第35話:伊勢山田勧進座と幕府

「どうであろうか、これでお伊勢様は納得してくださるだろうか?」


 この6カ月間、江戸の幕閣と伊勢山田の間で奔走した檜垣奉行が問いかける。

 外宮にある、あいのための館には、檜垣奉行とお伊勢様の上級神職が集まり、今後の事を話し合っていた。


「何度も申し上げていますが、私のような者にお伊勢様の大御心は分かりません。

 全ては後々に分かる事でございます」


 檜垣奉行は優子の突き放した言葉に悔しい思いをしていた。

 やれる限りの事をした心算ではあったが、まだ優子に認められないのかと、恨みに思ってしまいそうになっていた。


 だが、ここで邪念を持ってしまったら、自分が神隠しに会うかもしれない。

 自分だけならいいが、上様にまで類が及ぶかもしれない。

 必死で自分の邪念を打ち消そうとしていた。


「優子殿が新しく作られた座に、日本中で勧進と興行を行う権利を与えた。

 日本中の体の不自由な者を、今までの当道座や盲僧座、瞽女座や非人頭達から移動させる権利を与えた。

 それでもお伊勢様は許してくださらないのだろうか」


「困りましたね。

 もう同じことを口にするのは無意味だと思うのです。

 私達にできる事は、これから神罰が下るか下らないか待つだけです」


 優子はそう言うと、檜垣奉行を置いて表の場から出て行ってしまった。

 あいをはじめとした、未婚の巫女達が住む奥に追いかけて行ける者はいない。


 以前なら神職にあるまじきことをする禰宜や権禰宜がいたが、神罰が身近になった今では、そのような不埒な真似をする神職は1人もいない。

 そもそもそんな連中は神域に入れなくなって一族に殺された。


「優子様、私はここにいてもいいのでしょうか?」


 神託ができなくなったことを気にしたあいが、外宮の巫女館に居続けていいのか優子にたずねた。


「そうですね、御神託ができないのは他の巫女も同じですが、これまで特別扱いされていたあいの事を妬んでいる者もいるでしょう。

 このままここにいては、あいが虐められる可能性がありますね。

 私の所に戻ってきますか?」


「はい、優子様が許してくださるのでしたら、檜垣屋に戻らせてください」


 檜垣奉行も禰宜達もいない場所で、あいが檜垣屋に戻ることが決まった。

 これがまた、お伊勢様が今の禰宜達を嫌ったという噂の元になった。

 噂された禰宜達自身も思い当たることがあったので、心底恐怖した。


 それでなくても優子とあいに逆らえなかった神職達が、更に優子とあいに何も言えなくなった。


 優子は檜垣奉行と神職達が何も言えなくなったことを利用して、幕府から手に入れた権利を十二分に活用していた。

 

 馬車と勧進と興行で手に入れた莫大な利益を使って、全国の虐げられている身体の不自由な者達を伊勢山田に集めた。


 幕府を除く既存の組織全てに命令できる権利を使って、当道座や盲僧座などが襤褸雑巾のように扱き使っている、体の不自由な者達を救い出した。


 伊勢山田勧進座にはそれだけの権力と財力があった。


 幕府唯一の公認金貸しである当道座も、上位の検校以外は貧困にあえいでいる。

 特に最底辺の最下級座頭になる金もない者は、金と力のある盲人に媚び諂う以外に生きていく道がなかった。


 幕府は、将軍以下旗本御家人から冠婚葬祭で集めた金を、眼の見ない盲人のための組織、当道座に分け与える。

 だが分け与えてもらうには、最低でも座頭の地位を買わなければいけない。


 当道座に入って座頭の地位を買うには、最低でも16両の金が必要なのだ。

 親兄弟親類縁者に支援してくれる者がいなければ、一生座頭にも成れないのだ。


 優子はそのような当道座を忌み嫌っていた。

 体が不自由に生まれたばかりか貧乏で座頭の地位も買えない者を、同じ体が不自由に生まれ持った者が、金があるからと虫けらのように扱うのに激怒していた。


 そこで優子は、江戸や京大阪といった、幕府の力でどうにかなる場所に式神を放ち、苦しい立場にいる体の不自由な者達を調べさせた。


 詳細に調べさせたうえで、檜垣奉行を通して伊勢山田勧進座に引き取りたいと申し出たのだった。


 最初は素直に従わない者もいた。

 現地の奉行や代官の中には、小娘の優子が幕閣に働きかけるのを苦々しく思い、故意に願いを握り潰す者もいた。


 だが、そのような者達は直ぐにいなくなった。

 地位や権力的にではなく、物理的にいなくなった。

 神隠しにより、現世からきれいさっぱりいなくなったのだ!


 まず最初に、優子に恨みがあって、配下の盲人を手放さなかった職屋敷の検校達が、きれいさっぱりいなくなった。

 最高権力者の10人だけでなく、検校の位にある者が全員いなくなった。


 次に検校達から賄賂を貰って協力していた、京都東町奉行所の奉行と与力数人が、同僚や配下の目の前で消えた。


 何時の間にか誰も知らない間にいなくなったのではなく、多くの人が見ている前で、明らかに神罰と分かる形で居なくなった。


 神隠しは京だけで起こったのではない。

 近くの大阪や近江はもちろん、江戸などの関東各都市でも起こった。


 特に幕閣を恐怖させたのは、京都東町奉行小林春郷のやっている事を黙認していた、老中の秋元凉朝が御用部屋から忽然と消えた事だった。


 秋元凉朝は月番ではなかったが、小林春郷が神隠しに会ったという報告を受けて、他の老中や若年寄と共に対応策を協議していた。


 その協議中に、他の老中や若年寄と話し合っている最中に、彼らの目の前で消え去ったのだから、残された者達の恐怖と衝撃は途轍もないものだった。


 残された老中と若年寄は、何時自分が神罰で神隠しさせるか分からないと考え、幾人かは恐怖の余り御用部屋でがたがたと震えてしまった。

 何とも情けない話だが、それが今の武士、幕閣だった。


 だが、松平武元や松平輝高といった腹の座った老中若年寄もいた。

 特に家治将軍から西丸下の爺と呼ばれて信頼されている松平武元は、いの一番に家治将軍の安否を気遣い、家治将軍の所に駆けつけた。


 幸いなことに、家治将軍は神隠しに会っていなかった。

 だが、何時神罰が下るか分からない恐怖があった。

 

 直接お伊勢様の意に反した京都東町奉行の小林春郷だけでなく、黙認していた老中の秋元凉朝まで神隠しに会ったのだ。

 最高権力者である家治将軍に神罰が下らないとは言えない。


 幕閣は顔色を変えて急いでお伊勢様の意に沿うように動いた。

 僅かでもお伊勢様の意に逆らうような言動をした者を許さなかった。


 幕府の番方を総動員して、江戸はもちろん関東一円の不幸な体の不自由な者達を探し出し、番方が直々に護衛をして伊勢山田まで送り届けた。

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