第55話 Dejavu
ゲルハルトは伯爵の説得に向かった。
「本気か?」
と、言われてしまった。
ゲルハルトと伯爵は侯爵の説得に向かった。
「正気か?」
と、怪訝な顔をされてしまった。
伯爵と侯爵は国王の説得に向かった。
「疲れているのか?」
と、心配されてしまった。
覇王の瞳を受け取ったその場で付呪の触媒にすると聞けば、そんな反応にもなるだろう。ゲルハルトが縛り首にならなかっただけでも温情である。
なんやかんやで王も納得してくれた。失敗しても第三王女リスティルを差し出すのではなく、ツァンダー伯爵領内にある名刀を並べて献上すれば良いというのが決め手になったようだ。自分の懐が痛まない、なんと素晴らしい事なのだろう。
こうして後は調印式の日を待つだけなのだが、ベオウルフ・エルデンバーガー侯爵にひとつ面倒な仕事が発生した。
この話を事前に蛮族の第二王子アルサメスに伝えておく事だ。当日になっていきなり、
「ジャーン! この場で覇王の瞳を使わせていただきます!」
などと発表するのも面白そうではあるが、相手が怒って調印式を中止した場合、誰の責任になるかと言えば間違いなく王国側だろう。恐らく隣国の見届人も居るであろう中で言い訳は出来ない。
故に、事前に許可を得ておく必要がある。報連相などというスローガンはこの時代には無いが、仕事の要点はいつの世も変わらぬものだ。
……サプライズの相談に行く、か。矛盾しているやらいないやら。
国境際のテントにアルサメスを呼び出し説明をするとやはり彼も、
「何を言っているんだこいつは」
と、端正な顔を歪ませていた。
……うん、まあ、そう思うよな。
ベオウルフにもアルサメスの気持ちはよくわかった。それは数日前の自分と同じ反応だからだ。
それはそれとして外交の場では常に強気でなければならない。当たり前だろう、という態度でベオウルフは話を続けた。
「何を驚くことがありますか。光属性の付与には他と比べ物にならないくらい大きな魔力が必要です。それはアルサメス様が一番よくご存じでは?」
アルサメスは言葉に詰まった。その様子を見てベオウルフは、
……やはりこいつは、光属性五文字の刀なんて出来るはずがないとわかっていやがったな。
と、確信した。
しかし、それで騙されたと騒ぐ訳にはいかなかった。アルサメスは欲しいものを提示しただけで、安請け合いをしたのはベオウルフの方である。騒げば無知をさらけ出すだけだ。
逆に今回の申し出をアルサメスは断るわけにはいかなかった。
「覇王の瞳を使ってはいけないなら、強力な光属性を付与する方法を教えていただけますか?」
などと聞かれれば答えようがない。ケチは付けるがやり方はわからない、そんな物言いを先程から冷たい視線を向けてくる見届人が認めるとは思えなかった。
「……いいでしょう。当日、その場で魔術付与するというのも面白い」
「はい、両国の平和を願う席での余興になれば、と」
平和とは程遠い闘争心むき出しの顔で頷き合った。
二人は同時に思っていた。俺はこいつが嫌いだ、と。
「それで、もし失敗したらどのように保証してくださいますか。覇王の瞳の砕け損ですよね?」
「刀を出しましょう。先日お見せした鬼哭刀に加えて、同じ刀匠の作品を三本。どれも我が国の宝と言える逸品です」
「よほど王女様を嫁がせたくないようですな。平和を願うならば婚姻こそ不可欠では?」
「我が王がリスティル様を溺愛しておりましてね。目に入れても痛くない、という奴でしょうか」
「ふぅん……」
アルサメスはつまらなさそうに鼻を鳴らした。
「刀四本で覇王の瞳に釣り合うかどうか、見てみなければわかりません」
「価値という点ではむしろこちらの持ち出し、大損ですよ。それに、もしも魔法付与に失敗したらの話ですからなあ」
鬼哭刀一本でも心が揺らいでいたくせに今さら何を、とベオウルフは強気であった。四本並べれば欲しいと言わせる自信がある。
「しかし……」
なおも言い募ろうとするアルサメスであったが、パンと手を叩く音に遮られてしまった。見届人の男が手を合わせたまま、眠そうな顔で二人を見ていた。
「もうこの辺でいいでしょう。芸術品に点数が付けられる訳でもなし、細かいすりあわせは当日にやるしかないんじゃあないですかね」
アルサメスが呼んだ見届人であるが、彼の立場は中立である。納得した訳ではないがアルサメスも引き下がらざるを得なかった。
ベオウルフもここが引き際と見定めた。隣国のメンツを潰して良い事などひとつもない。
「では、次は調印式でお会いしましょう。……前も似たような事を言いましたが」
「さすがにもうお呼び立てすることはありませんよ。ご安心を」
アルサメスとベオウルフは強張った笑顔を浮かべて、ほぼ同時にテントを出た。
ベオウルフは歩きながら思案する。
……案外、あの男が一番手強いのかもしれないな。
特徴と言えるほどの特徴がない見届人の顔が、少し離れただけでもう思い出せなくなっていた。
調印式当日。三千の駐屯兵に加えて二千が警備兵として投入された。相手国も似たようなものであり、計一万の兵が国境際に集まっていることになる。
「いやあ、屋台の準備でもしておくべきだったねえ」
クラウディアが笑いながら言った。戦争が起きた経緯はどうあれ、彼女の目には無駄な出費としか映っていなかった。
兵たちは敵も味方も大軍を揃えて緊張している一方で、もうすぐ家に帰れるかもしれないと心が弛んでいた。もしもこんな状況で戦えと言われても、ぐちゃぐちゃの泥仕合にしかならないだろう。
「何を不謹慎な事を。神聖な和平会談の場だぞ」
ジョセルが苦い顔をした。
教会の口車に乗せられてドンパチ始めた挙げ句に
ジョセルの案内でルッツ、クラウディア、パトリックが特設テントに入った。そこには付呪の儀式台と各種道具が用意され、ゲルハルトが不敵な笑みを浮かべている。準備万端、といったところか。
これほどの大舞台でニヤリと笑えるのはゲルハルトなればこそだ。ルッツは自分になら出来るだろうかと考えた。結論、無理だ。逃げ出すか、緊張で下痢腹を抱えて転げ回っているだろう。
「そういえば勇者くんはいないんですね」
と、パトリックが辺りを見回した。
「奴ならば伯爵の護衛に行っておるよ」
「あいつに守られるの逆に怖くないですかね」
ゲルハルトの答えに、ルッツが苦笑を浮かべて返した。私は無差別精神破壊兵器を持っています、なんて男を側に置いて冷静でいられる自信はない。
皆が適当に腰掛け、そわそわとしながら覇王の瞳の到着を待っている。当事者であるゲルハルトが一番落ち着いているくらいだ。
無論、上手く出来るかという不安はある。失敗したらどうなるのかという恐怖もある。しかし今、彼の胸中を占めるのは生涯最高傑作が出来るかもしれないという興奮であった。
生涯最高、何だか最近は新しい仕事をする度に同じ事を言っているような気がする。いや、職人とはそれで良いのかもしれない。
常に良い物を。良い物が出来たら更に良い物を。そうやって技術を追い求めて行くのだ。あなたの最高傑作は何ですかと聞かれたら、次に作る作品だと答えられる人生、なんと素晴らしい事か。
……止まるわけにはいかない、そうだろうボルビス。
友の職人は一時期保身に走り停滞していた。そして最期は新たな技術を求め、前のめりに倒れた。少しだけ彼を羨ましいとも思う。
感慨に耽りながら友の遺品である刀に触れようとするが、その手が空を切った。
……そうだ、刀はエルデンバーガー侯爵に預けていたのだった。
その動きを見ていたパトリックが不思議そうな顔をしている。仕方なくやり場のなくなった手を上げて、
……これはきっと、ボルビスがわしにあまり緊張するなと言ってくれたのだ。きっとそうだ、そうに違いない、そういう事にしておこう。
とりあえず、緊張が少しだけ
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