幾ら治安が悪かろうと、魔窟だろうと売春窟であろうと性犯罪の温床であろうと、渚にとっては自分が生まれ育った場所である、彼女の足取りは常と変わらず、スキップを半分くらい織り込んで、るんるんと歩き回っていた。

 女を買いに、ちらほらと男たちが顔を出し始める時間帯だった。女の化粧くさい肌を求める男達にとっては、当然渚の姿はないも同然だ。その男たちの袖を引き、猫撫で声をだし、媚びた様子で腰を揺らす女たちにもそれは同じだ。

 渚はるんるんと観音通りを一往復した。子どもの脚でも数分の道のりである。そしてそこで小さな冒険にも飽き、なんだか疲れてしまった。普段ならもう、保育所で後藤先生に絵本を読んでもらい、ゆっくりと膝を抱えて身体を休めている時間帯なのである。

 さぁ、疲れた少女は躊躇うこともなく、道の両端にずらりと並ぶ女たちの隙間に腰を下した。母親も同じ商売をしていることは知っているので、別段恐怖心などなかったのである。

 急に子どもに割り込まれた街娼は、ちらりと渚を見やったが、その後はただ無視をした。渚の相手をするような暇や余裕を持っているような女は、そもそも観音通りまで流れ着いてなど来ないのだ。

 渚は道の側溝に腰を下し、抱えた膝の上に頬杖をついて、道行く男と女をぼんやりと眺めていた。まだ沈みきらない夕陽が、男と女の長い影を、通りの汚れたアスファルトにくっきりと落していた。

 観音通りの夕方は長い。神様が猥雑すぎる夜を遠ざけようとしているみたいだ。

 ぼんやりと膝を抱える渚の前に、すらりと長い二本の脚が立ち止った。白い革製のショートブーツを履いている。

 渚はその脚をたどるように視線を持ち上げた。細く形のいいそれは、真白いミニスカートに吸い込まれる。この寒いのに、目が細かいとはいえ網タイツを履いていた。ミニスカートの上は、これもまた白いショートコート。華奢な首にも白いマフラーを巻いている。首の上に収まる小さな顔は、大きな猫目を中心にくっきりと整い、薄めの唇に付けたピンク色の口紅がよく似あっていた。

 その白づくめの背の高い人は、金茶のショートヘアに軽く右手の指を埋め、困惑したように渚を見おろしていた。

 「ねえ、なにしてるの、こんなとこで。」

 その声を聞いてようやく、渚はその人が男であると気が付いた。

 男娼。

 別に観音通りでは珍しくはない。ただ、女装の男娼となると、ちょっと珍しかった。少なくとも、これまでの渚の5年間の生涯には登場したことのないプロフィールだ。




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