鬼哭刀・弐
第39話 腰のモノ
職人として、付呪術師として最高の名誉を手に入れた。
それなのに、いや、だからこそなのか、問題が起きた時に相談できる相手が居ないことに気が付いた。
装飾師のパトリックに伯爵の愛刀が見たいと頼まれたが、平民と貴族の間で見たいと言って見せてもらえるような物でもあるまい。鞘などを作ったのは確かにパトリックであるが、既に彼の手を離れているのだ。
弟子であり高位騎士でもあるジョセルに相談しようとも考えたが、すぐに思い直した。ジョセルならパトリックを排除するか、諦めさせる方向で動くことが眼に見えている。
諦めさせる、というのは恐らく最も正解に近いのだろうが、パトリックに引け目のあるゲルハルトとしては避けたい所だった。
聞くだけ聞いてみるとは言ったが、こんなことを伯爵に申し出た時点で不審な眼で見られるだろう。それも避けたい。
考えているうちに苛立ってきた。何で自分がこんな下らない事で悩まなければならないのかと。
女と刀の区別も曖昧になった変態装飾師の為に働くのが嫌になってきた。
もういい、知らん。酒飲んで寝てしまおう。
彼の悪癖で全てを投げ出そうとしたその時、ふと思い付いた事があった。城の中に相談できる相手が居ないのであれば、外に行けば良い。
それこそ貴族社会とはなんら関わりのない者たちだが、彼らなら良いアイデアを出してくれるかもしれない。
「おりゃぁ!」
ルッツは気合いと共に頭から水を被った。ここは川で、彼は全裸である。
背は平均的で、筋骨隆々ではないがみっしりと筋肉が凝縮されたような身体をしていた。無数に火傷の痕が残る肌が水を弾いた。
桶で水を汲み、さらに被る。全身をコーティングしていた汗と不快感がさっぱりと流れ落ちた。
「この瞬間の為に鍛治仕事をやっているようなものだなあ……」
言い過ぎであるが、気分が良い事だけは確かだ。
次に、一緒に連れていたロバを洗ってやった。水をかけて、
ロバが震える度に水が飛び散りルッツの顔面にもかかるが、彼は気にせず笑っていた。俺もまた水を被ればそれでいい、と。
冬になれば気楽に水浴びとはいかない。その前にまた何度か洗ってやろう。
人の気配がする。振り返るとそこには顔見知りの老人が同じようにロバを連れて歩いて来るところだった。
「おや、水浴びかね」
ルッツは『仕事道具』を放り出したままだが、ゲルハルトはその点には触れなかった。職人が作業終わりに思い切り水浴びをする気持ち良さは彼にもよくわかっていた。
「わしもご一緒してよいかな」
「どうぞ。あ、桶使いますか?」
「ありがとう」
桶を受け取り、服を脱いで丁寧に畳むゲルハルト。その裸体を見てルッツは目を見開いた。
マッチョジジイのエントリーだ。冒険者時代のものか、古傷があちこちに残っていた。端から見れば死ななかったのが不思議なくらいである。
「ふんぬッ!」
川に足首を浸けて、気合いと共に水を被る。もう一度、さらにもう一度。
「うむ、やはり水浴びは良いな。城壁内に住んでいるとなかなか出来ぬからなあ」
開放的という意味では壁の中よりも外の方がずっと良い。もっとも、利点と言えばそれくらいだが。
男二人がすっぽんぽん。正面から向かい合っているので『仕事道具』もバッチリ見える。なんとなく気まずくなって二人は無言で服を着た。
「ゲルハルトさん、今日は新しい依頼の話で来られたのですか」
「いや、なんと言うかな。ちと相談があってな」
「相談ですか」
仕事ではなく、相談。何の事やらルッツには想像もつかなかった。
二人ともロバを引き、工房へ向かいながら話すことにした。
「たとえばルッツどのが名刀を持っていたとして、それを他人から見せて欲しいと頼まれたらどう思うね。快く自慢してやるか、あるいは突っぱねるか」
「相手によります」
「ふむ、どのように」
「ある程度気心の知れた相手ならば、どうぞどうぞと招きます。しかし言い出したのが赤の他人であれば少し警戒してしまいますね」
ルッツの意見をゲルハルトは今回のケースに当てはめて考えた。
伯爵とパトリックは知り合いでも何でもない。ゲルハルトが刀を見せて欲しいと言えば伯爵は快く応じるだろう。倉庫の中だって見せてもらえるはずだ。だがそれが顔も名前も知らない
「そうか、そうだよなあ……」
「何かあったのですか?」
「ううむ、それがなあ……」
「ちんちん見せ合った仲じゃないですか」
「
相談に来ておいて口ごもるというのもおかしな話だ。ゲルハルトは意を決して話そうとしたがもう工房前に着いたので、せっかくだからクラウディアも交えて話そうという事になった。こうした時、彼女ならば良い知恵を出してくれそうだ。
ドアからクラウディアが顔を出して迎えてくれた。
ロバ二頭を簡素な小屋に繋ぐ。ロバ同士もすっかり仲良くなったのか身を寄せあっていた。
その光景を微笑ましく眺めてから家に入り、三人でテーブルを囲んだ。
「変態にからまれた」
「……んん?」
さすがにそれだけでは何の事やら伝わらなかったが、とりあえず面倒な話だという事は理解してもらえただろう。
ゲルハルトはパトリックという装飾師について語った。伯爵に名を伝え忘れたという点は綺麗に除いたので、同じ職人としてなんとか彼の望みを叶えてやりたいという
「鬼哭刀ちゃん、ですか……」
自分が付けた名前をそのように呼ばれて、なんとも微妙な気分のクラウディアであった。
「その人、本当に大丈夫ですか。鬼哭刀に出会ったらぺろぺろ舐め出したりとかしません? 呪われていないのに自傷行為に走ったりしませんか?」
「わからん、やるかもしれん。奴ならばあるいは……」
「そんなレベルの変態ですか」
「さっさと始末した方が世のため人のためじゃないですかね」
ルッツの言葉に激しく同意したいところではあるが、そうもいかないゲルハルトである。
「二人は鬼哭刀の完成形を見てはいなかったな。あの変態、頭はともかく腕だけは良いのだ。奴を失うことは伯爵領全体の損失とも言える。獅子の鞘、あれは本当に良い物だ」
関係を切りたいような、切りたくないような複雑な立場であった。
「そういう訳でな、奴と鬼哭刀を引き合わせるアイデアはないかと相談に来たのだ」
「策ならばあります」
と、クラウディアはあっさりと言った。ゲルハルトがこれだけ悩んでどうにもならなかった問題が、そう簡単に解けたというのか。
「ふむ、聞かせてもらおうか」
ゲルハルトは本当に出来るのか、と挑戦するような、少し意地の悪い気持ちを込めて聞いた。
「アポイントが取れないなら別口から攻める、商人の基本です。伯爵の刀を見せてもらえないなら、こちらから見てあげればよろしいのです」
こいつは何を言っているのか。クラウディアの笑顔からすると適当な事を言ってけむに巻くつもりではなさそうだ。答えを用意して相手がいつ気付くのかと楽しんでいる顔だ。
「……そうか、メンテナンスか」
刀を調べる為に預かると言えば簡単に目的を達することが出来る。装飾師がメインでは少し弱いが、付呪術師が刀を調べる場に同席させるくらいは出来るはずだ。
パトリックの目的は伯爵の下手な素振りを見る事ではない。手に取ってじっくり調べられるなれば彼にとっても良い話だろう。
「ちょっといいですか」
と、ルッツが手を挙げた。
「伯爵は素振りをしているだけで人や魔物を斬ったわけではないですよね。手入れをする必要が無いのでは?」
刀油を塗り直す程度の手入れならばすぐに出来る。どこも悪くない物をしばらく預かると言えば怪しまれるかもしれない。
ダメか。いや、ゲルハルトはこの作戦自体は悪くないと思っていた。預かる口実は無いものかとしばし考えた。
「そうだ、伯爵は半年に一度くらいのペースで武具好きの貴族たちと集まっているのだ。その席に必ず鬼哭刀を持って行くだろう。刃こぼれなどあるはずは無いが、万が一小さな傷などあってはいけないので調べさせて下さいと言えば不自然ではない」
「なるほど、それなら装飾師が居てもおかしくはないですね」
「何を他人事のように。ルッツどのも同席してもらうぞ」
「あ、はい……」
装飾師の性癖に付き合わされるのは不本意であるが、鬼哭刀の完成形が見られるのは悪くないと、ルッツは同意した。
「それで、次の武器マニアの会合とやらはいつですか。その前に俺たちが集まる事になりますよね」
「いつだったかな。忘れた」
このところ物忘れが続いているが、決して呆けているわけではない。興味の無い事はまるで頭に残らないのである。考えようでは余計にタチが悪い。
「ゲルハルトさん?」
「まあまあ、わかったら知らせるから気長に待っておれ。パトリックの奴も方針が決まったとなれば大人しくしているだろう」
今日は助かった、と言ってゲルハルトは立ち去った。
相変わらずフリーダムな爺様だと笑いながら夕食の支度を始めるルッツとクラウディアであった。
城に戻ったゲルハルトが愛弟子に伯爵の予定を聞くと、
「会合ですか、三日後に出発ですよ」
などとあっさり言われてしまった。
これから急いで伯爵に説明して刀を預かり、職人たちを集めねばならない。ゲルハルトは慌てて城内を忙しく走り回る事になった。
約束や予定を適当に扱っていた結果が、これである。
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