第65話 唯葉ちゃんの駆け引き

 やることがなくて暇になったのか、凛子先輩の膝に頭をのっけて眠るすず。

 いつも通りである。

 このままパンツを脱ぎ出さないかだけは心配だが。


 と、そこでもっとやることがなくなったのは唯葉先輩だ。

 彼女は所在なさげにキッチンや凛子先輩や俺達のいるソファをきょろきょろ見渡している。

 そうだな……。


「よし」


 俺は立ち上がった。

 そして唯葉先輩の所に歩いて行く。


「ち、千沙山くん?」

「唯葉ちゃん、外行きましょう」

「え?」


 困惑している彼女に俺は笑いかけた。

 そんな俺に状況を掴めないまま、彼女も曖昧に笑った。




 ◇




「え、バスケするんですか?」

「そうです」


 バスケットボールを持ってきた俺に唯葉先輩は目を見開いた。


「道具は隅に避けてるし、あいつらもちょっと休ませたいし、ちょうどいい暇つぶしです」

「まぁ、確かにわたしは疲れてないので平気ですけど」


 実は唯葉先輩、今日は一番元気なのだ。

 あきらや凛子先輩と違って動きっぱなしでもないし、すずよりも基礎体力がある。

 だけどやったことと言えば俺達と買い物をしたくらいだ。

 それでは暇だろう。


 それに。


「ずっと気にしてましたよね。自分だけマンツーマン指導がないって」

「まさか今からやるのは部活ですか!?」

「勿論、合宿なんでしょ?」


 意地悪く笑みを浮かべると、唯葉先輩もふっと笑みをこぼす。


「といっても唯葉ちゃんは基本的に上手なので、これと言って指導することがありません」

「またまた。千沙山くんから見ればわたしなんてド素人も同然です!」

「流石にそんなことはありませんけど」


 だからそんな唯葉先輩に不足しているのは、一対一の練習。

 もっと具体的に言うと、自分より強い相手と対面する経験である。

 この部活で唯葉先輩より上手い奴はいない。

 いつも格下と練習していても、刺激にならないだろう。

 だから、ここは俺が一肌脱ぐ。


「一対一をします」

「……わたしと千沙山くんがですか!?」

「そうです」

「何センチ身長差があると思っているんですか! 潰れます!」

「潰さないので安心してください」


 と言っても、危険なことは変わりない。

 だから俺は自分に一つのハンデを課した。


「俺はジャンプしません。これでどうですか」

「いいでしょう。それでも四十センチ以上身長差があるのは変わりませんがね!」


 ボールを持った唯葉先輩を前に腰を落として痛感する。

 ほんとちっちゃいなこの子。


「行きますよ?」

「どうぞ」


 いつぞやのあきらと違って、攻撃ターンの開始と共にゴールを狙う姿勢を見せる唯葉先輩。

 しかし、俺との絶望的な身長差に諦めたのか、視線を落とす。

 と、そこで先輩の体から力が抜けた。


「千沙山くん、スリッパじゃないですか」

「ちょうどいいハンデでしょ? それに唯葉ちゃんもそんな格好だし、あんまり拘らなくても」

「でも……」

「あぁ、そっか」


 もう俺が怪我でダメになったって事を知られているんだっけか。

 それで気を遣っていると。

 一応サポーターは着けているんだけどな。

 あと、今は部活というよりお遊びだ。

 そこまで激しく動く気はない。


「大丈夫です。唯葉ちゃん如きでは、俺の怪我を悪化させられません」

「むむっ! 言いましたね!? 仮にも先輩、仮にもキャプテンのこのわたしに!」

「ほら、じゃあ証明してみてくださいよ」

「わかりました! 遠慮はしません!」


 言うや否や、鋭くドリブルを突く唯葉先輩。

 元の身長の低さもあるが、それを上手く利用したドリブルだ。

 バスケって言うのは、自分より小さい奴のドリブルに付いて行くのが意外に難しいからな。

 姫希のドリブルよりもかなり速い。


 しかし、完全に抜き去ることはできずに、彼女は切り返す。

 と、その瞬間を俺は見逃さない。

 一瞬の隙を突いてボールを奪い去った。


「わっ!」

「この場合切り返し方は、普通のクロスオーバーだと予想されやすいのでバックチェンジがおすすめです」

「確かにそうですね。……でも、まさかこの戦いの中でそんな冷静に判断しているとは」

「慣れと勘です。どうせクロスオーバーだろうって」

「酷い言い方ですね!」

「でもその前のドリブルは速かったですよ。あれだけ腰を落としてあのスピードが出せたら、女子相手なら基本的に勝てるでしょう」

「本当ですか!?」


 良いモノを持っている。

 伊達にキャプテンの肩書きを背負っているわけではないのだ。

 これをどこまで伸ばせるかは俺の力量次第。

 燃えるな。


「次は俺のディフェンスをしてください」

「絶対止めます!」


 怪我させないように、かなり体の使い方に気遣いながらドリブルを突く俺。

 くそ、なかなか抜けない。

 意外とこの人ディフェンス上手いな。


「ふふ、どうですか? 実はわたし、ディフェンスが上手なんです!」

「でも世の中とは残酷ですよ」

「あぁ!」


 頭の上からひょいとシュートを放る俺。

 唯葉先輩は一生懸命ジャンプして手を伸ばすが、全く届かない。

 綺麗な放物線を描きながら、回転のかかったボールがネットを揺らした。


「俺の勝ちですね」

「卑怯です! 腕伸ばすの禁止」

「どーやってバスケするんすか」


 無茶を言わないで欲しい。

 と、そんな俺の前にボールを持って再び立ちはだかる唯葉先輩。

 意地でも俺から点を取りたいらしい。

 いいだろう。

 引退した身とは言え、そう簡単に負けてやるわけにはいかないのだ。


 と、腰を落として構えた俺に唯葉先輩は言った。


「一つ、謝りたいことがあります」

「なんすか?」

「わたし、実は知ってたんです。宮永くんと千沙山くんが知り合いだって事を」


 いきなりの言葉に面食らう俺。

 彼女は悲しそうに続ける。


「あの人、一年生の頃から同じクラスで。だから中学の頃の話とか聞いてて、千沙山くんの話も聞いてました。ごめんなさい、千沙山くんは彼がうちの学校にいることを知らなかったんですよね。言っておけばよかったです。まさかあんな感じの仲だとは」

「いや、唯葉ちゃんが謝る事じゃないですよ」

「そうですか、ではもう一つ。最近凛子の部屋に上がりました?」

「え、なんで――」


 一瞬動揺してしまった。

 別にやましいことはしていないはずなのに、若干咎めるような口調で言われて焦った。

 そして、気付いた時には彼女は目の前から消えていた。


 こいつ、やりやがった!


 いつの間にかするっと、脇を抜けている唯葉先輩。

 慌てて追いかけるが、既に彼女はレイアップのモーションに入っている。

 咄嗟に飛ぼうとして、ハンデがあるのを思い出す。

 ならばと走って追いつこうと思ったが、スリッパなんか履いているせいで足が滑った。


 為す術無くシュートを打つ唯葉先輩を眺める俺。

 彼女のレイアップは、他の下手くそどもと違ってそう簡単に落ちるような代物ではない。

 勿論そのシュートも入った。

 入ってしまった。


 俺は、失点を許してしまった。


 ボールを拾い上げた唯葉先輩は、絶句している俺に流し目を送った。


「これが駆け引きというやつです」

「……対面中に気を抜いた俺が全面的に悪いです」


 卑怯だとは言うまい。

 油断していた俺が悪いのだから。


 先輩は若干きまり悪そうにはにかみながら、聞いてくる。


「あの後、宮永くんからの接触はないんですよね?」

「ないですね。顔も見てません」

「それは良かったです。何かあったら言ってください。わたしがきちんと守ってあげるので」


 ニコッと微笑む唯葉先輩にため息が漏れる。

 こんな小さい子に守るなんて言われると、不思議な感覚だ。


 二人で端に座り込んで話す。


「そう言えば唯葉ちゃんはお姉さんいるんですよね。バスケやってるんですか?」


 家族がやっているのを見て始めるのは王道中の王道。

 あまり思い返して楽しい記憶ではないが、俺もそうだった。


「いえ。姉は部活はマネージャーとしてやってただけです。わたしがバスケやってたから、高校で男子バスケ部のマネージャーを」

「へぇ」


 逆パターンってわけか。


「わたしがバスケを始めたのは、身長が伸びそうだったからですかね」

「まぁそうですよね」

「はっ! すんなり受け入れられました! 冗談だったのに!」

「本当は違うんすか?」


 聞くと彼女は俯く。

 そのまま寂しそうに笑った。


「わたし、姉に憧れてるんです。おねーちゃんは身長も高くて、美人で、頭が良くて、いつもカッコよくて……。とにかくわたしなんかとは比べ物にならないくらいスペックが高い人なんです。だから、そんな姉に何か一つでも勝ちたくて、おねーちゃんは運動できないから運動しよう! あと身長伸びるって聞くからバスケやろう!って」

「やっぱ身長じゃないですか」

「あ! 本当です!」


 それにしても、スペックか。

 俺は唯葉先輩を見つめて口を開く。


「唯葉ちゃんも俺から見るとすごく素敵ですよ。可愛らしくて、運動ができて、頭が良くて」

「お、お世辞ですか? 別に気を遣ってくれなくても」

「俺がそんな事言う性格だと思いますか?」

「……」

「あとそんなスペックなんて曖昧なことを比べても仕方ないでしょう。お姉さんと唯葉ちゃんは別の人間なんだし。どっちも可愛くて良い子、で良いじゃないですか。頑張り屋なところとか唯葉ちゃんの魅力そのものだと思いますけど」


 以前、一緒にハンバーガーを食べた帰りの事だ。

 部活後だと言うのにダッシュで塾へ向かう姿には感心した。


「そ、そんなに褒められると……照れます」

「あ」


 言われて自分の言葉を反芻した。

 ついコーチぶって説教みたいになったが、冷静に考えるとかなり恥ずかしい事を言ったような。

 猛烈に羞恥心が襲ってきた。


「……なんかすみません」

「こちらこそ、変な話をしちゃってごめんなさい!」


 お互い謝り合って、吹き出す。


「でも新鮮ですね。唯葉ちゃんとこうして話すのって初めてかも」

「楽しかったです!」

「そうですか」


 眩しい唯葉ちゃんの笑顔に、つい俺も口角が上がる。

 やっぱこの人、可愛いな。

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