祐一・保育士

結婚しようか、と安奈に言うと、は?なんで? と返された。理由を説明しようと自分の胸の中を覗いてみると、びっくりするほどそこは空っぽだった。

 「……もうすぐ、ユキが治るから。」

 辛うじて出てきた台詞はどう考えても結婚をする理由にはなり得なくて、祐一は思わず頭を抱えた。自分がどうしようもない愚か者だと認識し直した気分だった。

 ユキがすやすやと眠る、真昼の寝室だった。ぴたりと閉めたカーテンから透ける真冬の曇りない太陽が、部屋の中を薄い水色に染めていた。

 安奈はフローリングに腰を下してベッドに寄りかかり、白い脂肪で丸く包まれた指を器用に動かし、枝毛を千切っていた。

 祐一はベッドのユキの膝辺りに腰を掛け、安奈の横顔を見つめていた。

 例えばここで恋とか愛とか言ってみたら、確実に安奈は笑うだろう。よくもそんな嘘をついたな、と、祐一を馬鹿にするために。

 「ユキが治ったら私がここに来なくなるから?」

 すらりと安奈が口にした言葉に、祐一は縋るように頷いた。少なくともそれは、嘘ではなかったから。

 「だとしても、結婚は極端でしょ。青井みたいなこと言わないでよ。祐一は常識人枠でしょ。」

 「え? 青井にもプロポーズされてるの? 」

 「バカ。私じゃなくて、小夜子さんのこと。」

 ああ、と、祐一は小さく頷いた。一年ほど前、どういう気まぐれか知らないが青井が妙に執着していた人の名だ。ただ、執着していたのは小夜子にではなく、その娘にだろうと祐一は睨んでいたのだが。

 「夕佳ちゃんも、もうすぐ中学卒業かな。」

 なんとなく祐一が言うと、安奈は心の底からどうでもよさそうな相槌を打った後、さらにどうでもよさそうに言葉を接いだ。

 「そろそろね。」

 「なにが?」

 「決めるのが。母親と同じように街娼やるか、観音通りから出て行くか。」

 過激な台詞だったのに、祐一はすんなり納得している自分がいるのに気が付いた。

 安奈は母親と同じように街娼になり、青井はヒモ稼業を本職と決めた。ユキと祐一は進学して観音通りを出た。それは確かに、四人が中学を卒業したときのことだ。

 「パパに連絡はくるのかしら。」

 ちょっと面白そうに、安奈が言う。即席のパパに、連絡は来るのかしら。

 「不謹慎だよ。」

 と、祐一は眉を顰めてみせた。即席のパパ、言いえて妙だと思っている自分がいることは自覚しているけれど。

 多分、安奈が言った『常識人枠』にこだわっているのは、安奈ではなく祐一の方だ。自分にはそれしかないような気がして。

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