第51話 黄金の鳥かご
ジョセルに連れられて謁見の間に入ると、本来は伯爵の席である中央に小さな女の子が座っていた。
艶のある黒髪が腰まで伸びた、綺麗なドレスを纏った愛らしい少女だ。月並みだが、お人形のようなという表現がピッタリはまる。
彼女こそ、この国の第三王女リスティル・ヴァルシャイトである。
リスティルの斜め後ろに護衛らしき騎士が立っていた。身長二メートルはあろうかという大男だ。岩壁の擬人化、とでも言えばいいのだろうか。
伯爵は脇に控えている。ゲルハルトとパトリックも呼ばれたようで、何とも居心地の悪そうに座っていた。
ルッツとクラウディアは王女とも伯爵とも面識がない。ジョセルが後ろから小声で『あちらが……』と、教えてくれた。
伯爵はそうと知らなければただの人の良い中年男に見える。『へえ、偉いんですね』と口走ってしまった
「刀鍛冶ルッツとその妻クラウディア。王女殿下のお召しにより参上しました」
そう言ったのはルッツではなく、隣のジョセルだった。ルッツの身分で王女と直接話すことは許されない。故に、目の前に居るというのに高位騎士を介してしか話すことが出来なかった。
……こういうのが面倒で嫌なんだ。
ルッツは短気ではないが、意味のない行為を強要される事が何より不快であった。もう早速帰りたくなってきた。
そんなルッツの心情を読んだか、護衛の騎士が侮蔑の視線を向ける。所詮は
ゲルハルトとその関係者がどこか緩い雰囲気だったので最近は忘れかけていたが、これが貴族の本質というものだ。父を
「鍛冶師ルッツ、よく来てくれました」
小鳥が
「ルッツ、刀作成の進捗はどうなっていますか」
どうやらそれを聞きたくて呼んだらしい。自分が身売りされるかどうかの瀬戸際だ、気にならないはずがないだろう。それで遠く離れた伯爵領まで来るのはなかなかの行動力である。
景気の良い事を言って安心させたい所だが、誤魔化しても仕方がない。ルッツはまたジョセルに小声で話しかけた。
「……おい、私にそんな事を言えというのか」
「役目なんだから仕方ないでしょう」
こそこそと話す男二人に腹を立てたのか、リスティルはバンと強く机を叩いた。手が小さいのであまり迫力は出なかったが。
「ここは非公式の場です、直答を許します!」
やはり偉い人もこんなやり方は面倒だと思っているのだなと、少しだけ親近感が湧くルッツであった。
護衛の騎士が王女を見ている。それは、先ほどルッツに向けたのと同じ視線であった。敬意はない、感情もない、ごく当たり前のように相手を見下す視線だ。
そこでようやくわかった。奴は王女の護衛ではない、監視役だ。
いざとなれば王女を隣国に引き渡す。その為にはどこかに逃げられては困るのだ。
「進捗は、
「え……?」
苦い物でも吐き出すようにルッツは言った。
少女の顔に広がる失望、そして絶望。刀作成の依頼を出してから一ヶ月も経っている。ひょっとしたら魔術付与まで終わっているのではないかと淡い期待を抱いていたのだが、それどころか刀作成の時点で
「引き続き、お願いします……」
リスティルは震える声でそう言うのが精一杯であった。芸術とは八つ当たりすれば出来上がるようなものではない。不安でも、苦しくてもただ待つしか出来ないのだ。
和平の為の生け贄にされる。監視がずっと張り付いている。残酷な運命を回避する希望は出来るかどうかもわからない名刀のみ。少女の小さな両肩に、どれほどの重圧がかかっているのだろうか。
……俺が彼女の為にしてやれることは何もないのか。
ルッツの胸が無力感と罪悪感でキリキリと痛む。
そして、痛みの中で見えて来たものがあった。
わかった。刀に込めるべきは怒りだ。己の無力感や、この世の理不尽を破壊し燃やし尽くす
「王女殿下ッ!」
「は、はい!」
突然叫び出すルッツに、リスティルの身体が驚きで飛び上がった。
「ありがとうございます、殿下のおかげで刀のイメージが固まりました!」
クラウ行こう、と肩を叩いてルッツは謁見の間を飛び出してしまった。
後に残された者たちは全員、呆気にとられていた。
この場の最上位者であるリスティルは、話は終わりだとも下がってよいとも言っていない。ルッツのやった事はある意味で逃亡である。
「では、私もこれにて……」
皆が正気を取り戻す前に脱出してしまおうと
「リスティル様!」
「は、はい!」
何かと名前を叫ばれる日である。
「世界中の全ての女の子に、恋をする権利があります」
「……え?」
「身分とか使命とかそういうのは関係なしに、求める権利があるのです!」
この女が何を言っているのか、何を言いたいのかがわからない。
リスティルは戸惑っていたが、クラウディアの表情は真剣であり、優しくもあり、本当に自分を気にかけてくれているのだとわかった。
クラウディアも深い意味があって言った訳ではない。少しでもリスティルを元気づけたかっただけだ。
彼女はかつての自分と同じだ。
同じ境遇に置かれた女に、幸せになって欲しかった。
誰も彼もが勝手なことをする状況に苛立ったか、護衛の騎士が叫んだ。
「おい女! 貴様に口を開く許可は与えていない、勝手にしゃべるな!」
何が彼の逆鱗に触れたのか、恐らく蛮族の王に嫁がなくてもよいという意味の事を言ったからか。
相手の怒りのポイントを見定めた事で、クラウディアはかえって冷静になった。
薄っぺらい笑顔を張り付けて、ペコペコと頭を下げる。
「いやあ申し訳ありません、宮廷のマナーなど何も知らぬ田舎者でして。どうかお許しを」
などと言って、形の良い尻を向けてドアの隙間にするりと入り、さっさと出て言ってしまった。
「このアマ……ッ!」
騎士が剣の鞘を掴んで追いかけようとするが、リスティルがそれを制止した。
「およしなさい。ここは非公式の場です、無礼によって裁かれる事はありません。それは事前に話していたはずですよ」
「しかし殿下、あのような真似を許してしまえば殿下のご威光に傷が付きます」
違う、彼女はリスティルに諦めるなと言ってくれたのだ。勝手な発言が無礼である事、
これこそが忠義ではないか、優しさではないか。誰もがリスティルを腫れ物扱いする中で、まっすぐにぶつかって来たのは彼女が初めてだ。
「捨て置きなさい。あなたの役目は私の護衛のはずですよ。持ち場を離れぬよう」
「……報告はさせていただきますよ」
「ご自由に」
騎士とリスティルは目を合わせようともしなかった。
すっかり場が白けてしまい、そろそろお開きかと誰もが思っていた時、
「ゲルハルト老」
と、リスティルが声をかけた。
自分に話を振られるとは思っておらず慌てたゲルハルトだが、さすがに彼は気持ちの建て直しも早かった。
「はい、殿下」
「王家の婚姻道具に過ぎない身に、色恋の自由などあると思いますか?」
どう答えたものかとしばし悩んだ。いや、答えなど最初から決まっている。最高の名刀を作り出し王女を差し出す事なく和平を締結させるのが自分たちの役目だ。
ゲルハルトは胸を張って言った。
「その為に、我らがいます」
リスティルは頷き、さらに聞いた。
「ルッツという男は名刀を作り出すことが出来るでしょうか」
「あの男が何かを思い付いて走り去った、それは芸術が生まれる
「信頼しているのですね、彼を」
ゲルハルトは力強く頷いた。
いくつもの名刀を作ってもらった。友の魂を救ってもらった事もある。あの男は何かやるだろう、それは信頼を越えた確信であった。
リスティルも覚悟を決めたようで、皆に宣言した。
「わかりました。後二ヶ月の間、信じて待ちましょう。余計な手出しはいたしませぬ。ツァンダー伯爵家が誇る三職人に、この身を預けます」
そう言ってリスティルはにっこりと笑った。
それは王族の権威などを外した、少女らしい明るい笑顔であった。
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