「青井、セックスしよ。」

 この誘いが断られたことは一度もない。

 「いいよ。」

 言いながらもう、青井は服を脱いでいる。この部屋の持ち主はいつ帰って来るんだろう。そんなことをぼんやり思いながら、安奈は裸になった青井の前に立つ。

 狭い部屋だった。1K、部屋の半分はベッド。

 青井の長い指が安奈のコートのボタンにかかる。ゆっくり外して、それは絶対に安奈の肌には触れないように。

 青井のセックスは、いい。単純に上手いとかではなくて、いいのだ。青井に触れられていると、自分の身体がとてつもなく高価で貴重な代物になったような気がする。それは、ダイアモンドの人形みたいに。

 「……ねえ。」

 ベッドの上にやわらかく組み敷かれながら、安奈は青井の頬に触れる。少し削げた頬。その頬だけが、青井にほんの僅かばかりの不健康な匂いを漂わせている。そのわずかな匂いに惹かれて、女はこの男を飼うのだろう。

 「なに?」

 「本当に、父親になんてなれると思ってた?」

 問えば、青井は黙った。その間にも、安奈の身体を慎重に手繰る動きは止まらない。何度寝ても、はじめての女の身体を抱くみたいな慎重さで、この男は安奈の肌に触れる。

 「……なれたらいいなと思ったよ。」

 随分長い無言の後、ぽつりと青井が言った。

 安奈は、自分は裏切られているのかいないのか分からなくなる。

 この男は、セックス以外で誰かとつながる術を得ようとした。それは裏切りだ。でも、やはりそれはできずにここまで戻ってきたのだ。

 「むりなんだよ。私たちには父親なんかいないじゃない。」

 快楽に呼吸を乱しながら、安奈は青井の長い髪に指を埋める。

 父親なんかいない。それは、父親が母親のポン引きをやっていた青井も、母の死後父親に引き取られた祐一も同じだ。

 私たちには、まともな父親がいない。だから、父親ごっこでさえ上手くできるはずなんてない。

 「……そうだね。」

 青井が安奈の項にひっそりと顔を埋めた。

 「良かったと思ってるんだ。おれがあの子を傷つける前に、ここまで逃げて来られて。」

 そこで安奈は、もうひとつ自分と青井との共通点を発見する。

 極度の臆病。なにからでもどこからでもすぐに逃げて行く逃げ足の速さ。

 「ねえ。」

 「なに?」

 「一緒だよね、私と青井は。祐一とユキがまともみたいな顔してても、私と青井は違うよね。ずっとこのままだよね。」

 そうだね、と、確かに青井は言った。絶望的なトーンではなかったし、安奈を宥めるようなそれでもなかった。ただ、単純に事実を事実と認めるだけ。

 アキレス腱を切られた時より、卑怯に口をつぐんだ時より、身体は大人になった。確かに。それでも青井も安奈も、あの頃のままずっと変われずにもがいている。

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