第38話 愛の人斬り包丁

 四十代の装飾師が身悶みもだえしていた。


 彼の名はパトリック、伯爵家出入りを許された街一番の装飾師である。頭を抱えて転がり回る姿からは威厳など微塵も感じられないが、腕だけは確かであった。


鬼哭刀きこくとうちゃんに会いたい……」


 以前、彼は伯爵への献上品である刀の鞘や鍔の装飾を請け負った事があった。


 素晴らしい、本当に素晴らしい刀であった。その美しさに引っ張られるようにパトリックも己の限界を越えた装飾を施す事が出来た。


 その後、付呪術師のゲルハルトに刀を引き渡したのだが、その際に刀を売ってくれないかと頼み込んだ。全財産を失っても良い、本気でそう思っていた。


「献上品の横取りとかアホかお前は」


 そこまでハッキリ言われた訳ではないが、ゲルハルトの眼は確かにそう語っていた。こればかりはゲルハルトが正しい。パトリックとてわからぬ訳ではなかったが、それでも言い出さずにはいられなかった。


 鬼哭刀を手放してから、寂しさは募る一方であった。ここ数日は仕事に手がつかず、受けた注文は全て弟子たちに丸投げしている状態であった。


 よりによって鬼哭刀を手にしたのがあの貧弱中年ボーイとはどういうことか。どうせ刀を何度か眺めた後は倉庫にしまわれて埃を被っているに違いない。その境遇が哀れでならなかった。


 自分ならばそんなことはしない。自分ならばもっと大事に扱う。自分ならば。


 なんて可哀想な鬼哭刀ちゃん。


「うう……、ダメだ、もうダメだ。辛抱しんぼうたまらん!」


 パトリックはマントを掴んで自室を飛び出した。


 廊下で弟子にぶつかりそうになるが、なんとか踏みとどまった。


「親方、お出かけですか?」


「ちょっと城までな」


「伯爵からの依頼ですか!?」


 弟子の顔がパッと明るくなった。貴族の依頼は報酬が段違いであり、そこで認められれば名誉も手に入る。


 街一番の装飾工房で働く者たちの評価にも関わってくるのだ。


「いや、仕事じゃない」


「そうですか……」


「どこかで失くした愛を探しに行く」


「そう、ですか……?」


 早足で立ち去る親方の背を弟子は怪訝な顔で見送っていたが、やがて諦めたように自分の仕事に戻った。


 あの人が変なのはいつものことだ。




 武器に入れ込み過ぎて人間のように扱う者は珍しくない、とまでは言わないが、長く職人を続けているとたまに出会う事がある。大抵の事は『ああ、またか』で済ませられるようになった。


 そんなゲルハルトでさえ、この男は常軌を逸しているとしか思えなかった。


「鬼哭刀ちゃんに会いたいのです。どうかゲルハルト様にお口添えをお願いしたく」


 と、哀れな声を出す男は装飾師のパトリックだ。


 言いたいことが多過ぎて逆に何を言えばいいのかわからない。


 まず何だ、鬼哭刀ちゃんって。


「わしから伯爵に頼んで、刀を見せてくださいと。そういう話か」


「是非とも!」


「……あのなパトリック。基本的なことから説明するが伯爵というのは偉いんだよ。職人がのこのこやって来て、ちょっと刀を見せてくださいなんて言える相手じゃあないんだ」


「わかります、そこまではわかります。ですが職人の魂がうずいてたまらんのです。なればこそ、こうしてゲルハルト様にお願いしているのです!」


 ゲルハルトは静かに首を横に振った。お願いされようが土下座されようが無理なものは無理だ。


 伯爵から信頼されているという自信はある。だが、そこで調子に乗って私事に利用するような真似をすればすぐに身の破滅に繋がるだろう。


 ただでさえ伯爵の寵愛ちょうあいを巡って派閥のようなものが形成されつつある面倒な時期なのだ。ゲルハルトは出来る限り大人しくしていたかった。


「しかしねゲルハルト様、悔しいじゃないですか。あんなにも素晴らしい刀が価値のわからぬ男の手に渡って、倉庫の奥にしまわれるだけとか」


「なんだパトリック、知らなんだか。伯爵は鬼哭刀を佩刀として持ち歩いておるぞ。毎朝、政務の前に素振りをなされている。わしも付き合っているから間違いはない」


「なんですって? あのドジョウみたいな……、いえ、お身体があまり丈夫ではない伯爵が、素振りを?」


「そうだ、刀の所有者マスターであると胸を張っていたいと仰せでな」


 パトリックは信じられないといった気持ちが半分、もう半分はあり得るかもしれないと考えていた。好きな娘の前で張り切る男の子の心理と思えば理解は出来る。


「刀を振ること自体はわしやお主の方が上手いかもしれぬ。だが伯爵の、刀と共に成長しようというお心は本物だ。あれは伯爵の刀だ。未練は捨てろ、もう他人が入り込む余地など無いのだ」


「むう……」


「ちなみにあの刀は装飾が終わった後に魔法付与したので、お主が知っている物よりもずっと素晴らしい刀になっているぞ」


 いきなり勝ち誇ったように笑うゲルハルトであった。


「何で諦められそうって思った途端にそんな事言うかな!? 言葉を交わさぬまま終わった初恋のあの娘が都会でものすごく綺麗になった、みたいな話を!」


「わかりやすくて気持ち悪い表現だなあ……」


「一目だけでも見たくなるのが人情ってものですよ!」


 なおも食い下がるパトリックであったが、ゲルハルトは犬でも追い払うようにシッシッと手を振った。


「わしが知っている事は全て話した。お主にしてやれることは何もない、もう帰れ」


「せめて、伯爵の素振りを見学するくらいは……?」


「伯爵のプライベートに赤の他人が乗り込むような真似が出来るか。うちの弟子が最近、不審者を斬り殺したくてウズウズしているから不法侵入もやめておけ」


「何故そんなことに……?」


「本当に何でだろうな」


 これ以上粘っても無理なものは無理なようだ。ゲルハルトの心証を悪くする前に退散しようと立ち上がるパトリック。ドアの前でふと思い出したように振り返った。


「そういえば、私の名を伯爵に伝えてくださいましたか?」


「……ん?」


 何の事だと考え込むゲルハルト。パトリックの視線が鋭く突き刺さる。


「鬼哭刀ちゃんを納めた時、この装飾はパトリックという職人の手によるものですと、そう伯爵に伝えてくださると約束したじゃあないですか。しかも、自分から言い出して!」


「ああ……」


 思い出した。刀が欲しいとねだるパトリックを落ち着かせる為にそんな事を言ったような、言わなかったような。ゲルハルトの視線が宙を泳ぐ。


「……忘れていましたね?」


「忘れていた訳ではない。その、ちょっと忘れていただけだ!」


「言い訳すらまともに出来ていないじゃないですか!」


 呆れたように首を振るパトリックであったが、顔を上げた時には薄笑いを浮かべていた。


「ひとつ、貸しですね」


「わしにどうしろと言うのだ……」


「可能かどうかはともかく、伯爵に見学希望者がいるとだけ伝えてください。それでダメだと言われたら諦めます」


「……聞くだけだぞ。返答にまで責任は持てぬからな」


「はい、お願いします」


 パトリックは深々と頭を下げてからゲルハルトの工房を後にした。


 ゲルハルトは苦い顔で軽率な言動を後悔していた。たかが口約束だが、そういうのを律儀に守ってこその信用であろう。忘れたのは確かに自分の落ち度であった。


 何故忘れたのかと思い返す。そうだ、あの後で付呪を施し古代文字を五字も刻むという快挙を成し遂げ、細かい事は全て記憶から吹き飛んでしまったのだ。


「世間話のついでに、それとなく聞いてやるか……」


 良い悪いというよりも、借りを作ったままでは落ち着かない。それがゲルハルトという男の性質であった。

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