「なにその言い方? あんたねぇ!?」
「ストップストーーーップ!!」
いつも通り2人の口喧嘩がヒートアップしていくと、こちらもまたいつもどおりの人物が2人の会話に割って入った。
四方田さんと2人でクラス委員を務めている一番だ。
優秀かつ冷静、完璧を絵に描いたような彼はこの状況でも普段通りらしい。
「ちょっと一旦落ち着こうよ。みんな突然のことで怖いのはわかる。でも言い争っている場合じゃないのは確かだろ? まずは状況を整理してみるんだ」
整った顔にさわやかな笑顔をのせ、一番がゆったりした口調で話す。
「……そうだね」
「……ちっ」
そんな一番の言葉に言い争っていた2人が黙った。
さすが女子だけでなく男子からも人気の高い一番だ。
イケメンは説得力からして持っているものが違う。
「ありがとう。さて、さっき『突然のこと』って話したけど、それはみんな共通の感覚ってことでいいかな? 僕の記憶だとさっきまで教室で腰山先生の授業を受けていたはずなんだけど」
「うん。私もそうだった」
四方田さんの答えに続き、全員が自分もそうだとうなづく。
「その最中、急に足元が光り始めて気づいたらこの場所にいた。これもあってるかな?」
皆が無言でうなづく。
「そうか……みんなで同じ夢を見てるってことじゃ無い限り、これは現実ってことになるのかな……?」
「でも一番、こんなことってあるの? ドラマや映画じゃあるまいし……」
一番の独白に対し、困惑した表情の四方田さんが答える。
「……僕も正直信じ難いよ。実はまだ授業中で、みんな寝てるって方がまだ現実味がある。でも……例えばさ
「?」
四方田さんが不思議な顔をしながらも言われた通りにする。
もちろん人差し指はしっかりと手のひらの真ん中くらいに押し当たった。
「これが一体なんなの?」
「
その様子を見守っていた一番がつづける。
「あ! それなら僕聞いたことあるよ。夢だと気づく夢のことだよね!?」
ここまでずっと俯いていた沢田石がパッと顔をあげて話す。
「そう、その明晰夢なんだけど、夢だと気づくために色々な方法があってね。これはその一つなんだけど、今みているモノが夢なら高確率で手のひらをすり抜けてしまうんだ」
「そうなの!?」
驚いた四方田さんが自らの掌に押し当てられた指を見つめる。
「こういった行為をリアリティチェックなんていったりする。もちろん諸説あるし、人によって気付きやすい方法も変わるんだ。ほっぺをつねってみるなんてのも典型だね」
「あぁ、そういうことかよ」
御法川がようやく話に追いついたとばかりに相槌を打つ。
「実はここについてからリアリティチェックを僕なりにいくつか試してみたんだ。でも……どれも意味はなかった。もちろんそれだけで断じるわけにはいかないけど」
真剣な表情の一番が続ける。
「少なくともこれは夢じゃ無いと思って行動したほうが良いと思うんだ」
一番の深刻な表情と声色に、その場の空気がシンと静まるのを感じた。
そして、それとほぼ同時に
「ポーン」
と軽々しい音が世界に響き渡った。
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