「青井は? 逃げた?」

 ぽんぽんと、軽いボールを投げるみたいに夕佳が訊いた。祐一は言葉に詰まり、曖昧に彼女の顔を見返した。

 事情を知っているのかいないのか、渚は静かな無表情で夕佳の隣に立っているだけだ。

 「いいの。別に青井に会いに来たわけじゃないから。」

 黙るしかない祐一を、いっそ憐れむような目で見ながら、夕佳が言った。

 「ただ、訊きに来ただけなの。ここでこれから四人で暮らしていくのかなって。」

 「四人で?」

 問い返したのは素だった。四人というのが誰を指すのか咄嗟に思い浮かばなかったのだ。

 すると渚が肩を竦め、後藤先生と青井さんとユキさんと安奈さん、と、親切に解説をしてくれた。

 「え……別に、そういうわけじゃないんじゃないかな。」

 答えは自然と曖昧になった。考えたこともなかったからだ。このまま四人で暮らすなんて。

 「へぇ。そうなの。」

 ふんふん、と、軽く夕佳が頷く。

 「それ聞きに来ただけなの。だからもう帰るね。」

 じゃあね、後藤先生。

 二人の少女はそう言って部屋を出て行こうとした。それを祐一は咄嗟に引き留めた。

 「待って。」

 なに、と、二人の少女は同時に振り向いた。双生児のようにぴたりと息の合った動作だ。

 「なんで、それを訊きに来たの?」

 問えば少女たちは顔を見合わせる。口を開いたのは夕佳の方だった。

 「だって、気になるじゃない。大人になったら家族って勝手に自分で作れるのかなって。」

 勝手に自分で。

 口の中でその部分を祐一は繰り返し呟いた。

 「作れないの?」

 生や死の意味を問う子供みたいな無邪気さで、夕佳が首を傾げる。

 渚は黙ったまま、それでも瞳の色だけで同じ問いを発していた。

 「……どうだろう。」

 祐一の口から出る答えはまたもや曖昧で、それはもう間違いなく、現実が曖昧だからだ。

 足元を固めたかったのだ、と、そこでようやく祐一は、自分が安奈にプロポーズなんてしてみた理由に思い至る。

 足元を固めたら、その上に楼閣を築けるような気がしていた。その楼閣についた名前は『家族』で、かつてどうしても祐一が得られなかった、夢の果実だ。

 「先生でも分かんないのね。」

 夕佳が素直に笑う。その顔を見て、祐一は一つの問いをぶつける。

 「夕佳ちゃんにとって、青井ってなんだったの?」

 青井? その名を繰り返してから、ごく当たり前の事みたいに夕佳が答えた。

 「父親。」

 それは、余りにもすらりと素直な返答だった。思考の余地もないような。

 その返答に驚いた祐一は、一瞬呼吸も忘れた。

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