第676話 色褪せた旋律

「おう、久しぶりだなウィルソン」


「ゲルハルト様もお元気そうで。ところで何かご用ですか?」


 ウィルソンは少し困ったような表情で聞いた。もっとハッキリ言えば迷惑そうでもある。ウィルソンは自分がゲルハルトに好かれてはいないという自覚があり、自身もゲルハルトに対して少し苦手意識があった。


 この老人は一体何をしに来たのか、それがわからず困惑していた。


 対するゲルハルトも何だか気まずい思いをしていた。旧友の弟子という、関係がありそうで特にない相手である、話題など何もなかった。顔見知りだから挨拶くらいはするが、そこから全く話が進まないのである。


 しかしここで『通りかかっただけだ』と言って逃げるように去るのも何か違うような気がしていた。悪い事などしていないし、後ろめたい事もない。


 ゲルハルトは『逃げたら負け』という謎のルールを己に課していた。


「新親方選抜の時期が迫っているだろう。それで各工房の様子を見て回っているのだ」


「そうでしたか、お疲れ様です」


「うむ、ではな……」


 と言ってゲルハルトが立ち去ろうとするのを、ウィルソンは少しムッとした表情で呼び止めた。


「うちの工房は見て行かれないのですか?」


 ゲルハルトが何故素通りしようとしたのか、その理由はウィルソン自身が痛いほどよくわかっていた。他の工房に比べて技術が大きく劣る、二流の工房だから興味が湧かないのだろう。


 わかっている、それはわかっているが、あまり露骨な態度を取られるとさすがにプライドが傷付いた。二流には二流なりの意地がある。少なくとも面と向かって侮辱されて、俯いていなければならない筋合いはない。


 ゲルハルトも対応を間違えたと後悔していたが、今さら言い訳を並べたところでどうにもなるまい。


「悪いが、興味はない」


「ゲルハルト様ッ!」


 ウィルソンは急に大きな声を出し、ズイと身を乗り出してきた。


「何だいきなり……?」


「是非とも貴方に、私の打った刀を見ていただきたい!」


 ウィルソンの眼が血走っている。常に自信なさげな男ではなかったか、こんなにグイグイ来るような奴だったかとゲルハルトは戸惑っていた。


「確かに私はダメな奴でした。二流の職人でした、ド三流の鍛冶屋でした。しかし、しかしですねぇ……!」


 ウィルソンは大きく息を吸い込んでからまた話を続けた。


「ルッツさんと出会い、刀の製法を教わってからは必死に努力を重ねてきたつもりです。それを貴方にだけは知っていただきたい!」


「別にわしが認めなくたって、お主はここの親方だろうに」


「我慢ならんのです、舐められっぱなしというのは」


「むぅ……」


 ゲルハルトは唸り、考え込んだ。ウィルソンの眼に卑屈さはない、挑戦する男の顔をしている。


 ……わしはこの男を『ボルビスの弟子』という肩書きでしか判断していなかったのかもなあ。


 試してみる価値くらいはあるだろう、ダメならダメで思い切り笑ってやればいい。そう考えてゲルハルトは深く頷いた。


「よかろう、お主の自信作とやらを見せてもらおうか。なまくらだったらボロクソにけなすがな」


「あり得ませんよ、貴方の鑑定眼が確かならね」


「ふん、言いよるわ」


 ふたりは顔を見合わせて笑った。眼だけが笑っていなかった。




 応接室に通されたゲルハルトは室内を懐かしげにぐるりと見回していた。


 この部屋でよくボルビスと酒を飲んだものだ。飲んで呑んで吐いてのたうちまわって、二度と飲まぬと誓った三日後にまた集まる。そんな事ばかりを繰り返していた。


 ボルビスが向上心をなくし、親方の地位を守る事にばかりこだわるようになってからは少しずつ会う機会も減っていった。淡い思い出が、ゲルハルトの胸に小さな痛みを伴って浮かび上がる。


 品質を安定させるのは結構だが、挑戦した結果の失敗作を見ながらゲラゲラ笑い合いたかった。


 ……あるいは、わしが奴を追い詰めてしまったのかもしれんな。


 ゲルハルトが伯爵の相談役となり、ボルビスに献上品の依頼をするようになった。伯爵を相手におかしな物を納品する訳にはいかない、だから彼は高品質だが無難な物しか作らなくなったのではないだろうか。


 もっとよく話し合うべきだっただろうか。いや、彼はゲルハルトと対等であろうとしたからこそ何も言わなかったのかもしれない。


 ボルビスが刀鍛冶を紹介して欲しいと言い出した時は、何て面倒な事をと思うのと同時に、ようやく立ち直ってくれたかと嬉しくなったものだ。なればこそゲルハルトは、技術は秘匿するものだという職人のルールを無視してルッツと引き合わせたのである。あの時、躊躇せずに紹介して良かった。本当にそう思う。


 ボルビスの人生は決して輝かしいものではない。苦難と停滞、その繰り返しであった。一言で表せば泥臭い。しかし彼は最期に職人として光を求め、前のめりに倒れた。その死に様はゲルハルトに羨望を抱かせるほど美しかった。


「……久しぶりに、『一鉄』を振り回したくなってきたな」


 最近はずっと五文字の魔剣『八咫烏』ばかりを持ち歩いており、友の遺した豪刀『一鉄』は工房に飾ったままであった。


 ガチャリとドアが開く音がして、ゲルハルトの思考は中断させられた。


「お待たせしました」


 ウィルソンが一本の刀を持って入ってきたのだ。テーブルを挟んでゲルハルトの向かい側に座り、刀を置いた。


「どうぞご覧下さい」


 ウィルソンは胸をそらせて言うが、その声は少し強張ってもいた。自信作なのだろうが、それはそれとして他人がどう評価するかはわからないものだ。


 特に今回、ウィルソンの目の前にいるのは伯爵領で最高の付呪術師なのである。彼がダメだと言えばこの刀は誰からも見向きされなくなるだろう。緊張するのも当然の事であった。


 ゲルハルトは無言で頷き、地味な鞘を払う。そして刀身をじっと眺めた。


 五分、十分と息が詰まるような時間が流れる。良いのか、悪いのか、ゲルハルトの表情からは何も読み取れずウィルソンの全身から粘っこい汗が滲み出してきた。


 やがてゲルハルトはぼそりと呟いた。


「男子三日会わざれば、か……」


 それだけ言うと、また黙り込んだ。パチリ、と刀身を鞘に納める音が妙に大きく聞こえた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る