第56話 天岩戸

 この日の為に作られた巨大な大理石のテーブル。それを囲む五人の男たち。


 国王ラートバルト・ヴァルシャイト。

 ベオウルフ・エルデンバーガー侯爵。


 連合国の王、カサンドロス。

 第二王子、アルサメス。


 そして隣国から迎えた中立の見届人。


 少し離れて数千人の兵たちが円形に広がって調印式の行方を固唾かたずを飲んで見守っていた。


 カサンドロスはルッツが作った豪刀をじっくりと眺めていた。顔中に刻まれた深いしわは確かに彼が老人であることを示していたのだが、張りのある肌と、はち切れんばかりの筋肉はとても七十過ぎには見えなかった。


 女たちと添い寝をして、その若さを吸い取っているという噂も信憑性が出てきた。馬鹿げた話だが異様に発達した上半身と、逆三角形の体格を見れば常識など吹き飛びそうだ。


 通常の三倍もの重さの刀を軽々と持ち、じっと見入っていた。刃紋は美しく、重さも長さも申し分なし。つかもよく手に馴染む。


 試し斬りでもしたい所だが、さすがに和平の席で王国兵の捕虜を斬るわけにもいかなかった。残念である。


 この刀が自分の物になるのかと思えば口角が吊り上げるカサンドロスであった。


 今のままでも十分に素晴らしいのに、ここから更に付呪を施そうというのだ。しかも、大陸の至宝と呼ばれる巨大ダイヤモンド、覇王の瞳を使って。


 なるほど、実に面白い。王国の猿どもに渡すのが惜しかった宝石が、急にただの材料としか見えなくなった。


「よかろう、やってくれ」


 カサンドロスは刀を置き、懐からピンクダイヤモンドを取り出して無造作にテーブルへと放り投げた。大理石の一部が欠けて、宝石が転げ落ちそうになる。


 王国の騎士が慌ててそれを受け取り、付呪の為の特設テントへと向かった。


 連合国の兵も検分役として付いて行く。覇王の瞳を使ったと言いながら、別の宝石で代用されたのではたまらない。


 二人の背を見送った後でカサンドロスは窮屈な椅子に座り直した。


「さて、刀が出来上がるまでに調印式を済ませてしまおうか」


「こちらがメインですよ、カサンドロス王」


 国王ラートバルトは苦笑を浮かべた。カサンドロスを面白い奴だと言うべきか、いい加減な奴だと言うべきか、まだ判断が難しい。今のまでの態度全てが演技だという可能性もある。


 見届人が差し出した六枚の羊皮紙。和平の条件が王国語で書かれた物が三枚、連合国語で書かれた物が三枚。それら全てに両国王が署名し、見届人を合わせて三カ国で分けあった。


 ……こんなものか。


 カサンドロスの胸中は戦争を終わらせた安心感よりも虚しさが勝った。


 十年も血を流し続け、金を垂れ流し続けた戦争が、紙切れに署名するだけで終わってしまった。


 お互いに、相手が攻めてくるからという理由で兵を駐屯させ続けた。

 お互いに、何の成果も無しに終われないという理由で止めることが出来なかった。


 覇王の瞳を送り付けることで相手に圧力をかけ、王女という人質を取るか、僅かな土地の割譲を迫るかしたかった。だが相手が覇王の瞳を魔術付与の触媒に使うなどと言い出して話がこんがらがってしまったのだ。


 相手が贈ると言った物を拒めない。それが贈り物外交の厄介な所だ。


 王国側に無理難題を押し付け優位に立った息子を外交の天才などともてはやしていたが、今では余計な事をしてくれた奴としか思えなくなっていた。相手を追い詰めすぎるのも危険なようだ。


 宝石を贈った、その宝石を使った刀を受け取る。結局は刀と魔術付与の技術分、こちらが借りを作るということになる。


 ……後は刀の出来次第だな。


 これが和平の証ですねと受け取って終わりなのか、改めて返礼品を用意せねばならないのか、刀を見るまでわからない。


 いっその事、付呪に失敗して事前に見せられた四本の刀剣を恩着せがましく受け取ってやるのが一番楽に思えてきた。


 いや、しかし、あの素晴らしい刀に最高の宝石で魔術付与をしたらどうなるのかは見たい。それが自分の物になるのだから最高だ。


 多少の外交的不利など許容してもいい。


 これは決してカサンドロスの欲だけで言っている訳ではない。王族の権威、その象徴となる物が手に入るのはかなり利益が大きいのだ。


 連合国は小豪族の集まりだ。頭領の数は大小合わせて数百はいるだろう。


 ……要するに、余が王であると馬鹿どもにも一目でわかる証が必要なのだ。


 そういう物が欲しいと思いながらも見つからず、ずるずると引き延ばしてしまった。覇王の瞳と呼ばれるピンクダイヤモンドは貴重品であるが、王の象徴、力の証と呼ぶには少し弱かった。宝石は戦士の証ではない。


 あの刀ならば、あるいは。


 調印式は無事に終わった。大テントへ席を移して宴会をしようという話になったが、カサンドロスの意識は刀に向けられたままであった。




 ゲルハルトの簡易工房にて、三職人とクラウディアとジョセル、そして検分役の騎士二人までも一緒になって覇王の瞳を覗き込んでいた。


「でかい……、うん、でかい」

「宝石もここまで来ると神秘的だな……」

「見ているだけで頭がくらくらする」

「まるで巨大な乳輪だ」

「パトリックさんちょっと黙ってて」


 誰もがその場を動けなかった。刀以外の名物、至宝と呼ばれる物を見たのは初めてだ。


 視線が集中する宝石に、ひょいと手が伸びて持っていかれてしまった。手を追うとそこには呆れた様子のゲルハルトがいた。


「役目を忘れるな、これから宝石は魔術付与に使わせてもらうぞ」


 と言って、さっさと儀式台に向かって行った。


「ゲルハルトさん、本当にそれを砕いてしまうのですか?」


 今になってパトリックはそんな事を言う。


「最初からその為に来たのだろう?」


「いや、しかしですね。傷ひとつない美しい宝石を付呪に使うなど、無垢な少女にいけない遊びを教えるような、そんなそんな。ああ、いけません」


「興奮するだろう?」


「……まあ、そうですね」


 ううむ、と唸りながらパトリックは邪魔にならぬようテントのはしに寄った。今の話のどこに納得できる要素があったのかはわからないが。


 彼にならいルッツたちも端に、それでいて作業がよく見える場所に座った。


 さあ始めよう、という時に王国の騎士がゲルハルトを指差して叫んだ。


「おい職人、失敗は許さぬぞ。わかっているとは思うが国家の威信がかかっているのだ。宝石を壊して成果も無しでは、貴様ごときが死んでも償えぬのだからな!」


 その横柄おうへいな物言いに、ジョセルが怒って大股で近づいた。


「貴様、騎士にもなって身分の差もわからぬらしいな。我が師、ゲルハルト様はツァンダー伯爵領預かり、準男爵相当だ。舐めた口きいているんじゃあない!」


「相当、ということは正式な身分ではあるまい。伯爵領から出れば無効のハリボテ爵位だろう。私は国王陛下の側近として忠告をしてやったまでだ。礼儀知らずの田舎騎士は引っ込んでろ!」


「王の使い走りだろうが。近衛騎士なら護衛で場を離れられないはずだよなあ?」


 二人の醜い言い争いは更に加熱する。


 馬鹿だなあと思いながら見ていると、ルッツの側に連合国の騎士が寄って話しかけてきた。


「嫌だねえ、王国の騎士はいつもくだらん事でマウントの取り合いしてさ」


「虎の威を借る狐同士が口喧嘩していますね。うちの親分の方が毛並みが良いぞ、って」


 ルッツの言い方が気に入ったか、騎士は大きく口を開けて笑い出した。


「あっはは、いいねえ。俺はあんたの事が好きになったよ。うちの大将が舐めるように見ていたあの刀、あんたが作ったんだって?」


「それがデカくて太い刀の事であれば、そうです」


「この騒ぎが終わったら連合国に来ないか? 仕える先は王か大豪族か、とにかく特別な席を用意する」


 騎士は急に真面目な声で言い、ルッツは静かに首を横に振った。


「……申し訳ありませんが、今はまだそういうのは考えていません」


 刀単体ならばそれでもいいが、全体の仕上げとなるとゲルハルトやパトリックの協力は必要不可欠だ。伯爵領の三職人、などと呼ばれるようになった今の関係が少し気に入っていた。


「フラレちまったか。ま、初日からしつこくされても困るだろ。また日を改めてな」


 と、騎士はおどけて言った。まだ諦めてはいないらしい。


「なあ、ルッツくん」


 今度はクラウディアが真剣な表情で口を開いた。


「和平会談が終わったら、君は本格的に身の振り方を考えた方がいい」


「……そこまで深刻か」


「今日を境に君の名は知れ渡る、利用価値のある男としてね。色々な所から誘いが来るだろう、あるいは拉致されるかもしれない、殺されるかもしれない。望む望まざるを問わず、誰かお偉いさんの庇護ひごを受けなければ生きていけないんだ」


 クラウディアが振り向いた。その真っ直ぐな眼差しは本当にルッツを心配しているようであった。こんな時だが、綺麗な瞳だなどと考えてしまうルッツであった。


「本命はツァンダー伯爵かな。あるいは侯爵でも、王に売り込んだっていい。王女様は味方を欲しがっているかもしれない。そっちの兄ちゃんの誘いに乗ってもいい」


「むむむ……」


「ま、そんな深く考える事はない。以前も言ったが君の選択など全て些事どうでもいいことだ。どの道を選んだって私がついて行くのだからね、同じだよ」


「そうだな」


 愛し、愛されているという自信に満ちたクラウディアの言葉にはいつも救われている。感謝もしている。帰ってからゆっくり考えようと決めたルッツであった。


 そうこうしているうちに騎士たちの争いも決着がついたようだ。


 王国の騎士はゲルハルトのパンチで顎を揺さぶられて気絶した。ジョセルも頭にげんこつを食らったようだ。激しい訓練で痛みに慣れているはずのジョセルが頭を抱えてのたうち回っていた。


「見たけりゃ隅っこで大人しくしておれ!」


 と、怒鳴り付けた。


 弟子に勉強の機会を与えるため、出ていけと言わないあたりがゲルハルトらしい。


「さて、と……」


 ゲルハルトは覇王の瞳を儀式台の中央に置いた。


 水銀を流した儀式台がぼんやりと光りだし、宝石からドクドクと心臓の鼓動のような音が聞こえた。


 刀に命を与える作業が始まった。テントの中はしんと静まり、鼓動と古代文字を刻む音だけが響き渡る。

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